第7章「公園後奏曲(1)」

七月の終わりごろ。


僕は団地の前にある児童公園のベンチに座っていた。


昼下がりの午後。


公園には夏休みに心躍らせる子供が集まり、

備え付けの遊具や家から持ち出したと思しき

携帯ゲームで好きなように遊んでいる。


僕は「夏休みウワサ捜索隊、みんなのウワサ教えてください!」

とクマともウサギともつかないイラストの描かれたボードを傍らに置き、

顔から火が出そうになるのをこらえながら必死に公園の子供の人数と

年齢層、その中の数人から聞いた噂話をノートに書き込んでいく。


…ことの発端はゼミの教授である。


彼女は突発的に何かを思いつく癖があり、

それを教え子である僕らに強要させることに長けていた。


そして彼女は何枚もの手描きのイラストの

書かれたボードを持ち込み、こうのたまった。


「フィールドワークに向かうように。

 対象はこの街の子供たちだ。

 彼らの口から語られる街の噂を集めて検証してくるように。

 夏休みのあいだに一番面白い結果を持ってきた子には

 この街で売っている限定アイスをあげよう。」


そう言って、教授は嬉しそうに下手くそな

イラストの描かれたボードを配っていく。


…僕は、食べたことがあるので知っているのだが、

それは街の中心部にある老舗和菓子屋の棒つきアイスであり、

明治創業の歴史と文化を歌ったアイスは大して美味くない上に

駄菓子程度のお値段の代物だった。


「あの…俺、卒業研究のために母方の実家のじいちゃんから

 土地の民話を聞けるように夏休み調節したんですけど。」


そう言ったのはゼミの中でも一番真面目な橘くん。

しかしながら教授は快活な声でこう返した。


「キャンセルしなさい、そんなもの。

 どうせ話を聞くだけなら電話でどうにかなる。

 それに地元の民話はだいたい地元の人間が調べ尽くしているはずだよ。

 図書館や資料館で見比べているあいだに夏休みは終わってしまうぞ。」


教授はそう言いながらボードを橘くんに押し付ける。


「それより、今。現代に生きる子供たちの噂を集めなさい。

 過去から引き継がれる怪談、近代の都市伝説。

 子供の口から語られる噂話は歴史と文化の塊なんだ。

 それ以外のレポートの提出を私は認めない!

 卒業研究にもつなげる予定だから心してかかるように。」


橘くんは、それを聞いて絶句する。


聞けば彼の準備は大学入学当初から始まっていたらしく、

必死にバイトで貯めた金を使って祖父の元へと行き、

後々その研究を土台にして祖父の土地で名を残すことが

彼の夢だったそうだ。


そんな訳で彼の周囲にご愁傷様な空気が漂い、

ゼミが終わった後、みんなで彼を慰めるために

夜の街へと飲みに連れ出したりしたのだが、

それはまた別の話である。


…ともかく、卒業研究を何も考えていなかった

僕にとって、この話はまさに僥倖だった。


基本的に話を集めるだけでいいし、

公園ならどこでも良いということで

フィールドワークのお金もかからない。


楽な課題。

最初こそ、そう思っていたのだが…


「兄ちゃんのこの絵、ヘッタクソー!

 バイバーイ!」


腕を振り回し、笑いながら

半袖シャツの男の子が逃げていく。


子供は素直だ。

素直なだけに残酷だ。


そして、こう言ってくるのはすでに十人目だった。


そもそも、この一週間のうちに僕に話しかけてくる

子供は十人にも満たなかった。


みんな僕を遠目で見ていくか、

からかっていくか、無視するか。


たまに寄ってきて話をしてくれる子も

「トイレの花子さん」だの

「白線の白くないところを歩くと呪われる」だの

どれもネットで聞いたようなありきたりな話しかしてこない。


僕は暑さと疲れが限界に達し、

とうとう、この課題に意味はあるのかとすら考え始めてきた。


そうなってきたら、もう潮時だ。


僕は今日の調査を打ち切ろうと思い、腰を浮かす。


…だが、その時だった。

どこからか着信音が聞こえてきたのは。


断片的な、音の途切れるメロディ。

しかしどこかで聞いたことのあるような音色。


子供の携帯か子供を見守る大人たちのスマホか。


だが、周りを見渡しても

子供は気にする様子もなく遊び続ける。

大人も横目で子供を見ながら最近の話題に花を咲かせる。


僕は放っといても良かったのだが、なんとなく音のする方に惹かれ、

音源となっている遊具…大きなタコの形をした滑り台の足の下。

子供が中を通っていくように作られたスペースの中で…見つける。


…それは、青い光を放つ一台のスマートフォンだった。


着信のバイブ機能が付いているのか、

わずかに機体が揺れている。


その画面には簡潔に「チカちゃん」と

名前だけが入っていた。


「あ〜、これ『チカちゃん電話』だ。」


幼い子供の声。気がつけば、

目の前に小学生ぐらいの女の子がいた。


そして、彼女は嬉しそうにスマホを取り上げると、

「もしもし」と言って電話口に話しかける。


そうして、ひとしきり電話の向こうと話をした後、

彼女は通話を切り、コンクリートの上にスマホを戻した。


「…何してるのかな。」


僕は彼女に聞いた。


すると彼女は今僕に気づいたかのように

ハッとし、続いて僕の持つボードに目をやり、

目をパチクリさせながらこう答えた。


「知らないの?これ『チカちゃん電話』だよ。

 みんなの相談をチカちゃんが聞いてくれるの。」


そして、彼女は床に置いたスマホを拾い渡してくる。


「たまに公園に置いてあって、

 話しかけると色々答えてくれるの。

 勉強とか、遊びとか、チカちゃんは物知りなんだ。

 学校でも噂になっているんだよ。」


スマホを手に取るも、すでに電池が切れているらしく

真っ黒な画面はうんともすんとも動かない。


そして、僕はもう一つのことに気がつく。


スマホは黒いラバーのケースに入っていた。

市販で売られている、どこにでもあるスマホケース。


しかし、その裏にどこかべとつく感触があった、

みれば広い範囲に何かが乾いたような跡がある。


それは手に触れると黒っぽい茶色で、

ほんの少し金気のある匂いがした。


僕はそれを持っていたティッシュで包むと、

緊張を悟られないようにしながらも、

これがいつから置かれるようになったかを

少女に詳しく聞くことにした…

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