第6章「花食鬼」

駅の裏、広い墓地の端にそれはいた。

背を丸め、一つの墓の前で一心に何かを貪り食っている。


ハラハラと足元に散る花。

菊にミソハギにカーネーション。


口からこぼれ落ちる花びら。


そして、背を丸めた真っ黒な子供は

ひとしきり花を食べると茎だけになった束を足元に捨て、

また一つ、近くに供えてある仏花に手を伸ばし始めた…


「…また、いますね。あれ。」


隣にいた半袖のサラリーマンがつぶやく。


暑いのか額の汗を拭きつつ、

塀の向こうの墓を見つめている。


彼はこの近くの証券会社の社員で、

夏休みのバイト期間の僕と出勤時間が重なるらしく

時々こうして話しかけてくれる。


「出勤前にああいうものを見ちゃうと参りますよね。

 でも、人が近くに行くと姿が消えてしまうらしいし、

 この辺りに住んでる人の話じゃ、数年に一度くらいの

 頻度で出てくるものなんだそうですよ。」


そう言って、時計を見ると

時間がないと思ったのか少し早足で歩き出す。


「でも、見るだけなら特に何もないようですし、

 お盆近くの風物詩だと思えばいいって

 会社仲間は言っていました…。」


僕はそれを聞きつつ、ちらりと墓を見る。

そこには、まだ、あの影が座り込んでいた。


子供のような姿。


ガリガリに痩せ細り腹だけが浮き上がった

それは一心に仏花を食っている。


僕は歩き出しながらも、

その影から目が離せず…


「…うちの辺りじゃあ、単に『あれ』とか『それ』とか呼んでいるよ。

 家の中に入ってこられても困るし、この時期になると寺から札が

 配られるから、魔除けとして玄関に貼っているんだ…」


そう言って、バイト先の雑貨屋の山口さんは

勝手口に貼られた紙を指差した。


そこには、朱と墨で書かれた絵があった。


炎のような朱い菊の中に

白い衣をまとった女性が佇んでいる。


その瞳は朱く塗られ、周りには梵語だろうか、

僕には読めない字が左右に縦書きされていた。


「…絵の女性は、昔このあたりにやってきた尼さんだとか、

 海の向こうから来た大日如来の化身だとか色々言われているよ。

 ともかく、この人の御姿を置くことで厄災が避けられるらしい。

 ま、詳しい由縁なんか、俺は知らないけどね。」


そう言いつつも、山口さんはカウンターの後ろをゴソゴソと探り、

中から一本の筆を取り出す。


「…とはいうものの、

 見えた以上は何かあったら困るからね。

 後ろ向いて。すぐ済むから。」


僕はわけがわからないままも、素直に後ろを向く。


すると山口さんは墨をつけない真っ白な筆で

僕の背中にさらさらと何かを書き付けた。


「…よし、これでいいだろう。

 地元の坊さんから教わった方法だ、効果もあるさ。」


そう言って、山口さんはポンっと僕の背中を叩く。


「念のためだけど、そろそろ何かあるって聞いてるからね。

 唯一のバイトがいなくなっちゃあ困るから。」


僕はその意味がわからないままも、

その日のバイトを務め終え、無事、自宅へ帰った。


…その、翌日のことである。


僕がいつものように出勤しようと寺の裏を歩いていると、

道の端に救急車とパトカーが何台も止まっていた。


周囲には人だかりができ、物見高い人達が

スマホや携帯で写真や動画を撮っている。


「担架、担架持ってきて!」


「撮らないで、写真撮るのはやめてください!」


悲鳴のような声、救急隊の声と人混みに押されつつ

僕はバイト先に行かなければいけないので先を進んでいく。


…そして、見た。


黄色いテープの貼られた墓地に、数人ほどの人がいた。


出勤途中のOLに、老人、サラリーマン…

彼らは皆体を丸め、何かを貪り食っている。


救急隊の人や警察が彼らを墓から無理やり引き剥がし、

担架に乗せて運んでいく。


それでも彼らは食べるのをやめない。

手を動かし、食べるのをやめない。


彼らは食っていた。墓に供えられた花を。

菊やカーネーションが束ねられた仏花を。


そして、運ばれていく人たちの中に

僕はあのサラリーマンを見た。


うつろな眼窩、口の周りには菊の花びらが大量についている。

それでも彼は手元にある花を咀嚼し、飲み込み…


「…何十年ぶりだろうね、

 あの時にはもっと多かった。」


「…あの人たちも憑かれたんだろうねえ。

 かわいそうに、一生あのままだよ。」


人混みの中、年寄りたちの

ポツリポツリとした話し声が聞こえる。


僕はそれを聞いてから墓を見つめ…

その場を離れることにた。


…あれから二ヶ月。


テレビのローカルニュースやネットでは

たびたびこの話題が取り上げられる。


集団ヒステリーや熱中症で起こった幻覚など

考察はささやかれど実際のことはわからないままだ。


僕はニュースを見ていたスマホを消すと

大学へ向かう準備を始める。


…今でも思い出す。

あの墓で花を貪る人たち。


うつろな眼で仏花を貪る人たち。


そして、その背後。

墓の中心部に『あれ』がいた。

人々に混じり『あれ』は確かにいた。


『あれ』は墓から湧いて出てきていた。


十、いや二十、わらわらとぞろぞろと

『あれ』は中心の墓石から湧き出していた。


そして、彼らは花を食べる人たちにしがみ付いていた。


何人も、赤子のように、

花を貪る人たちの腹や胸にしがみ付いていた。


その数が増えると墓場の人たちはさらに花を貪る。


墓の周囲の仏花を手当たり次第につかみ、

醜態を見せながら、食らい、貪り続ける。


僕はそれを目の当たりにした。

いや、それを見つめることしかできなかった。


背に手をやり、書かれた梵字のことを思い出しながら

その光景を眺めることしかできなかった。


…結局、あの証券会社のサラリーマンが

その後どうなったのかはわからない。


ネットの情報では病院に行った人たちは

今も退院できていないという。


彼らに何があったのか。

結局『あれ』はなんなのか。


山口さんに聞いても、

あれが何なのかはわからないと言われた。


…僕は今も週に一回のバイトに通っている。

自転車を使い少し遠回りだけど雑貨屋に通っている。


だが、あの日以来、

僕は寺の裏の道を通ることはなくなった…

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