070:長雨
あれやこれやでいろいろあって、復興もだいぶ進んだ。
失った土器や容器の数々は前よりも使いやすいものが数を増やし、生活基盤は着実に向上していた。
「……雨、長いですねぇ」
「あぁ、今日でもう三日目になるな」
そんな俺たちの活動は、今現在最低限のものとなっている。
この長く激しい大雨のせいである。
「念のため皆でこっちに避難して正解でしたかねぇ」
湖側の管理を任せていたアオイが、自分の横に座っている。
雨の中でも使えるように屋根を付けて、雨水が流れてこないようにやや深めの溝を周囲に掘った焚火場で体を温めている最中だ。
彼女の膝の上には、テッサの頭が乗っている。
アオイの膝枕で完全爆睡モードである。
そのテッサの少し湿った髪を、まるで猫をあやすかのようにアオイが手櫛で丁寧に梳かしている。
「水場からはそれなりに離れた拠点だったと思うけど……危なかった?」
「さすがにシェルターが壊れたり、全部水びだしになったりすることはないと思いますがぁ……。まぁ、予期しない水の流れとか、雨の強さに負けて木や太い枝が倒れてきてもおかしくなかったですしぃ」
「あぁ、まぁそうだよな」
先ほどまで、テッサが命綱をつけて水回りの食糧調達のために頑張っていたのだ。
俺とアオイでしっかり、3重に束ねた紐を引っ張っていたが内心冷や汗モノだった。
ちぎれでもしたらエラいことになっていたかもしれない。
テッサは万が一の場合を話した時も『大丈夫ッス大丈夫ッス』と言っていたが……。
「まぁ、とりあえずそれなりの数のお魚さんは確保できました。痛みそうな食べ物から先に食べるとして、残った食糧も念のためにもう一回燻しておきましょう。残ってる食糧を腐らせでもしたらもう大事ですよぉ」
焚火台の上で焼いていた石を、先日作った火箸(長さと太さを整えた二本の棒の先端を薄く石で包んだだけ)で取り上げ、軽くそこらに積んでいる草束で煤を払って、やはり石でコーティングした木製バケツの中に放り込む。
入れた瞬間「ゴポゴポゴポォッ!」と泡と共に水が暴れて多少がバケツの外へとこぼれてしまう。
しばらくそうして、泡が出るのが収まったら石を取り出し、乾燥させるために火から離れたところに置き、また火にくべていた石の煤を払って放り込む。
これを二、三回繰り返せば完全に沸騰したお湯の出来上がりだ。
飲む温度としては最初の一回で程良いのだが。、煮沸消毒ということを考えると十分以上に熱を与えないと怖くて飲めない。
(雨さえ上がれば、土器に合わせたかまどとか作ってみるか。やっぱ直火で手早く沸かせる方がいい)
「うい、お湯できたよー。お茶にする? それとも白湯?」
「あ、白湯で構いませんよぉ。お茶葉もこれから先貴重になるかもしれませんし、どうぞトールさんが楽しんでくださぁい」
「……そう言われると飲みにくくなるな」
とりあえず木のカップでぶくぶく泡立つ湯を掬い、軽く回して気休め程度に温度を下げてそっとアオイに渡す。
「雨が止んでくれればそれで済む話なんですけどね。どうしてこうもピンポイントに延々と降り続けているのか」
「……そうだな」
山のほうに探索に向かってるアシュリーやヴィレッタもそろそろ帰ってくるだろう。
なにせ、暗いところでも問題がないセンサーをそれぞれ内蔵しているとはいえ、ここよりも木々が深い森だ。明るさはともかく、この雨で足元はかなりぬかるんでいることだろう。
森の中での活動を得意とするゲイリーですら今回は無理だと断り、グレースといっしょにクラウの作業を手伝ったり、使えそうな藁を編んで雨具が作れないか試行錯誤している。
「道も崩れちゃいましたしね!」
「ぬぅぅぅうぅぅぅぅううぅぅぅぅぅむぅぅぅぅぅうぅぅぅぅぅぅうぅぅぅぅぅぅぅあぁぅあぁぁうぅぅぅあぁぁぁぁ…………」
「トールさんそれどこのお国の言葉ですかぁ?」
呻いてるだけだよちくしょう!
道! 枝とか落ち葉どけて石張り付けただけとはいえ道!
ちょっとやそっとの雨程度ならビクともせず、朝露のぬかるみとか気にせず歩ける道!
苦労したのに!
めっちゃくちゃ苦労したのに!!
「……アオイ」
「はいはぁい?」
「見てきた?」
「見てきましたぁ」
「どうだった?」
「大体全部流されてもうダメでしたねぇ♪」
「あ゛あ゛ぁぁぁぁあぁぁぁぁああぁぁぁぇえぇぇぇえぇぇぇええぇぇえぇぇいっ!」
白い石をバックパックやカバンにめいいっぱい詰めて! クソ重い運搬作業の果てに体力使う土魔法という名のクッソ体力削られるコーティング作業して……っ!
それが……全部っ!
「まぁ、石はそれなりに固いですけど、その下の土はまんま土ですもんねぇ。流されたらスッカスカになって支えもなくなって……流されるか割れるかの二択になっちゃいますよねぇ」
テッサが小さく呻く。
起こしてしまったかと一瞬身構えるが、体勢は変えたくなったのか腕を大きく伸ばして、アオイの腰周りを抱きしめるようにしてまた寝息を立て始めた。
アオイは片手で白湯の入ったカップを傾けつつ、もう片手でテッサをやさしくなで繰り回すことを止めない。
「ちくしょう、あれ貼り直すのはさすがにキツいぞ」
「ん~~~。それなんですけどぉ」
アオイは少しあたりを見回し、
「例のアレ、私かクラウさんのどちらかに使ってみませんかぁ?」
例のアレが何を指し示すかはわかっている。
とうとう他人に付与できるようにまでなったスキルのことだろう。
「どちらにせよテストは必要だと思いますしぃ」
「んーーーーー。……んーーーーーーーー」
言ってることはすごくよくわかるし正しい。
実際スキルというか、この突然変異したスマホで何ができるのか、何が起こるのか。そしてなぜそういうことが出来るようになったのかの解明は必要不可欠と言ってもいい。
が、いざ得体のしれないものを使うとなると不安になってしまうのも仕方ないだろう。
「私としては自分の方をオススメしますよぉ。基本的な体の構造が一番近いのは私ですし、クロウさんは体に変化が起こった時にそれがいい方向に行くとは限りませんし」
「クロウは……そうだなぁ」
体が崩れかかっているクロウだ。自分の自己再生ほど変に強力ではない、自己保全のスキルなどがあるのならともかく、今のところそれらしいスキルは存在しない。
(突然回復したら却ってボロボロになりそうだしなぁ。そうでなくてもスキルの取得で俺みたいに体に変化が起こったらヤバそうだし……)
「そうだな、明日の森――の中までとは言わないけど、周辺の探索には俺とお前で行こう。具体的な話はその時に」
「はーい、了解でーす」
まぁ、すべては雨が止めばの話だ。
仮に止んだとしても、森の中にすぐに入るのは少し怖い。
いまだに湯気を立てるバケツの中の湯を掬い、干した山菜を摘み入れて木匙でかき混ぜる。
味気ないスープの完成だ。
「……海水、もうちょっと組んでおけばよかったな」
俺たちの生活には、絶望的に調味料が足りていない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「やっぱり、この雨は……」
森の中に少し入り、アシュリーは手持ちのサバイバルパックのケースの中に降り注ぐ雨水を貯め、そして周囲を見回す。
後ろには一言もしゃべらず、ただ付いてきているヴィレッタが無表情で控えている。
「ヴィレッタ、解析は?」
「雨水の成分は通常の水と変わりない。ほぼ真水……いや純水だ」
もはや隠す必要がなくなったのか、ただ坦々とした物言いのヴィレッタをアシュリーは軽く一瞥し、小さく鼻を鳴らす。
「通常雨には、大気中で水蒸気が凝結・昇華したときに微粒子を核とする。それにここはすぐそこが海。海塩成分がそれなりに含まれているはずなのにそれもない?」
「ない。繰り返すが純水レベルだ。多少混ざり物は確かにあるが、おそらく降雨時に大気から取り込んだもの。この純度ならば、振り出し始めた時点ではより純度の高い超純水だったと考えられる」
「……ありえない雨、ね」
軽く髪をかきむしり、ナイフで雨に濡れた樹木の表皮を削りヴィレッタに渡す。
「それにしても純水レベルか……地表の養分たっぷり含んで流れちゃうのはちょっと面倒ね。すぐにどうこうなるというわけではないでしょうけど」
含むものが少ないということは、これから含んでいくものが多いということだ。
「……この雨、どちらかしら」
尋ねるような口調ではあるが、アシュリーはヴィレッタに尋ねてなどいなかった。
言葉こそしゃべるか、アシュリーにとってヴィレッタはもはや道具であった。
「この世界そのものの特性、あるいは異常。……あるいは」
アシュリーはそっと手を宙にかざし、天より降り注ぐ水の恵みをその手で受ける。
「魔術師が関わってるのかしら。奴ら、確か水をその場で精製することもできたわよね。ああいうことが出来る術者がそれなりの数いれば、広範囲に狙って雨を降らすことだってできるんじゃないかしら。後で貴族様に確認してみなくちゃ……」
ヴィレッタも同じように手を伸ばし、解析を続ける。
ある意味で安全圏にいるとも言え、そして追い詰められてもいるヴィレッタにとって、情報収集と自らの有用性をアピールすることが大事である。
AIとはいえ自ら思考し、行動するヴィレッタのある種本能と言えるものがそう動かしていた。
「……?」
そして、見落とし一つ無いように念入りに雨やそれが付着した植物や石、泥に異変がないか調べていると、ヴィレッタの頭脳に違和感が出てくる。
解析結果に、気が付けば一種の空白のようなものがある。
そこだけ真っ白というか、念入りに塗りつぶしていたはずなのに気が付いたらどうやっても見落とす空白があるといった所か。
「……アシュリー=エア」
「なによ」
「妙だ」
「だからなにがよ」
「雨の中になにかある」
「……今アンタが分析して純水って言ったじゃない」
「言った。だが、違う」
「はぁ?」
「――この雨の中に、我々用にプロテクトをかけた何かが仕掛けられている」
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