第13章「押入れもらい」

「ほら、これ持って上の階の和室に行くの。

 奥の押入れの中にいるんだから。」


そう言って、公民館の管理人である柚月さんは

僕の両手に大きな鯛の形をした金華糖を置く。


僕はそれを見ると、ため息をつきながら

築三十年は経つ公民館の階段を上り始めた…


…ことの発端は僕のゼミ仲間の秀治が

春先にバンドを始めたことにある。


バンドと言ってもギターとかではなく、

秀治のおばあちゃんがお箏の先生をしているので

他の和楽器と組み合わせてバンドを組むという話であった。


カスタネットすらまともに叩けないリズム感のない僕は

メンバーの誘いを丁重に断っていたのだが、

いざ仲間が集まってみると広報や会計係がいないということで

結局、引っ張り出され、こうしてマネージャー代わりに

練習場所を借りるため公民館まで出向くのが常となっていた。


「大変だよねえ。みんな新譜覚えるのに苦戦しているみたいだし、

 でも、みんな頑張っているし、これからも続けていければいいよね。」

 

そんな他人事のように言う柚月さんも

唯一の社会人メンバーであり、担当の楽器は笙である。


「でもさあ、うまいこと公民館で空いている場所を

 見つけられるのは私のおかげだし、もっと敬ってくれないかしらん。」


そんな柚月さんに頭をさげる毎日だが、

梅雨時の夕方、月ごとの部屋空きを確認しにきた

僕に対し、柚月さんはこう言った。


「ねえ、お化けって信じる?

 うちの公民館ってさ、実は出るんだよ。」


僕はその言葉に首をかしげる。


今まで公民館のいろんな空室を借りてきて練習はしてきたが、

メンバー内でそんな苦情は一度として出たことはなかったからだ。


それに対し、柚月さんは不気味に笑う。


「うふふふふ、実はねえ、それにはコツがあるんだよ。

 お化けを大人しくさせる方法…それがこれなの。」


そう言って大きな箱から取り出したのは

ハレの日などでよく見る赤い鯛の姿をした金華糖だった。


「これをね、月に一回でいいから

 奥の和室の押し入れに持って行くの。

 するとね、手が出てくるから持たせてあげる。

 それだけで一月分の霊障は全くないんだよ。」


僕は半信半疑ながらも、砂糖で出来た鯛を見つめる。

すると、彼女は時計を見てニヤリと笑った。


「そうだねえ、じゃあ今日は君にやってもらおうか。

 多分、誰がやっても同じだろうし…」


…というわけで、僕は金華糖を持ったまま、

階段を上った先の『レクレーション室①』と書かれた和室を開ける。


そこは、一面に畳の敷かれた広い部屋であり、

梅雨による湿気った空気の中でい草がほのかに香った。


入ってすぐにスリッパを脱ぐスペースがあり、

僕は室内履きを脱ぐと畳の上を歩いていく。


畳は柔らかく、ごろ寝をするにはちょうどいい場所だ。


一応、この場所は街の指定する避難所にもなっているので

災害時にはこの部屋の奥にしまってある布団を引き出し、

寝泊まりできるようになっているという話を

柚月さんから聞いていた。


しかし、お化けが出るのも

この部屋の押入れであり…


僕は、部屋の奥の襖の前に立つと、

柚月さんに言われた通り三回襖をノックし、

手に持った金華糖を差し出す。


すると、音もなく襖が開き、

中から細い手がするりと出た。


細く、白い手。

つるりとした子供のような腕。


そうして、金華糖を受け取ると

スルスルと手は引っ込み、

パタンと襖が閉まる。


僕はその襖が閉じるのを見計らい、

スラッと中を開けてみる。


…そこには、布団があった。

非常用に置かれている畳まれた布団。


長い間置かれているのか、

少し湿気を吸った布団がそこにはある。


…しかし、それだけだ。

子供の姿も、何かがいた気配もない。


僕はL字型になっている押入れを一通り見た後、

靴を履き直し、柚月さんの元へと戻った。


「…どうだった、出たでしょう?」


ニヤニヤと笑う柚月さんに対し、

僕は静かにうなずく。


その様子に柚月さんは「ふふっ」と笑った。


「…でもねえ、この方法がわかるまで大変だったらしいよ。

 私が赴任する前にはポルターガイストが頻発してたらしくてね、

 襖はガタガタ言うし、ラップ音はするし水道の水は出っぱなしになるし、

 見かねた近所の饅頭屋のオヤジがお供え物をしたらどうかといってね。

 以来、そういう困ったことは起こらなくなったんだって。」


そう言いつつも

柚月さんは首をかしげる。


「でも、どうして出るようになったのかはわかんないのよね。

 昔、土地開発がされるまでは小川の流れる小さな林だったし…

 ま、わかったって対処法も知っているから、

 何か得になるわけでもないんだけどね…」


そんな柚月さんの話をひととおり聞いた後、

僕は公民館を後にする。


思い出されるのは押入れの中から出てきた白い腕。

真っ暗な暗闇の中から一本だけ出てきた白い腕のことだった。


あの腕はどこから出てきたのか。

いつからあそこにあるのか。


そんなことを考えていると、

いつしか僕は饅頭屋の前を

通りかかっている事に気がついた。


ここは公民館に金華糖を提供している店。

最初に公民館にお供えの申し出をしてくれた店。


僕はまだ明かりのつく店の暖簾をくぐり、

饅頭屋へと足を踏み入れてみることにした…


「…ふうん、やっぱりまだ出るんだ。あの店。」


そう言うと、70代であろうか、禿頭の饅頭屋の主人は

僕にお茶と店の看板である醤油饅頭を出してくれた。


「食べて行ってくれ、今日の店の売れ残りだから。

 どうせこの時期、客が来ないのはわかっているんだ。」


薄皮の醤油饅頭を口に入れると

ほのかに醤油の香りが鼻をつき、

程よい甘さの餡が口の中に広がった。


「…確かに言い出したのは俺だね。

 あの公民館が建ってすぐくらいかな、変な噂が立つようになってね。

 何ぶん町内のことだから近くのウチの店の評判まで落ちたら堪らないし、

 お化けならお供えでなんとかなるだろうと思って提供したんだ…。

 それだけだよ。ガッカリしたかい?」


その言葉に、僕は首を振る。


まあ、お化けに対し、

お供え物とかして気持ちを鎮めてもらう

というのは一般的な考えだろう。


何も変わったことじゃないし、自然なことだ。


…でも、それだったらどうしてこの店の看板である

饅頭じゃなくて金華糖をお供え物にしたのか。


すると、主人は恥ずかしそうに頭を掻いた。


「いや、何ね。もし、饅頭でも騒動が収まらないようだったら

 ウチの看板商品の評判が落ちると思ってさ。それで予防線?

 じゃないけど、当時売れ残りだった金華糖を出してみたんだよ。

 ま、結果としてそれでことが収まったんだからいいんだけどな。」


そう言うと、主人はお茶をグビリと飲んでから

フーッと息を吐いて天井を仰いだ。


「でもなあ、ここに店構えて30年は経つけどさ、

 正直、ここらで潮時かもとは考えているんだよね。」


そうして、僕の食べていた饅頭の一つを取り上げる。


「これもなあ、最初に作ってみた商品だったんだけど

 今は洋菓子に負けちまっててねえ、弟子もいないし、

 俺もいい齢だからね。来月には店閉めて、

 実家の方で農業でもやろうかと考えているんだよ。」


やがて、饅頭を眺めていた主人は天井を見上げると

「そうだなあ」とつぶやいた。


「…最後の日くらい、俺自身が公民館に金華糖を供えてみるか。

 どうせ夜の電車で帰る予定だからな。

 ついでに押入れのやつにお別れを言ってみるよ。」


そう言って、主人は黙り込み、

僕は残っていたお茶を飲むと饅頭屋を後にした…


…その、翌月の夜のことである。


僕は大学のバンドのポスターの作成に忙しく、

帰りが遅くなってしまっていた。


高架橋には新幹線の最終便が走り去っていくのが見え、

明日の朝一の講義に間に合うように早く寝なくてはならない

僕はますます焦る。


そうして自転車を漕いでマンションへ向かっていると

ふと、公民館の屋根の上で変なものを見つけた。


…それは、巨大な、白い塊。

おぼろげながらも青く発光する塊。


僕はそれに興味を持ち、少しだけ自転車を寄せてみる。


そして、気づく。


それは、巨大な蛇だった。

身体中に鱗の代わりに人間の腕が

うじゃうじゃと生えた巨大な白い蛇。


蛇は川のように澄んだ瞳で前方を見据えると、

突然、公民館の屋根からずるりと身を乗り出した。


そしてそのまま家の屋根を伝い、夜の街を渡り、

新幹線の走る高架橋の上へと身を乗り出すと、

先ほど通り過ぎた電車を追うように線路の上を滑って行き、

山の向こうのトンネルへと姿を消した…



それから数ヶ月後、公民館を訪れた僕は

柚月さんから饅頭屋さんのその後を聞いた。


なんでも、地元で和菓子の講師として教室を開き、

若い世代に饅頭や金華糖などの作り方を教えているらしい。


「…評判もなかなか良いようだし、

 将来的にそこで教えたお弟子さんが

 この場所で店を構えるかもね。」


そう言うと柚月さんは含み笑いをし、

和室へと向かう階段を見つめる。


「…最近、思うんだよね。あれって神様だったんじゃないかって。

 だって、ここには小川があったでしょ。きっと川の主だったんだよ。

 今は饅頭屋さんについて行っちゃったけど、いつかまた、

 帰ってくるような気がするんだよね。自分の生まれ故郷に…。」


そして、柚月さんはもう一度見上げる。


階段の向こうを。

今はもう何も起きなくなった和室を。


そして、彼女は思いついたように

次回のバンド活動について話しだした…

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る