第8章「ハラヰグラヰ」

「…兄ちゃん。その古い破魔矢

 こっちに寄越してくれんか?」


人混みでやや方向を見失っていた僕は

その言葉に後ろをむく。


そこには、ほっかむりに菅笠をかぶった

普通の人より顔がふた回りほど大きい男性がいた。


…雪のちらつく神社の境内。


初詣に向かう参拝客の列の端で

その男は蓑の下から細い手を出し、

僕を手招きする。


後ろには『古神札奉納所』と看板が掲げられ、

プレハブ小屋の集積所には昨年の札や破魔矢などが

山のように積まれていた。


「早う、どうせいらんもんだろ?」


僕は集積係の人かと思い、

素直に紙袋から出した破魔矢を渡す。


破魔矢は天井近くに置かれていたために

ホコリやタバコのヤニで汚れていた。


男はそれをおしいただくようにして受け取ると

大きな顔を上げ、懐へと手を入れる。


「兄ちゃん、これやるわ。」


それは、一枚の薄っぺらい木のお面だった。


手彫りなのか荒く削られ、

目や口に当たる部分にはささくれが目立つ。


表面には漆が塗られているらしく、

テラテラと黒光りする面は

どうも触るには躊躇させるものがあった。


「早う、受け取り。後がつかえてる。」


気がつけば、僕の後ろに列が出来つつあった。


僕は慌てて面を受け取ると紙袋に入れ、

バイト先の店長である山口さんを探す。


人混みはかなりのものらしく、

小さな子供がはぐれた親を探して声を上げている。


その顔にも先ほど僕がもらったものと同じ面がついていて、

僕はお面がこの神社でもらえる限定品なのだろうと考えた。


幸い、子供のほうは親がすぐに飛んできて、

肩車をされながら人混みから離れていく。


その時、僕の肩を誰かが叩いた。


「よ、遅かったね。無事に破魔矢返せたかい?

 やっぱ初めての神社だから迷うよね、ごめんよ。」


そう言って、雑貨屋の山口さんは

僕の頭をポンポン叩く。


聞けば、山口さんは毎年この神社で店に置く破魔矢を

授与しているそうで、年末年始をこの街で過ごす

僕を気づかって初詣に誘ってくれたらしい。


「前にも大学の卒業研究が忙しくて実家に帰れない子がいたからね。

 …ま、たまの息抜きと思ってくれよ。」


そう言って、山口さんはお参りを終えると

僕を送るために車を止めてある駐車場へと向かう。


境内の中はまだ初詣を終えていない参拝客で賑わっていて、

小さな川を横目で見ながら僕らは神社の外の道を歩いていた。


その時、僕はふと境内の奥にいる

一人の男の姿を見つけた。


菅笠にわら蓑。

人よりふた回りほど頭の大きな男。


それは、先ほど僕が破魔矢を渡した男で間違いなかった。


男は辺りをキョロキョロと見渡すと

懐から何かを取り出し、じっと見つめる。


それは数本ほどの破魔矢。

汚れ、壊れ、古くなった昨年の破魔矢。


男はその破魔矢を愛おしげに見つめていたが

突然、それに食らいつくとボリボリと食べ始めた。


そうして男はひとしきり破魔矢を食べると口元を拭い、

満足げに息を吐く。


そして、今度は抱えきれないほどの

札やお守りを懐から取り出すと、

これもムシャムシャと食べ始める。


すると、男の顔に変化が訪れた。


男の大きな頭部。

その顔の表皮が少しずつ剥けていく。


額から、鼻から、口にかけ、

まるで虫が脱皮するかのように顔の皮が剥がれていく。


そうして、べろりと一枚分の皮が剥がれると

男は真っ黒な皮を拾い、嬉しげに懐にしまった…


「…なあ、袋の中に何を入れているんだい。」


気がつけば、山口さんが僕の持っている紙袋に

不審そうな目を向けている。


僕は慌てて袋の中を探ると

男からもらったお面を取り出し、

山口さんに見せた。


「…あの、これは…。」


すると突然、山口さんは何の断りもなく

面をつかむと近くの川に放り込んだ。


「あっ」と思って川を覗き込むも

面はすでに川の流れに乗り、遠くへと流されていく。


僕は何をするのかと山口さんに問いたかったが、

先に山口さんの方が口を開いた。


「…いいんだよ、あんなもの川に流したほうが…。」


山口さんはそう言うと

駐車していた車にさっさと乗り込む。


僕も慌てて助手席に乗り込みながら、

あの面は何なのかと山口さんに聞いた。


「厄だよ」


山口さんはそっけなくそうつぶやくと

タバコに火をつけ、ゆっくり車を発進させた…




 

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