第10章「木ノ葉ヅク」

一羽のカラスが、枯れ葉の山から飛び立った。


僕はついた枯葉を髪から払いのけると

公園のベンチで缶コーヒーを飲む。


秋の中頃、山口さんの都合で急にバイトが休みになり

僕は持て余した時間をどうしようかと考えあぐねていた。


ずいぶん寒くなってきたためか、

公園には、セーターやジャケットを着た子供が遊んでおり、

その中にいた一人の男の子が僕の姿を見つけると近寄ってくる。


「…ねえ、兄ちゃんってさ、もしかしてウワサ集めてた人?

 今日は変な看板持っていないけどさ、まだウワサ集めてる?」


僕はその言葉に苦笑する。


…そういえば、僕は夏休みの課題のため

ここで噂話を集めていた。


結果として、僕の調べた当たり障りのない噂は不評であり、

ゼミの中で一番面白い噂話を手に入れたのは、地元の保育園で

話を聞いて検証した橘くんの『街の図書館に存在する古墳の真実』だった。


教授はその内容にさらに調査が必要だと判断し、

夏休みの間にお姉さんを事故で亡くした傷心の橘くんを鼓舞しつつ、

ゼミのみんなを一致団結させて研究内容をゼミ共同の卒業研究へと

昇華させることを約束した。


そんなわけで、テーマも方針も決まった僕らは大いに盛り上がり、

とりあえず現在は事実の裏付けのためにコツコツと

街の郷土資料集めに勤しんでいるのだが…


…はっきり言ってしまえば、

現段階ではウワサ集めはすでに終わってしまい、

それ以上の話を聞く必要は僕にはなかった。


しかし、目の前でキラキラとした顔をする男の子は

何か言いたそうで、僕は「話だけでも聞こうか」と

とりあえず言ってみる。


すると、彼は嬉しそうに僕の隣に座ると

足をぶらぶらさせながらこう話し始めた。


「えっとな、最近、近くの橋の下に変な鳥が出るんだよ。

 夕方だけに出てくる、めっちゃでかい鳥。」


そう言って、男の子は両手を広げて

その大きさを教えてくれる。


「それにな、いっぱい木の葉が付いていたし、

 変な鳴き声を出すんだよ。俺、友達と一緒に見たけど、

 図鑑にも載ってねえし、あれって絶対珍しい鳥だよ。」


男の子は両手を広げたまま、興奮した口調でそう話す。


僕はそれを聞きながらも、

正直あまり面白くない話だなあと思っていた。


…何しろ、大きな鳥はどこにでもいる。


その辺にいる白サギだって羽を広げれば大きいし、

河川敷の木々には多くの水鳥が集まるから

たまたまこの辺には来ない種類の鳥を見ただけかもしれない。


それに、図鑑に載ってないとは言っても、

羽の状態とか体格とか時期によっては違う場合もあるし、

信ぴょう性は甚だ怪しいものだ。


それに、ガセだろうが、真実だろうが、

ウワサは所詮、鳥に関するもの。

鳥マニアでもない限りあまり興味はわかない。


僕はとりあえず男の子に

「ありがとう、いつか使うこともあるかもね」と

遠回しに断りつつ、その場を後にしようとする。


すると、彼は去り際にこう言った。


「それにね、運がいいと鳥がベランダに来るんだぜ。

 俺のとこにも、友達のとこにも来るんだ。

 でも、夜だからあんまり姿は見えないんだけど、

 正直、いつかその姿をちゃんと見てみたいんだよな。」


僕はそんな言葉を聞きながら、

男の子に手を振ってその場を後にする。


そして公園の端に停めておいた自転車にまたがり…


…数時間後、僕は橋の下にある河川敷に降りていた。


理由は簡単、橋の下に財布を落としたからだ。


僕は図書館で資料の一部をコピーした帰り道

橋の上に吹いた強風に煽られ、

自転車ごとカバンを欄干にぶつけた。


図書館の本を大量に詰め込み、

口を開けたカバンの一番上には財布が載っており、

それは欄干の隙間をすり抜けると下の木々へと落下していく。


手を出すも間に合わない。

あっという間の出来事。


そして現在、僕は財布の落ちたあたりを

くまなく探しているというわけだ。


…この場所は一級河川の中でも

最長の幅を誇る川の河川敷だ。


ゆえに、そこにかかる橋も必然的に長く、

広い川の両端には広大な木々がひしめき

ちょっとした森のようになっていた。


確かに『木の葉を隠すなら森に』という言葉もあるが、

正直こんな木々のあいだで財布を探すなんて途方もない

作業のように思えくる。


スマホの時刻を見れば夕方の5時半すぎ、

辺りはもう随分と暗くなり始めてきていた。


川面を吹き抜ける風は冷たく、

あまりの寒さに僕は服のチャックを一番上まで引き上げる。


探し始めて一時間経つも

財布は一向に見つからない。


一応、通帳は別にして部屋のタンスにしまってあるので

大きなダメージにはなりえない。


僕は財布の中の数千円を惜しく思いながらも、

「明日はカードを作り直さなきゃならんぞ」と

悲しみのつぶやきを漏らしつつ、腰を浮かす。


そして帰り道、木々の中で自転車を押していくと、

ふと木のあいだに光るものが見えた。


それは、暗くてよく見えないが

葉のよく茂る大きな木の上にあり

対角線上の二つの光が鈍い色を放っていた。


…もしかして、落とした硬貨が

木に引っかかって光っているのか?


そんな安直なことを考えながらも、僕は慌てて自転車を押し、

水辺に近い数メートル先の木を目指す。


足元には草が生い茂り、

その丈は僕の腰ほどまで届いている。


そういえばこの辺りにはツツガムシとかいう

刺されると高熱を出して身体中に腫物が出来る

恐ろしい病原菌を持ったダニがいたはずだ。


茂みの中に潜む虫に刺されるのは嫌だったが、

でも、財布の価値には変えられず、

わずかな金でも取り戻したい僕は自転車を進めていく。


そうして、木まであと一メートルを切ったところで

僕の自転車が何かを踏んだ。


「あっ」と思い自転車のライトを向ければ、

それは落とした僕の財布であり、チャックの

しまった財布に安堵しつつ僕はそれを拾い上げる。


…その時、妙な音が聞こえた。


「グボッ、グゲッ、グボッ」


何か、泥から湧き出るような、

喉から空気を無理やり吐き出すような

そんな音が上から聞こえてくる。


それは、先ほどまで僕が目指していた大きな木。

河岸にある一番大きな木だった。


そして音はその木の上から聞こえてきており、

僕は異常な音を不審に思いつつ顔を上げ…

その場で動けなくなった。


木に巨大な鳥が止まっていた。


体に木の葉を大量につけ、

羽を両側に広げている鳥。


その幅は一メートルをゆうに超えており、

胴体は人間の肩幅ほどはあった。


しかし、それを見ているうちに僕は気づく。


それは鳥ではなかった。


大量にまとわりつく木の葉の下。

その下から赤黒いセーターが覗いていた。


首に引っかかったネックレス。

そのネックレスにはふた粒だけの真珠が光っており…


…そう、それは鳥ですらなかった。


首のない上半身だけの人間。

血が固まり、その上に木の葉が被さって固まった人間。


それでも、それは息をしているのか首からゴビュッ、ゴビュッと音を立て、

枯葉だらけの腕をカエルの反射のように上下にバタバタと動かしている。


僕はそれに身じろぎ、

とっさに自転車のライトを最大にして「それ」に当てた。


バザザザザッ


凄まじい音、大量の枯葉。


「それ」の落とした枯葉にはウジや小虫が大量についており、

僕は声をあげて全力でそれを振り払う。


そうして最後の葉を振り払って顔を上げるも、

すでに目の前にいた「それ」は姿を消していた。


後には降り積もった枯葉と

川のせせらぎだけが聞こえている。


僕は、今見たものに半ば呆然としつつも

自転車を押し、慌ててその場を後にすることにした…



それから、数日後。


僕はテレビのニュースで

殺人事件があったことを知った。


犯人の男はネットで知り合った女性を家に連れ込み

殺した後に切断してこの近くの河川敷に捨てたという。


未だに女性の全身が見つかっていないそうで警察が

残り身体の行方を捜索しているという旨のことが放送されていた。


僕は学食のテレビでそのニュースを見た後、

借りた本を返すために自転車を走らせる。


大学から図書館に行くまでには橋を渡らなければならず、

周囲には夜の帳が降り始め、街の明かりがポツポツと見え始めていた。


そうして、橋を下った先にある

児童公園まで来た時、僕は気づく。


すっかり暗くなった公園向こうの住宅街。

その一軒の庭先におかしなものがいた。


樹齢20年以上は経つような立派なクスノキ。

そのクスノキの枝に何かが止まっている。


…それは黒いシルエットをしていた。


広い腕を下に垂らし、羽のような枯れ葉を下に落としながら

眼下にいる家の人間をじっと見つめているようにも見えた。


…「それ」は、しばらく木に止まっていたが

やがてゆっくりと腕を広げると

羽のようなその腕を上下に動かし始める。


そして、パラパラと木の葉を撒き散らしながら、

おそらく身体についた枯れ葉を落としながら、

「それ」は僕と遭遇した場所へと…木の上にある寝ぐらへと、

羽音を響かせながら夜の河川敷へと飛び去っていった…

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