第38話 家族と共に
三十一日の夕方前になってやっと兄が現れ、長年見てきたうちの年越しやお正月が始まった。
豪華な魚介類がテーブルに並び、子供達も食べられるようにと、小さい頃から母がエビフライやチューリップを揚げてくれていたのだけれど。すっかり成人になった今でもそれは変わりなくて、寧ろそれがうちの年越しで安心した。
兄は遅れたことの代わりなのか、田舎でもちょっとばかり有名なところで買ったケーキを持ってきた。
「こんな時期に、よくお店やってたね」
うちみたいな田舎だと、年末にはほとんどのお店が閉まってしまう。そんな中営業している店があることに、私も驚いた。家族が毎年この時期に営業していたかを訊ねる中、兄は、知り合いの店だから、とそれだけ言って、その話をお終いにしてしまった。
同級生? でも、そんな話聞いたことないし。仕事の関係で知り合ったのかな。
なんにしても。
「美味しそうだよねー」
母と二人で箱の中を覗き込んでいると、飯のあとな。なんて、兄に笑いながら蓋を閉じられてしまった。
ブーブー。
「千夏、元気そうだな。仕事変わったんだろ?」
グラスに注いだビールを早速一息に飲み干すと、胡坐をかいた姿勢で顔をのぞき込んでくる。
「色々あったけど、すごく好きな仕事が見つかったの。きっと私、今の会社に骨を埋めると思う」
力強く胸の前で拳を握ったら、それは頼もしい発言だな。と、未だに子供みたいに私を扱う兄が、ポンポンと頭に手を置き笑った。
それは僅かばかり悔しいけれど、いつまでも子供のままでいられるこの場所の温かさを再確認するようだった。
「あ、そうだ。私ね、まだまだ未熟だけどね。みんなに飲んでもらいたくて、自分で選んだワインを持ってきたの」
部屋に置きっぱなしにしてある荷物の中から、ワインを取り出し二本持ってきた。
「あんまりいいのは買えなかったけど。お刺身やお魚に合うように白と、お肉に合うように赤」
実は、休みに入る前。佐藤さんにお願いして、社割で購入していた。社員だと三割引きになるから、少し高くて普段なら躊躇するものにも手が届いた。
「おやおや。これは凄いねぇ〜。千夏が作ったのかい?」
お祖母ちゃんが、テーブルに置いたワインを見て驚いている。
「いや。ばーちゃん流石に作るところからは」
素早く兄が訂正すると、お母さんが笑った。
「千夏のお土産だってさ。魚に合うっていうし、おばーちゃんも飲んでみるかい?」
普段あまりお酒を飲むことのないお祖母ちゃんも、毎年お正月だけはみんなに付き合って、コップ一杯程のアルコールを飲んでいた。
「私は、赤ね」
なぜだか母が得意げに胸を張るから、笑ってしまった。
「どっちも飲んでみたらいいよ」
ワインが振舞われるのを待ち遠しく目を輝かせている家族の前で、既に何度もやって来た作業を始めた。ボトルを拭き、キャップを外してオープナーをコルクへと真っ直ぐ差し込み、同じく真っすぐ引き抜く。
初めは、これだけの作業をうまくできなくて、何度コルクを途中で折ってしまったり、クズをボトルの中に落としてしまったりしたことか。
今では、もうそんなことはない。ポンと軽い音を立てて引き抜くと、おお〜。と家族からのドヨメキのような歓声が上がって、少し照れ臭い。
「困ったわねぇ。おしゃれなグラスなんて、ないわよ」
ビールや日本酒を飲むことはあっても、こんな田舎でワインなんて洒落たものを飲む習慣などないから、当然ワイングラスなどあるわけがない。
どうしましょ。と母がビールグラスじゃあ雰囲気がねぇなんて、食器棚を仰ぎ見ている。そう思って、これも一緒に買って来たのだ。
「任せて」
ワインと一緒に買ったのは、携帯用のプラスチックでできたワイングラスだ。下の丸い支え部分が取り外しできるようになっていて、持ち運びに便利なようにグラス部分は重ねられるようになっている。
「あらまぁ。そんなものまで東京じゃあ売ってるのかい」
母は私からグラスを受け取り、台座をはめて人数分を組みたてる。
「至れり尽くせりだなぁ。ずいぶんと気が利くな」
兄まで感心したように見るから、また照れてしまった。
それぞれに好みのワインを注ぎ、何となく乾杯をした。ワインの名前やどこで作られたかなんてわからない家族だけれど、それでも美味しいね。お魚にあうね。そう言って飲んでくれるのは嬉しいものだ。
「なにか祝い事があったら、千夏に連絡するといいかもな。うまいの教えてくれるだろ?」
兄に訊ねられて、もちろんだと笑顔で頷くと、ずっと黙ったままワインを飲んで刺身をつまんでいた父が、美味いから赤も貰おうかな。とグラスを差し出すのが嬉しくて、私はまた笑顔でワインを注いだ。二本のワインはあっという間に空になり、ほろ酔いを通り越し酔ってグダグダになりながらも、家族写真を撮ってスマホにおさめた。家族のいい笑顔がたまらない。
「すっかり酔っ払ったわぁ」
母がクスクスと楽しげに声を上げる。
「お皿とか、私が洗うから。ゆっくりしてて」
立ち上がって袖をまくると、母が私を見て目尻を垂らした。
「千夏もそういうこと、言えるようになったんだねぇ。おかあさん、なんだか嬉しい」
前掛けを目元に当てて涙を拭うものだから、もう、なんて慌ててティッシュを差し出したら、父が向かい側で目頭を押さえているのがチラリと見えて、こっちまでつられて泣きそうになってしまった。
キッチンで洗い物をしていると、兄が冷蔵庫を覗き込む。
「ケーキにするか?」
「うんっ」
急いで洗い物をしていると、すぐそばに来てしみじみと呟いた。
「二人とも、涙もろくなったよな」
「そうだね……」
「父さんが、泣くなんてな……」
本当にそうだ。常に静かに、けれど威厳を保ったまま家族の中心にいる父が目頭を押さえる姿は、心の柔らかい部分を撫でられたように、きゅっと感情を刺激した。
自分が成長しているということは、親もそれだけ老いていくということだ。いつまでも若くないのだなと、茶の間で談笑している父や母。それにお祖母ちゃんを見つめ、漠然とだけれど、大事にしていこうと心に刻んだ。
ケーキの準備が整って、みんなでフォークを手にしたころ頃には年が明けた。
「あけまして、おめでとうございます」
家族一同、それぞれに向かって笑顔で挨拶を交わす。久しぶりの年越しは、家族の笑顔が溢れていた。
十二時を過ぎてケーキも堪能し、年始の挨拶を済ませると、お祖母ちゃんは先にお
私もケーキの後片づけを済ませてから、自室へと行った。冷え切った部屋で、石油ストーブをつける。あとは寝るだけなのに、少しだけ部屋を暖めてから眠りにつこうと思った。
布団には、母がいつの間にか電気毛布を仕込んでくれていた。真新しい毛布は、今年は帰ると言った私のためにわざわざ買ってくれたのだろう。そう考えるだけで、もうあったかい。
スマホを手にしたら、少しずつ知り合いや友達からおめでとうメッセージが届き始めていた。
「あ、吉川さんからだ」
どこかではしゃいで飲んでいる姿と共に、おめでとうメッセージが届いていた。私も、さっき家族で撮ったばかりの写真を貼りつけ返信しておいた。
貴哉からは、何もない。
心配して電話をくれたけれど、おめでとうのメッセージはさすがに届かないようだ。
スマホの画面を少しの間眺めて、無意識に息をついてしまう。
何を期待してるのだろう。
貴哉は、毎年必ず一番にメッセージをくれていたけれど、それももう終わりなんだと、寂しさみたいなものが胸に降りて来た。
専務から何かきていないかと期待してみたものの、何もない。当然か。
部屋が暖まってきたところで、ストーブを消して電気毛布で暖まった布団に潜り込んだ。
「あったか〜い」
この半年は、ジェットコースター並みにいろんなことが目まぐるしくあった。けれど、振り返ってみれば、それは超えるべきことの連続だったのだから、今こうしていられている現実に、よくやったよ自分。と年始の夜中に自らを褒めて眠りについた。
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