3,秋の陣

春の陣と夏の陣の思い出に浸っているうちに店内には続々とお客が入ってきた。

皆も腹の虫がごねたのだろう。もしくは駄々をこねる前に黙らせてやろうという腹積もりなのかもしれない。

3席隣のサラリーマン風の中年男性の「野菜味噌ラーメンお願いします」という声が聞こえてきた。味噌か。悪くない決断だねと心の中でつぶやいた。

やや保守的ではあるが野菜というところがいい。炒め野菜のシャキッとした歯ごたえに味噌スープの塩辛さが相まった味わいを想像すると思わず口内によだれが溢れた。

考えただけでものどに引っ掛かるくどさを感じた。

「お待たせいたしました。こってり中華チャーシュー麺になります。餃子は少々お待ちくださいませ。」

なります。んー…なります。まぁいいか。

今は言葉尻について長々と疑問を並べる時間ではない。眼前においでなさった

「こってり中華チャーシュー」もとい、こてやんに辛抱たまらんと

箸を伸ばさなければならない。

ことラーメンに対しては貪欲なほどの「がっつき」が必要とされる。

塊肉を前にしたライオン、カエルを前にしたヘビ、ハダカの女を目の前にした俺。

ホテルに到着する過程で焦らしに焦らされたのだから部屋に入ったらもう

とっとと脱がして馳走になろうというそういう男のリビドー。

居ても立っても居られない。いやむしろ勃っているのだが、みたいな。

いっただきまーす、颯爽と箸をスープとチャーシューの下に隠れた麺に向け沈める。

たしかな感触を箸先を通して感じると真上に持ち上げた。

スープに混じっている白い玉ねぎのみじん切りとそれまた白い5ミリ角の背脂が中太のストレート麺にこれでもかというような具合に絡み付いてきた。

あれ蜘蛛の糸っていうなんかお話がありましたよね。アレアレ

蜘蛛の糸ならそんなにくっついていたら千切れてしまうのは無理もないのだけど

これは比較的コシが強めな麺の話なのでそのような事態には陥らないのでご安心。

箸先を口に運び麺を音を立ててすするとひと噛み、ふた噛み。麺の香りと味が口いっぱいに広がると同時にカツオ出汁の鮮やかな魚介の香りが鼻を抜けた。

むしゃむしゃと余韻を混ぜ合わせひと飲みにすると刻み玉ねぎと背脂の残留思念だけが舌先に残った。あっさりしているのに妙な粘っこさ。そして流れ込む大量の脂が

胃に直接与えるレバーブロー。胃なのにレバー。胃に直接過度な負荷をかける。

目に見える地雷とはこのことで薄ら赤黒いスープを覆いつくしてしまうほどの白い角背脂が融解して厚さ15ミリは最低あろうかという透明なオイルの層が作られる。

それが「こってり中華チャーシュー」の最大の特徴なのである。

この店のメニューのほとんどはかつお出汁ベースの醤油味で出来ていてそれの派生で

五目ラーメンやあっさり中華なんてのもある。魚粉の利いたつけ麺の類も人気で

ほとんどの方はそれを目当てにして来店をしている感じも受ける。

言ってみれば、こてやんが異端者で場違いなのだ。

スープをさらい飲もうものなら

「おっと邪魔するぜ」とばかりに、あるいは「来ちゃった❤」みたいな押しかけ女房風に狭いレンゲに背脂がなだれ込んでくるのである。つくづく粘着質。

そこに混じる刻み玉ねぎは存在感をさほど感じさせないが着実に仕事はこなしている。要するに押し付けがましくないのだ。前に出ない人柄がにじみ出ていてとても好感が持てた。

具材の方々もそれぞれに役割をこなしている。

鶏チャーシューは箸で持ち上げたとたんに崩れそうなほどの脆さではあるが

それが味わい深い。鶏肉らしいしっかりとした身質を味わうことを目的としては作られていなくコラーゲンのような脂身の甘さと舌ざわりが際立っている。

その脂身は醤油と出汁をその身に程よく馴染ませたスープの煮凝りのような

うまみ凝縮体なのだ。 茹で小松菜は持ち前の苦みで場を落ち着かせてくれる。

それ以上でもそれ以下でもないのだが彼がいるのといないのでは雲泥の差で

ほうれん草では身が持たないしチンゲン菜では締まりがなくなるという

絶妙な立ち位置を見事果たしてくれているのだ。

太メンマはなんと言えばいいのか。好き嫌いが分かれるところだと思うが

太いというところに心意気を感じてやまない。

報われないのである。彼はいつも脇役でひょろっとしていて気持ち添えられているだけのことが多い。

主役の座を夢見て頑張って太くなってみた。その覇気だけは汲んでやろうと思う。

そういったキャラクターはどこにでも必要で愛すべきなのだ。

2口ほど麺をすすりチャーシューに手を付け小松菜も味わった。

スープと脂の融合液もレンゲですくい飲む。一口、二口と飲み進めると鼻水が滴り落ちてくる。それをティッシュで拭うと再び麺に箸を伸ばした。

「お待たせしました。特製餃子3個入でございます。ご注文は以上でおそろいでしょうか?」はい、と言いうなずくと伝票を残し店員は調理場に戻っていった。

春の陣はこの餃子が命取りとなった。

こてやんのポテンシャルを知る由もない俺は3個入ではなく6個入りを注文してしまったのだ。それが仇となった。

餃子は特製と銘打っている割には可もなく不可もなくという平凡な美味さなのだが

決して不味いというわけでもない。大きさは小ぶりだが熱々なせいで一つ食べるのにも時間がかかるので「食った」という達成感を感じることができた。

結果、その小さな白い伏兵6体と背脂という目に見える地雷の合わせ技一本を無理して完食したため帰宅後にすべて吐き戻してしまうという事態を迎える事となってしまった。

もう1度、結果から言ってしまうと夏の陣は暑さと前日からの飲酒による胃の疲弊によりあえなく撃沈したということなのだがこの際は春の二の舞を演じまいと餃子は3つ入りを注文した。

今となっては「餃子3つにすればいくらかいけるだろう」などという物事の本質すら見失った愚行でこの時の俺はやはり精神的に余裕がなかったのだなと振り返ることしかできない。

現在、この餃子と顔を合わせて対峙している胃の状態は良好で精神的負荷もないしすこぶる空腹である。

稀にみるベストコンディションといっていい。

餃子の艶やかな白肌を見るとよだれが滲んできたので早速以て食わなければな。

急ぎ足で白い小皿に餃子たれと酢とラー油を入れ気持ち混ぜ合わせと餃子の一つに箸を伸ばし小皿へチョンチョン。お口へパクん。

熱々、ホフホフ、肉汁ぶしゅう。舌もジュウジュウ、火傷した♪

うん、美味い。餃子のリズムはこうでなくては、という美味さである。

再び麺を味わうとスープをすくい口に運んだ。合間合間にチャーシューと太メンマにも手を付けまた麺をすすった。そしてスープを飲んだ。

個人的にいえばラーメンを食べるときにどこから手を付けるとかお決まりのペースとか平均的なバランスなどは考えない質なんですが

この時は上手に波をとらえることができたというのか、体が止まらなかったのです。

箸が次のターゲットに向けてとめどなく射出されていたし口もリズムよく咀嚼運動を行ってくれたし舌先から脳に伝わる味覚の伝達も素早く、食べる速度に対して十分なほど味を解析しながら味わう余裕もあった。

三位一体、意識の中の無意識、完璧かつ滑らかな連動。

あっさりとしたカツオ出汁が溶け込む醤油スープに背脂の取り合わせははじめのうちは異物同士に思えるのだがなかなかどうして食べ進めて行く過程でぶつかり合い、やがてはお互いに理解を示し紆余曲折ありながらも親友同士になっていくのである。

いわば青春ドラマである。こってこてのこってりした。

それをつないでくれたきざみ玉ねぎ。忘れてないよ君のことは。

春の陣、夏の陣はそうした周りの状況に目配ることもできず余裕がなく、こてやんに理解を示そうともしなかった俺の独りよがりさにあったのかもしれない。

敗北という言葉の中には己自身に対してのと付け加えることにした。

麺と具材、スープを背脂の欠片一つ残すことなく飲み干した俺の瞳に映るのは

どんぶりの内側、ふち上部から3センチほど下からまっすぐ横に伸びた赤細い線だった。まるで夕日の浜辺から見える一筋の落ちゆく水平線。

青春ドラマのエンディングを飾るにはこれまたこってりしたお約束のシチュエーション。










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こってり中華チャーシュー秋の陣 吉行イナ @koji7129

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