第4章「残響図書館」
書架に囲まれた狭い学習コーナー、
そこで一人の老人が読書をしている。
痩せこけた手。
落ちくぼんだ眼窩。
皮膚が顔に張り付き完全に白濁した目は
なおも本の活字を追い続ける。
首から背中に死斑が浮きあがり、病院着を着た老人は
それでもページをめくる手を止めようとはしなかった。
「…きみ悪いでしょ?あのおじいさん。
もう数ヶ月前に病院で亡くなっているのに。
まだここに通いつめてんの。」
そう言うと、この図書館で司書を務める美江さんは
寒いのか半袖の腕をさすってから、ため息をついた。
彼女は僕の友達のお姉さんであり
本を借りに来る僕に時々愚痴をこぼしていく。
ここは駅の大通りからわずかにそれた細道。
狭い路地を抜けた先にある小さな図書館だ。
なんでも明治の頃に建てられた街で初めての図書館だそうで
建物としての歴史的価値は十分にあるという。
「…でもねえ。交通も不便だし、土地も手狭。
駅から近いとはいえ十分以上は歩くし。
駐車場なんか車4台も入ればいい方だし
…結局、古いだけなのよね。ここって。」
そう言って美江さんはため息をつき、
僕の後ろを通り抜けていくおばあさんを
見てさらに嫌そうな顔をする。
「…ほんとになんでこういう人ばかり来るのかしらね。
今通ったおばあちゃん、昨年、脳溢血で葬式出した
はずなのよ?」
みれば、そこを歩いて行くのは
ピンと背筋を伸ばした上品な着物姿の骨である。
美江さんは頭を抱える。
「…いや、おかしいのはわかっているのよ。
死んだ人がこんな場所ウロつくわけないし。
でもね、根拠がないわけじゃないのよ。
ここの敷地にね、小さな古墳があるの。
多分あれのせいなのよ。」
そう言って、美江さんは奥のガラス戸を指さす。
…そこは、木も花も植えられていない手狭な庭。
地面が少し不自然にうきあがり、
苔が生えている以外は何もない場所。
だが、美江さんの話ではこの場所は上から見ると
前方後円墳の形になっているという。
「…ここはね、もともと豪族の土地だったんだけど、
金持ちが子孫から買い上げて整備したところなの。
荒地を土地開発して今のようになったらしいわ。
その中心にあったのがこの図書館と古墳。
だから、おかしなことが起こると古墳のせいだって
昔から言われていたのよ…」
そして、「あーあ。」と
ため息をつきながら美江さんは頬づえをつく。
「…でね、この建物って実は老朽化がやばいの。
10月までに街がここを解体することを決定してね。
そう遠くないところに新しい図書館もできているし、
お払い箱?って感じなのからね。
私も片付けの仕事を任されているし…」
と、そこまで言ったところで
美江さんは慌てたように立ち上がった。
「そうだそうだ、まだ片付けの最中だったんだ。
8月中に大方の本を片付けておかないと、
館長に怒られちゃう…。」
そうして、今気づいたかのように
美江さんは僕の服装を見て首をかしげた。
「…あれ?そういえば今日はヘルメット被ってるね。
暑そうな作業着も着込んでいるし、
次の授業、建築学でも取ってるの?…真面目だねえ。」
そうして、ケラケラと笑った後、
美江さんは本を取るためにくるりと後ろを向く。
その瞬間、彼女の後頭部が丸見えになった。
頭骨の崩れた頭部。
赤黒く、何か肉片の飛び出した頭部。
しかし彼女は気にするでもなく、
書架の本を下にある段ボール箱に詰め込んでいく。
僕はその様子を眺めてから、
そっとその場を離れ…
…ブルーシートの向こう、
イチョウの葉が落葉する図書館の外へと出た。
駐車場には解体工事の作業員が何人も行き交いし、
彼らに混じって話をしていた教授は僕を見つけると手を振った。
「…お、どうだった?中の様子は。」
僕は肩をすくめると、
中で美江さんと会ったことを伝える。
すると教授は感慨深そうにうなずいて見せた。
「…ああ、橘姉弟の姉の方ね。
残業中に梯子から足滑らして死んじゃったんだよね。
…教え子の中でも優秀だったけど、化けて出てきたか。」
そうして教授は持っていたペンで頭を掻くと、
クリップボードに挟めてあった写真を見る。
「…でもねえ、街の依頼もあって詳しく調査はしてみたけど、
やっぱりこれはただの盛り上がった地面だよ。」
そう、教授が見ていた写真。
その写真の被写体は美江さんが
先ほど古墳と呼んでいた中庭であった。
「…確かに、ここの土地を買ったのは地元の名士であった
Kさんなんだけどさ。豪族の土地だったなんて真っ赤な嘘。
ここは江戸の中期に開墾したけど使い勝手の悪い土地の
処分に困っていた百姓から買い上げたところなんだよね。」
教授はそう言うと一緒にボードに挟めていた
数枚の本のページをコピーしたものを僕によこす。
「元はただの農耕地だし、Kさんは図書館を建てた後に
中庭にいくつか植物を植えてみようと試みたんだけどさ、
結局育つのに適さなくてあきらめた場所なの。
彼の日記に詳細がかかれているから、見てもいいよ。」
僕は渡された日記を流し読みし、納得する。
…確かに、その日記にはいついつどこで誰から土地や樹木を買ったか、
その用途まで詳しく表記がなされていた。
しかし、買い取ったもとの土地の所有者の由緒については
代々百姓をしていたくらいの記述しかなく、
そこには豪族の豪の字も入っていなかった。
…しかし、疑問は残る。
僕は美江さんを含め図書館の中で
死んだ人たちに会っていた。
これは一体、何を意味するのか。
すると教授は肩をすくめてみせる。
「…さあて、『鰯の頭も信心から』って言うからね。
長い間、みんなであの場所を古墳と信じていたから、
実際おかしなことが起こるようになったんじゃないのかね。
そういう点では、確かにあの場所が奇妙な現象の
触媒となっていた可能性は否定できないけどさ。」
そうして、教授は僕からコピーを取り上げると
再びクリップボードに挟んで顔を上げる。
「ま、結局は霊なんて死んだ人間の残響音みたいなものさ。
あの場所を信じてしまった人々の残滓。
それがたまたま、中の様子を見に行った君に
見えてしまった…ただ、それだけのことだよ。」
そうして、教授は近くに控えていた工事現場の人たちに
合図すると、養生用のブルーシートを外させる。
「だからこそ、こちらは向こうに感傷…もとい干渉しない。
さっさと仕事を済ませてしまうに限るのさ。」
僕はブルーシートのない図書館の姿を見た。
その建物には、窓ガラスも、本棚すらもない。
中をうろつく亡霊たちも美江さんの姿もない。
綺麗な空っぽの建物。
何もない空間。
残響すら残っていない図書館。
僕はそれをただ見つめる。
その時、一台のユンボがやってきた。
黄色の巨大なユンボ。
そして、ユンボは図書館に巨大な爪を立てると、
やがて何もかも、跡形もなく壊してしまった…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます