第3章「隧道煙(ずいどうえん)」

隧道ずいどうっていうのはトンネルのことだよ。

 昔はそう呼んでいたんだ。」


バイト先である雑貨屋の山口さんは、

街の地図をにらむ僕に届け出先の小包みとともに

妙なガラクタを持たせてくれた。


それは、棒を×の字に固定して上半分の先端に糸を渡し、

中心に丸い発泡スチロールの球を通したものだった。


見てくれは、×字型のへたくそなパチンコにも見える。

素直にそれを伝えると、山口さんは苦笑した。


「まあね、でもそれは、トンネルに入った時のお守りだから。

 霧の出る日にそれがないと出られないこともあるんだよ。」


「なんのために」と聞くと

山口さんは少し言葉を選びながら話し始めた。


「…道にね、迷うんだよ。トンネルの中にまで霧がたちこめて、

 距離が何十倍にも感じられる。どこにいるのかわからなくなる。

 そしたら届けることなんて二の次にして、すぐにでも車を

 停めて道の傍らにこれを置くんだ…いいね?」


そう言って、まだよく事情が呑み込めない僕に対し、

山口さんはお守りを押し付けるようにして渡した。


…それが、三十分ほど前の話。


僕は木々に囲まれた山間の道を進み、『刀口頭隧道』と

どう読むのかわからないような漢字で書かれた古めかしい

トンネルへと入っていった。



案の定、しばらく走っていると周囲に霧が立ち込めてきた。


本来、霧は外で発生するものなのに、

ここではトンネルの中にまで入り込んでいる。


変わったこともあるものだと思い、

車に据え付けられた時計を見ると、午前10時半。

僕はそのままハンドルを握ると走り続けた。



もう、十分以上は経った気がする。


確かトンネルに入った時には午前10時半だった。

しかし、車内の時刻はいっこうに進まない。


まっすぐなトンネルはどこまでも続き、

霧によって視界はぼんやりとしか見えない。


時計の故障か、よほど長いトンネルなのか、それとも…


僕は、ちらりと助手席に置いていた

山口さんのお守りを見た。


中央のピンポン玉が

車の振動によって揺れている。


僕は車を路肩に停めると、

内心山口さんの言葉をいぶかしみながらも、

お守りを持って車から出た。


その時、気がついた。


霧は、どうやらトンネルの向こう、

僕の向かう先から漂ってくるらしい。


しかし、それ以上考えても仕方がないので、

僕は山口さんに言われた通り、お守りを壁に立てかけた。


…側から見れば、おかしな光景かもしれない。


一人の人間が出来損ないの玩具を持ってトンネルの隅に

それを立てかける…そこに、なんの意味があるだろうのか。


僕はなんだかバカバカしくなり、

その場から離れようとした。


…だがその時、おかしな音が耳に響いた。


ピリ、ペリリ、ピリ、


僕は音のする方向、立てかけられたお守りを見て、気づく。


両端に結ばれた糸。

その中央につけられたピンポン球が揺れていた。


いや、揺れているだけではない。

徐々に、その表面が削がれていく。


ガリ、ガリリ、ベリリリ…


りんごの皮を剥くように、人参の皮を剥くように、

徐々に、徐々に、勢いを増しながら、

ピンポン球の表面が削がれていく。


ジュリ…


最後に、そんな音がしたかもしれない。

そこには、ピンポン球のなくなったお守りだけがあった。


気がつけば、霧も消えている。


出口がすぐそばに見え、僕は当初の目的を思い出し、

トンネルから出ようと車に乗り込もうとした。


だが、どこか引っかかるものを覚え、

僕は立てかけたお守りを手に取ると

ようやく車に乗り込んだ。


みれば、霧の消えたトンネルは頻繁に清掃がなされているのか

草一本生えておらず異様に綺麗な場所だった。



そうして、数分もかからずにトンネルを出たころ。

僕は、出口付近で車を停めた。


田んぼの広がる道路の脇。

畦道の一部に猫の額ほどの四角いスペースがあった。


そこに、野焼きに使われるのか大量にゴミが積まれている。


いや、それはよく見ると、

棒を×の字に固定して上半分の先端に糸を渡したもので、

丸い発泡スチロールがないその形は、僕が今しがた

回収したお守りとそっくりの形をしていた。


僕は、お守りだったものを手に持ち、車から降りる。


ずいぶん前から積まれていたのか、

それらのお守りは所々汚れ、紐が切れたものもあった。


しかし、それよりも気になることがあった。


積まれたゴミから数メートルほど先。

その隣に同じようなゴミを燃やしたような跡があった。


未だくすぶる煙と残骸。

そしてその周りに、足跡があった。


深いものから浅いものまで、

小さなものから大きなものまで、

明らかに10人以上はいたと思われる靴跡が

ベタベタと燃やした跡を囲むようについている。


まるで、つい今しがたそこから出て行ったような靴跡。

何かをしていたような靴跡。


そして僕は思い出す。


あの煙がトンネルの向こう、

この場所から流れてきたことに…


その瞬間、僕はお守りを積まれた残骸の中に放り出し、

慌てて車に乗り込んだ。


車のキーを回し、元来た道。

トンネルから、自分の街へと車を走らせる。


彼らが何をしていたかはわからない。

だが、そんなことより、とにかくここから離れたかった。


そして僕はトンネルを抜け、

命からがら街の中へと逃げかえった…。

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