第5章「人集める牛」

雪が降っていた。


降りしきる雪は風にもまれ、

病室の窓にいくえも貼り付いていく。


ついた雪は部屋の熱で溶けていき、

窓にいくつもの筋を描いていく。


…それを見ている女性がいた。

着物姿で大きなお腹に手を当てた若い女性。


長い髪をひとくくりに垂らし、本を開いていたが

病室に入った僕の姿を認めると彼女は本を閉じ、

困ったように笑って見せた。


「…ごめんね、急に呼び出しちゃって。

 ゼミの頃から半年ぶりになるのかな。

 できれば、ここの最近の話を聞かせてくれない?」


そうして、彼女…僕の大学のゼミ仲間であった

天城結衣花さんは僕の話に静かに耳を傾ける…


…半年前、彼女は結婚を機に大学を辞めていた。


突然のことに僕らは驚いたが、

彼女はただ「両親が決めたことだから」というばかりで

詳しい事情は教えてはくれなかった。


…あれから、半年。


苗字はすでに天城ではなくなってはいたが、

彼女は相変わらず落ち着いた雰囲気で僕の話を聞いてくれた。


そして、話がひと段落した頃。

彼女は静かに窓を見つめ「ねえ、聞いてくれる」とつぶやいた。


「こんな話、周りの人には聞かせられなくて…

 あなたのような普通の人に聞いて欲しかったの。

 普通の、平凡な人に…。」


そうして、彼女は語り出す。

ここに来るまでの経緯を病室に入るまでの経緯を

彼女は静かに語り出した…


…結衣花さんは、地元では有名な名士の家の生まれだった。


幼い頃からすでに許嫁が決まっており、

大学在学中に形だけの見合いをさせられ

すでに決まっていた相手の家に嫁ぐこととなった。


「…古い慣習だよね。

 見合いをしてみるだけでいいからって言われてそのまま。

 両親も、相手側も、結婚が決まった途端にすぐに大学を

 辞めるように迫ってきて…こっちの意見なんか、

 まるで聞く耳を持っていなかった…」


そう、ため息をつく彼女も妊娠するのは早く、

結婚から一月もたたないうちに

病院で検査を受けることとなった。


「…両親が呼ばれたの。私の親と相手の親。

 彼らは一時間ほど別室で話をして、私をこの個室に入れたの。

 …それから、もう半年経つのかしら。」


彼女は、ベッドの向かいを見る。


「…それからね、この病室に人が来るようになったの。

 男性も、女性も…会ったこともないような人がたくさん。」


僕はその視線の先を見て、ぎょっとする。


彼女のベッドの向かい、

半分だけカーテンが開けられた場所。


僕は最初、そこを他の患者が使っている

ベッドだと勘違いしていた。


しかし違う。


カーテンの向こう。

その奥に大きなひな壇があった。


上には見舞いのための花やフルーツ…だけではなく、

赤い着物、鞠、おもちゃ、人形、ぬいぐるみ、掛け軸まで

大量の贈り物が所狭しと並べられている。


その、どれにも人名のタグが付いていて、

どこかで見たような名前が書かれ、

僕はその異様な雰囲気に圧倒される。


彼女は自分のお腹を撫でて目を伏せた。


「…実家にね、古い離れの座敷と言い伝えがあるの。

 私の家で生まれる子供…何十年かに一度くらいかな。

 予言をする子供が生まれるんだって。

 特別な『牛』の相を持った、子供が生まれるんだって。

 その子を育てるために離れの座敷を使うんだって…」


そう言って、彼女は手を止める。

手が、かすかに震えていた。


「…それにね、私、半年前から毎晩、同じ夢を見ているの。

 吹雪の中、私は赤い着物で紐を引っ張って歩いていく。

 その紐の先に牛がいる、赤い着物の牛を私は引いていく。

 前と後ろにも同じような女性たちが連なっていて、

 彼女たちが引いていく牛と共に歩いていく…そんな夢…」


彼女は、カタカタと震えていた。

肩を震わせ、着物を握りしめて震えていた。


「…正直、信じていなかった。

 そんなの、ただの言い伝えだと思っていた。

 昔話みたいな現実にはないことだと思っていた…」


彼女は必死に声を振り絞る。


「…でも、腹部エコーを撮った時に、私見たの。

 あの子の姿を見てしまったの。

 それにあの夢…私が引いていた牛。

 あれは牛なんかじゃなかった。

 そう、あれは…あれは私の…。」


その時だった。

ドアの外から、誰かがやってくる足音が聞こえた。


それを聞いた途端、彼女は顔を上げ、

僕に悲しげに微笑んでみせる。


「…ごめん、別のお客さんが来たみたい。

 みんな、私の赤ちゃんを見たいんだって、

 いつか生まれてくる娘の声を聞きたいんだって…。」


そうして、彼女は泣きそうな笑みを見せながら

僕に小さく「ごめんね、ありがとう」と言った。


僕はそれに逆らえず、静かに病室を後にする。


…ドアから出ると、

一人のスーツ姿の男性とすれ違った。


彼の風呂敷からはブランド物と思われる赤い産着が覗いていて、

その顔はテレビでよくみる有名な政治家のものだった。


僕は彼を一瞥から、エレベーターへと向かう。


…彼女の実家では予言をする子供が生まれるという。

『牛』の相を持った子供。離れで育てなければならない子供。


その子供のために、多くの政治家や有識者が

玩具や着物を持って彼女の元を訪問する。


…でも、何のために。

予言をするというのなら、何のために。


それに、『牛』の相とは何なのか。


そして彼らは、ここを訪問する人たちは、

彼女の子供から、一体、何を聞くつもりなのだろうか…。

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