第39話 お迎え

 年が明けてしまえば、のんびりとしたものだった。時折近所の人が押しかけてきて、父と酒盛りをして騒ぎ、母も交じって声を上げ。兄も引きずり込まれるようにお酒を酌み交わしていた。

 私はといえば、おせちをつまみ、ダラダラ。テレビに笑い声を上げて、ダラダラ。お酒を飲んで、ダラダラ。みかんを食べて、ダラダラ。

 ダラダラづくしでゴロゴロしているうちに、実家で過ごすお正月はあっという間に過ぎて行った。


「忘れ物ない? トイレ行った? おなかは、空いてない?」

 玄関でブーツを履く私の背中に向かって、母があれやこれやと心配をして声をかけてくる。

「何か忘れてたら、宅急便で送って。トイレは空港にもあるし。ご飯は、さっき食べたじゃん」

 笑いながら返すと、母が苦笑いしている。父は黙って玄関先に立っていた。お祖母ちゃんも、その横に立ち見送ってくれる。

「何かあったら、すぐに帰ってきなさいよ。チケット代くらい、出すからね」

「ありがと。それくらい、自分で用意します」

 笑顔で返すと、心配そうに母が見つめている。

「ご飯、美味しかったよ。やっぱりお母さんのご飯が一番だよ」

 本気でそう思ったことを伝えたのだけれど、母はまた前掛けを目元に持っていくものだから、こっちの目も潤んでしまう。

「もう、ご飯なていくらでも作るからね。ホント、いつでも帰ってきなさいよ」

「わかってる。ありがと。お祖母ちゃんも。寒いし、あったかくして過ごしてね。外で転んだりしないでよ。あと雪掻きも。お父さんに任せてね」

「なーんも、雪かきくらいしないば、体が動かなくなるべさ」

 お祖母ちゃんが腰をピンと張って応える姿は、まだまだ若々しい。ずっとそうやって元気でいてもらいたい。

「お父さんも、あんまり無理しないでよ」

「なんも、無理なことなんかないさ。千夏こそ、都会で無理したらダメだぞ」

 コクリと頷きを返すと、優しい眼差しで見送ってくれた。

「そろそろ行くか」

 兄が車で空港まで送ってくれる。

「お兄ちゃん、道が凍結してっから気をつけてよ」

 母が兄の心配もする。

「了解」

「じゃあね、着いたら連絡するから」

 もう一生帰ってこないわけでもないのに、実家を出る時というのは、いつも心の中がぎゅっと締め付けられる。あったかかった家族から離れることに、心が寒さを感じるみたいに、その寒さを耐えなくちゃっていうみたいに、気持ちに力が入る。

「あんな風に見送られると、帰りにくいよね」

 助手席で笑うと、兄も笑う。

「みんな、千夏が可愛いんだよ」

「知ってる」

 笑って返すと、兄も笑った。


 空港のロビーで荷物を預けていると、その間に兄が色々と買い物をしてくれていた。

「これは、会社への土産で持っていけ。あと仲良くしている友達には、これ。それから、これは彼に。彼氏いるんだよな?」

 その言葉に思わず頬がひきつるけれど、なんとか誤魔化した。

「お土産くらい、自分で買うのに〜」

「たまにのことだから。甘えたらいいんだ」

 幼い頃は玩具扱いするみたいにいじめてきたのに、今では大切な宝物みたいに可愛がってくれる。兄妹っていうものが素敵だということが、この年になってしみじみと感慨深い。

「気をつけてな。母さんの態度見たらわかると思うけど。千夏が帰ってきて、本当に嬉しいみたいだから。なるべく休み取れたら帰ってこいよ。父さんも、なんも言わないけど、あれで寂しいらしいからな」

「うん。お兄ちゃんも近いんだから、もう少し帰ってあげなよ」

「まーな。俺の場合は他にする親孝行があるから」

「なにそれ?」

「まー、おいおい」

 含みを持たせる兄に探りを入れるような目を向けていたら、搭乗手続きのアナウンスが流れた。

「そろそろ行くね。送ってくれてありがと。帰りも気をつけて」

「ああ。千夏も、頑張りすぎず、頑張れ」

「うん」

 兄に見送られながら搭乗口へ向かう。長く続く空港の窓ガラスから雪景色を眺めれば、又しばらくこの景色を観ることもなくなるんだなと目に焼き付けた。

 時刻になり、アナウンスに従って飛行機に乗り込んだ。あと二時間もすれば、また雪のない街へと戻る。雪がないのにやたらと寒い東京へ気持ちを向けて、座席のベルトを締めて眼を閉じた。


 飛行機の中で爆睡した私は、荷物のキャリーバッグをズルズルと引きずり、到着ロビーの自動ドアを抜けた。迎えの人たちでごった返す自動ドアの先は、やたらと賑わっていて人がいっぱいだ。

 田舎で家族以外との接触がほぼなかったから、人混みのすごさに、そうだこれぞ東京だ、と気合いを入れた。

 モノレールに乗ろうと足を向けたところで、突然肩を叩かれ驚きに息をのんだ。こんなところで肩を叩かれるなんて思いもしなくて、お化けにでも遭遇したくらいの恐怖で振り返ると専務が居た。

「どうして!?」

 お化けよりも数十倍驚いた。

 どうやら、何度か声をかけていたみたいだけれど、周囲の声の方が煩くて全く気がつかなかった。そもそも、声などかけられるなんて思っていないから、余計に耳になど入ってこなかったのだろう。

「どうしたんですか? あ、もしかして。年明け早々から、買い付けですか?」

 驚きながらも瞬時にそう考えて訊ねたら、引いていたキャリーバッグを手から引き取った。

「遠くから戻ってきて、電車じゃ大変だろ」

 キャリーバックを転がし、クルリと踵を返して歩きだすから慌てて後を追った。空港の駐車場に向かいながら、何を話せばいいものかわからずにただ黙って後をついて行った。駐車場には見慣れた外車が止められていて、専務が荷物をトランクに積んでくれた。相変わらず丁寧なことに、助手席に回ってドアを開けてくれる。

 そうだった。専務の行動を先回りして、自ら開けるべきだったと、ヘコヘコ頭を下げつつ助手席に乗り込む。

「あの……」

 シートベルトをして口を開くと、同時に専務も口を開くから譲るように黙った。

「実家は、どうだった?」

「え? あ、はい。とても充実した毎日を過ごすことができました。ありがとうございました」

 かしこまって話すと、「そうか」と、ひとことだけ。

 年末に逃げ出してしまったことで気まずいままだったけれど、久しぶりにこうやって話す機会ができてよかった。けれど、どうにも会話が弾まない。まさに上司と部下の図だ。

 空港の駐車場を抜けた車は、空いているお正月の道路を快調に進んでいく。車間距離のある前を走る車を眺めながら、どうして迎えに来てくれたのだろう。とさりげなく視線だけを専務へ向けた。

 当然だけれど、専務の目はまっすぐ前を見ていて運転に集中している。ピクリとも表情に変化がないから、いつもの如く何を考えているのか少しもわからない。

 私としては、こんな行動をとられてしまっては、また勘違いしてしまいそうで困ってしまう。

 気もないのに優しくするなんて、やっぱり専務はズルいよ。

 けれど、これが大人の男性なのかな。車のドアを開けてくれるのもジュニアだからじゃなくて、ただ大人の当たり前な行動だったりするのかな。でも、うちのお兄ちゃんがそんなことしてるの、見たことないし。まして、お父さんだって。

 紳士的なことなんてしないのは、田舎だから?

 私がそういった経験がないだけで、専務の態度は当たり前のことなのかもしれない。経験がないのだから、いくら考えたところで解るはずもない。あれこれ考えてみても、専務の真意がわからないから、この件に対しての思考を止めた。

「中途半端な時間にしか帰りの便を取れなくて、悪かったな」

 専務が言う中途半端な今の時刻に、空は夕日の色を濃くし始めていた。

 子供でも帰れる時間だし、中途半端だとは思わない。車窓越しに染まる空の色に目を細め、隣に座る専務を照らすその穏やかな色にも目を細めた。

「飯でも食うか」

 ハンドルを切った車は、高速を降りて行った。

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