第12章「小豆とり」

田んぼの真ん中に家があった。

砂防林に囲まれた大きな旧家だ。


土間の天井には、むき出しの梁がめぐらしてあり、

囲炉裏の煤によって黒光りをした柱が鈍い光を放ち

猫でも昔飼われていたのか柱には細かい傷が所々に付いていた。


「…さあ、小豆が煮上がったよ。」


そう言うと、鈴木のばあちゃんは

土鍋で煮ていた小豆をザルに移し替え、

一つを懐紙で包み、朱塗りの盆に置く。


「一つは『小豆さま』のもん、残りはウチのもんだ。

 よかんべ、よかんべ…。」


鈴木のばあちゃんはそう言うと、朱塗りの盆を持ったまま

土間の真ん中に据え付けてある神棚の上に盆を乗せ、

二回手を叩いて拝み、残りの小豆を台所へと持って行く。


僕は、その一連の動作を眺めたあと、

土間の端で機械によってつかれる餅を

眺める鈴木にあれは何かと聞いてみた。


「んー、俺もわかんねえ。昔からやってる風習ってやつ?

 とにかく、ウチでは正月近くになると、こうして客呼んで、

 餅ついて小豆を神棚に供えるの。『小豆さま』のために。」


そう言いつつも鈴木はもち米が餅へと

変化していく様子から目を離さない。


「面白いんだぜ。最初は粒米なのに後でつるんとした餅になる。

 蓋が開いてるもんだから様子が丸見えでさ、兄弟全員で集まると

 みんな我慢できないもんだから熱いのにも構わず指でつついちゃう。

 4兄弟が輪になって餅をつつき合うんだぜ、バカみたいだろ?」


確かに、餅つき機でつかれる餅からは

ふんわりとした甘い香りが漂う。


僕も鈴木に習い隣で餅を眺めようかとにじり寄ると、

不意に上から声がした。


「…んなことするのはお前ぐらいだろ、三ツ矢。」


気がつけば、一人の男性が僕らを見下ろしていた。


手には司法試験の参考書を広げており、

眼鏡越しに鈴木を冷ややかな目で見つめている。


「んだよ、一重兄さんだって、昔さんざん突いていたじゃん。

 自分だけ覚えていないって言ったって嘘だぜ。

 何しろ、俺が覚えているのは五年前に餅の中に…」


「それ以上は言うな!」


そう言って、二人が兄弟喧嘩をしている中、

最初に僕を出迎えてくれた次男の双葉さんが

ニコニコしながらやってきて、

僕に部屋の支度ができたことを告げた。


「布団はすでに敷いておいたから様子を見てくれ。

 必要なものがあったら用意するよ。」


僕は短く礼を言いながら

双葉さんとともに客間へと続く廊下を歩く。


庭には綺麗に形の整えられた松や梅が植えてあり

大きな岩の下には広い池まで据え付けられていた。


「何ぶん古い庭だからね、正直扱いに困っているよ。

 …確か、民俗学のゼミを受けているんだよね。

 あとでうちの蔵にあるものを見せてあげる。

 面白いものが沢山あるから…」


そう言いつつも双葉さんはふと足を止めると、

庭先にある一つの石碑に目配せする。


「…あそこね、実は首塚なんだ。

 昔、うちに小豆を収めていた百姓が年貢の重さに耐えかねて

 鉈で襲いかかって来たんだけど、うちの先祖が刀を出して

 とっさに首を切り落としたんだ。」


僕は言われるまま、

その首塚と言われる石碑を見つめた。


…それは、何の変哲もないような石碑に見えた。


よく、墓石に使われているような御影石が使われており、

表面には『兼五郎墓 庚申生』と刻まれている。


「…伝わっている話では切り落とした首の目が閉じなくてね。

 仕方がないから両の目を五寸釘で留めたらしいよ。」


そう言い残すと、双葉さんは歩き出す。


僕もつられてその場を後にし、

それ以上の話を聞くことはなかった…


客間に着くと、部屋の真ん中で布団に転がり、

スケッチブックを広げ、クレヨンでお絵描きをしている子供がいた。


「こら、幸四郎。ここはお客さんの部屋だぞ。

 遊んじゃダメだろ?」


双葉さんは腰に手を当て、その少年に声をかける。


すると幸四郎と呼ばれた少年はパッと顔を上げ、

そのままスケッチブックとクレヨンを持って

部屋から飛び出していった。


「…もう、挨拶もなしか。

 済まないね、弟はシャイだから。

 いや、アホなのも問題だけど…。」


そうして、へらへらと笑いながらやってきた

鈴木に対し、双葉さんはため息をつく。


「…じゃあ、この部屋はアホの三男に整わせて

 俺たちはもう少し中を回ろう。何しろ古い建物だからね。

 上の階には蚕を飼っていた場所もあるし…。」


そんなこともあり、僕は鈴木の家を十分に探検させてもらった。


今でも使っているという古い薬箪笥や

当時のお殿様への謁見に使ったお輿など

江戸時代から続く家というだけあって

古いものが満載だった。


そして夜には鈴木の家の畑で採れた野菜や米を使った

美味しいご飯をご馳走になり、僕は今時懐かしい

五右衛門風呂に入った後、就寝した。


…だがその夜、僕は急に目を覚ました。


妙に空気が冷え込む。

底冷えするような冷たさ。


鞄に入れていたスマホを見ると

時刻は深夜0時を回った頃。


僕は何度か寝ようと試みるも寝付けず、

仕方がないので台所で水でも飲もうと

渡り廊下から土間へと向かうことにした。


…その時、気付く。


窓から漏れる月明かり。


それが部屋の柱にあたり、

柱についていた古い傷跡を浮き彫りにする。


大小の様々な傷。

引っ掻いたような傷。


しかし、僕はその中に異様な傷を見出す。


…それは、アーモンド大の傷。

目玉のような形をした引っ掻き傷。


それが、廊下の柱に点々と付いている。


…子供のイタズラか?


ふと幸四郎くんの顔が浮かぶも、

彼がスケッチブックに描いていたものは可愛らしい車や恐竜であり、

とてもこんな不気味なものを描いている様子はなかった。


…じゃあ、一体誰が。


そう疑問に思った時だった。


トン、トントントン…トトン…。


何か、硬いものが床の上に落ちて、

転がるような音がした。


見れば、廊下の向こう、

土間の方に赤い小さなものが落ちている。


…それは、小豆だった。


茹でられた、赤い小豆。


土間と廊下の境目に

たった一粒の小豆が転がっている。


僕はなぜかはわからねど、

その小豆が神棚から落ちたものであると感じた。


なおも、小豆は転がり続ける。

右へ、左へ、床の上を転がり続ける。


そして、ついっと立ち上がると、

そこにピッと亀裂が入った。


…小さな小豆。

親指の先にも満たない大きさの小豆。


その豆に縦の亀裂が入ると、

隙間を伝うようにうわっと黒い毛が噴き出した。


黒い毛…手入れのされていないボサボサの髪。


それだけではない。


髪に続くように、

額、鼻、目、口、

そして頸部が出現する…


そう、気がつけば、まるで豆がめくり上がるようにして

一人の…人間の頭部が生まれていた。


男の生首、ボサボサの髪、

歪んだ顔、そして両の目に留められた二本の五寸釘…


それは、両の目が見えないにも関わらず、

まるで辺りが見えているかのように床を転がると、

渡り廊下と土間の横にある柱へと向かう。


そして、柱に顔をつけると、

ガリガリと目の釘を使って

器用に目玉模様を削り出す。


『…これで、二百四十三夜…。』


次の瞬間、首は突然床をはね、

あっという間に僕の顔近くまで跳び上がった。


『…お前、庚申生まれだろう。』


僕は何を言われたかわからなかった。


おそらく干支のことなのだろうが、

僕はそこまで詳しくはない。


すると、生首はニイっと笑って身を引いた。


『運がいい。俺は俺と同じ庚申の生まれのものは

 襲わんと決めているんだ。簡単に旅のものを

 差し出すような、この家の人間と違うてな…。』


そう言いながら、生首はタンタンと床を跳ねる。


『寝床に行くが良い。今回は家のものを選ぶことにする。

 運が良かったな…旅のもの…。』


そうして、生首は母屋のほうへ…

鈴木と彼の家族が眠っているであろう

母屋のほうへと消えていく。


僕は半ばわけがわからないままも、

ただ、自分の命が助かったことを知り、

震える膝もそのままに自分の部屋へと戻ることにした…。


…その翌朝。


僕は朝食は全員で食べる習慣があるという

鈴木の言葉に従い、土間へと向かう。


そして、気付いた。


朝の鈴木家、七つの膳が並んだ風景。


一つには鈴木のばあちゃんが座り、

一つには鈴木の父親が座り、

一つには鈴木の母親が座り、

一つには鈴木の長男、一重さんが座り、

一つには鈴木本人が座り、

一つには鈴木の四男、幸四郎くんが座り、


最後に一つ。

客用の席が設けられ、そこにお膳が整えられていた。


…だが、僕はこの光景にひどい違和感を覚える。


そう、何かが足りなく、

何かがちぐはぐだ。


僕がその違和感に気づけずにいるとき、

長男である一重さんが鈴木にこう言った。


「おい、。お前、お客さんに席を勧めろよ。

 こういう時には、ちゃんとしないといけないんだぞ。」


すると宗二と呼ばれた鈴木は兄に反論する。


「何言ってんだよ。一重兄さん。

 伝統とか言ってもさ、所詮廃れるんだよ。

 第一さ、ちっちゃいの代の頃にはさ、

 もう、そんな風習自体ないんじゃねえの?」


そう言って、兄弟喧嘩をする二人を

鈴木の父親が諫め、僕に頭をさげる。


その瞬間、僕は気づいてしまった。

決定的な違和感の正体に気づいてしまった。


「本当に申し訳ないねえ。何ぶんでやんちゃに育ったもので

 これからちゃんと社会に出て行けるかどうか親としても心配だよ。」


そうして、トホホとつぶやく父親に

鈴木のばあちゃんが僕に席を勧めてくる。


「ささ、せっかくだから、お汁が熱いうちに上がりましょう。

 覚めてしまうと美味しくなくなってしまいますからね。」


僕は気分の悪さを感じながらもそのまま座布団に座り、

鈴木のばあちゃんの言葉で全員がお膳をいただくことにする。


「…今年も無事に家族揃って一年を終えることができました。

 『小豆さま』どうもありがとうございます。」


そうして、膳の蓋を開けると僕は「あっ」と声をあげそうになった。


そこには小豆のたっぷりと入ったお汁粉があった。

粒の小豆。昨日見た生首。そして…


「おいしいねえ、」


「やっぱりこれだよ。」


「一年のご褒美だよねえ。」


彼らの顔に薄っすらと残る

引っ掻いたような目玉の跡。


しかし誰も気づかない。

家族が減ったことにも気づかない。

気づかないままも彼らは小豆を食べ続け…


「すみません、僕、急な用事を思い出しまして…。」


そうして、僕は汁粉に手をつけず立ち上がると

逃げるようにして、鈴木家を後にする。


おそらく、彼らは気づいていないのだろう。

自分たちの家族が減ったことを。

次男の双葉さんがいなくなったことを。


そして、その原因は僕にあり…


僕は鈴木家を出ると一目散にバスに乗り込んだ。


『…運がいい…簡単に旅のものを

 差し出すような、この家の人間と違うてな…。』


なぜか、あの生首の言葉が僕の耳に残る。


…それに思い当たる節があった。


そう、先ほど僕が突然家を飛び出した時に

鈴木家の人間は慌てて僕を引きとめようとした。


そこには、驚きと、早朝から食事もしないうちに

出て行く僕を心配する素直な親切心が垣間見えていた。


しかし、その中に一人。

一人だけ例外がいた。


それは一番奥。

僕の向かいに座っていた女性。


そう、鈴木のばあちゃんだけがその行動の真意を知っているかのように

じっと僕のことを恨みがましく見つめていたのだった…

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