第11章「モール・B4(1)」

「あ、やべ、間違えたかも。」


そういうと、ゼミ仲間の智也は慌てたように

エレベーターの3階ボタンを押す。


…そこは食品売り場らしく、

B4階と表示ランプのついたドアの向こうには

スイーツや食品を買っていく客でごった返していた。


「…もう、いいんじゃね?どうせ階段使えばいいしさ、

 このショッピングモールにB4階なんて元からないし、

 多分故障してんだよ、そのエレベーター。」


そう言って、同じゼミ仲間の秀治は

未だに閉じようとしないエレベーターの

ボタンを連打する智也を止めた。


「くっそー、マジで何なの?

 俺が押してるのは3階なのに。

 後で店に苦情言っておかないと…。」


そう苦言を漏らすも智也は渋々ボタンから指を離し、

みんなですごすごとエレベーターから降りる。


…このフロアは変わっていた。


全体に隙間なく露天が立ちならび、

遠くが見えないほどに広く感じられる。


換気が悪いのか屋台から出る煙が天井まで昇り

ぼんやりとした視界の中で様々な食べ物の匂いが交差する。


店内を歩く客はそのほとんどが白い着物を着ており、

何かのイベントなのか頭に三角形の布までしている人までいた。


僕は行き交う人々の顔色が悪いのが気にかかっていたが、

そんなことに気を取られているうちに人混みの中で

二人を見失いそうになり、慌てて近くにいる智也の服の裾をつかんだ。


「キャッ…!」


その声に驚き、僕はとっさに手を離す。


そこにいたのは長い髪をアップにし、

深緑のロングスカートに

白地のカーディガンを羽織った女性だった。


僕は慌てて彼女に謝り、

騒ぎを聞きつけてか智也と秀治もやってくる。


「…ま、いいんだけどね。」

 

そう言うと彼女は服の裾を念入りに直し

ついでキョロキョロとあたりを見渡す。


「…それよりも、あなたたち上の階に行く方法知らない?

 間違って地階に来ちゃったんだけど、階段がわかんないのよ。」


…だが、それは僕らも同じこと。


結局、僕らは彼女共々

上階への階段を探すことになった。


それにしても、彼女も変わった人だ。

服装は明らかに結婚式で着るような派手なドレスだし、

手に持ったハンドバッグもブランドものだ。


「…ああ、近くで友人の結婚式があってね。

 そのついでにここに立ち寄ったのよ。」


彼女は面倒くさそうにそう言うと、

膝のあたりをなでる。


「ドレスのサイズが合わないみたいでね、

 時々足がつりそうになるの。」


そう言われて僕は思い出す。


確かに、ショッピングモールの近くには

かなり大きな結婚式場があった。


テレビでも幾度か紹介されているので

結婚式場としてはメジャーな場所なのだろう。


「…でもねえ。料理はクソまずいし、余興は面白くないし、

 男はうるさく寄ってくるし、私、ああいう雰囲気大っ嫌い。

 今だって呼ばれたこと後悔しているんだから…。」


そう言って、彼女は勢い任せで

2、3歩進むも急にふらつく。


僕はとっさに彼女の背中に手をまわすも、

その肌の冷たさにびっくりした。


「…ああ、ごめんなさい、急に目眩がして

 ちょっと酒の席で悪酔いしちゃって…」


そう言う彼女の顔は真っ青で

顔には脂汗がいくつも浮かんでいる。


僕はとっさに智也と秀治を呼ぶと、

彼女を近くのベンチに座らせようとした。


「…いい、なんとかなるわ。

 今はまだ歩いていたほうがいいもの。

 とにかく、上階を見つけないと…」


そう言って、彼女は無理に立ち上がるとフラフラと歩き出す。


それを見かねたのか、秀治は彼女を半ば強引にベンチに座らせると

近くにいる店員に声をかけた。


「あの、すみません。救護室とか近くにありますか?

 具合の悪い人がいて…。」


「ハイ、いらっしゃい。

 兄ちゃんワインはいるかい?今なら試飲付きだよ。」


「いえ、具合の悪い人がいるんですけど、

 救護所はどこにありますか?」


「いやいやいや…そんなことより、これ飲んでいかない?

 蒸留したてのワインだよ。美味しいんだよ。」


「いえ、ですから…。」


そう言って、暖簾に腕押しの店員に苦戦する秀治に対し、

僕らは彼女のために救急車を呼ぼうかとスマホを取り出す。


しかしながら、スマホの画面は真っ暗で、

充電はちゃんとしておいたはずなのに

まるで電池が切れたかのようにウンとも寸とも言わなかった。


「クッソ、せめて出口だけでもわかれば…。」


そうして、見かねた智也がベンチの上に立ち上がり、

僕も周囲の状況だけでも知ろうとつられて立ち上がる。


そうして、気がつく。


ここが尋常じゃないほど人でごった返していることに。


視界はますます悪くなり、これから探す階段はおろか、

僕らが来たエレベーターへの道さえ分からないことに。


方向さえもつかめない。

ここがどの位置かもわからない。


そうして、あたりを見渡していると、

僕は一人の男性に目が止まる。


…その男性はグレーのスーツを着ていた。


頭には上品なフェルト帽をかぶり、

丸ぶちのメガネをかけ柔和な顔で

近くにある露店を眺めている。


どこかで見たような顔、

でも思い出せない顔。


僕は首をかしげながら、人混みの中に首を戻す。


その瞬間、急に肩を叩かれると

目の前にお盆に載った大量の紙コップを差し出された。


「兄ちゃん、どう?ワイン飲まない?」


見れば、先ほどの店員が

僕に試飲用のワインを差し出している。


「…いえ、僕たち車で来たもので…。」


「いいじゃん一杯くらい。

 大丈夫、アルコールなんか1パーセントも入ってないよ。」


…それって本当にワインって言うのか?


そんな疑問が沸きつつも、

人混みに揉まれたためか僕はいつしか喉の渇きを覚えており、

甘い芳香をさせるワインに「少しだけなら」と紙コップに手が伸びそうになる。


だがその瞬間、不意に人混みからニュッと手が出てきたかと思うと、

先ほどまでベンチに座っていた彼女がワインのカップを手に取り、

中身を一気に飲み干した。


…まさに、あっという間の出来事。


そして口元を拭うと、彼女は据わった目で小さく笑った。


「…ふうん、甘口じゃない。」


彼女の顔はまだ青白い。


だが、ゆらりと飲んだカップをお盆に戻すとこう言った。


「…ありがとう、ちょっと元気が出たみたい。」


そうして、彼女は2、3歩進む。


確かに、飲んだワインの効果かよろめくこともなく歩いているが

先ほどの具合の悪さから考えるとまだ休んでいた方が良い気もする。


「さ、行きましょう。どうもこの先の気がしてきたから。」


そう言って、大股で歩き出す女性に

慌てて秀治は声をかけた。


「本当に大丈夫か?無理してるんだったら肩貸すけど。」


そうして気を使う秀治に対し、

女性はちょっと振り向くと

片手をひらひらと振ってみせた。


「平気よ。あと私の名前は加古だから

 …でも名前を聞いたからって勝手に触んないでよ。」


そう言って、女性…いや、加古さんは

人混みの中を歩いていく。


「…なんだ、あの女。」


そうして遠くなっていく彼女を見つめつつも

秀治はため息をついて歩き出す。


「…仕方ない。俺たちも行こう。

 もしあのまま倒れられでもしたら気分が悪い。」


そのあとをチラチラと屋台を見ながら

智也もついていく。


「そうだな…でもなんだか俺はお腹がすいてきたよ。」


確かに、この周囲にあるのは食べ物屋ばかりだ。

肉を焼く匂いに、饅頭を蒸す甘い香り、焼きたてのパンに焼きそばに、

食欲をそそる匂いが洪水のように周囲に溢れている。


「…ま、ついさっき俺たち飯食ってきたばかりだけどさ。」


そうして歩き出す智也に

僕もついていこうと歩き出す。


すると、不意に前を歩く人に遮られ

僕は足を止めた。


…それは先ほどの老人だった。


フェルト帽を被った、

優しげなメガネの老人。


そして彼は僕の方へと顔を向けると、

すっと指である方向を指し示す。


僕はそっちを見て「あっ」と声をあげた。


そこには非常口のサインと共に

階段が見えていた。


そして前を見て気づく。


…そう、加古さんが進んでいた先。

そこは階段ではなかった。


どこまでも密集した人混み。

その中を加古さんはずっと進んで行く。


その後ろを、秀治も智也も進んで行く。


僕は慌てて人混みをかき分け、

三人の元へと走って行く。


…その時、僕は気がつく。


列が進んでいくことでようやく気がつく。


周囲に広がる屋台。

そこでものを食べる人々。


その人たちが、どこかがむしゃらに

ものを食べていることに。


抱えきれないほどのまんじゅう。

串に刺さった魚や肉。


それを彼らはまるで子供のように

口の中にほうばり、貪り、食べている。


屋台の人々はそんな様子を笑顔で眺めているが、

笑いが次第次第にニタニタとしたものへと変化していく。


白い着物を着た人々…

地下で煮炊きした食べものを食す人々…


どこかで聞いたことのある光景。

だが、現実ではありえない光景。


そして、僕は一つの言葉に行き当たる。


『黄泉戸喫(よもつへぐい)』


…それは、民俗学を学ぶものなら

誰もが知っているであろう知識。


死者の国で食べ物を出されたら、

決して食べてはいけないというタブー。


食べてしまえば死者の

仲間入りをしてしまうというタブー。


みれば、周囲にいるのは皆合わせ目を逆に着た着物姿の亡者であり、

彼らは目の前の食べ物を食べることに夢中になっている。


…いつしか、建物の天井が赤くなっていた。


いや、それはもはや天井と言える高さではない。

それは空だ。真っ赤な空だ。


僕は、人混みの先に見える光景を見て息を飲む。


炎が燃えていた。

巨大な火柱。


それは空に向かうようにゴウゴウと燃え、

一層高い炎が吹き上がるとそれは赤い空を舐めた。


同時に、今まで屋台から流れていた食べ物の匂いに混じり、

金臭い匂いが鼻をつく。


ガチャ、ジャラッと金属が擦れるような音が辺りに響く。


「おい、おい、周りみろ。なんだよ、これ!」


人混みの中にいた智也が声をあげた。


その時、ジャラリと近くの屋台から

鉄くずがこぼれ落ちた。

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