066:女はまだ、話せない。
結局、眼を覚ましてから丸一日は動けなかった。――いや、動かなかった。
動こうとしても身を竦めてしまって、彼らの前に立つのにそれだけの時間を要してしまったのだ。
不思議とお腹は空かず、丸一日彼女達のやり取りを聞きながら寝た振りを続けて様子を
一切罵声がなかった。
一切怒声がなかった。
一切悲鳴がなかった。
一切嗚咽がなかった。
一切嘲笑がなかった。
暴力の気配も、暴言の気配も、拷問の気配も、絶望の気配も
私にとっての日常の気配が、ここにはなかった。
ある女性が何かに失敗したらしいのだが、聞こえてくる男の声は、それを責める物ではなかった。
見られていない事を確信して小さく目を開けてみれば、仕事に失敗したと思われる女性が焚火の近くで項垂れていて、そう周りを一組の男女が囲んでいた。
失敗の罰として顔でも焼かれているのかと一瞬思ったが、苦悶の声一つ聞こえてこない。
耳を澄ませると、どうやら失敗して落ち込んでいる女性を二人が慰めているようだ。
……違う。
自分達がいた所よりも苦しい状況に見えるのに、自分の時より空気が柔らかい。
さらにしばらく耳を澄ましていると、失態を犯した女が男の事を「リーダー君」と呼ぶ。
男。
やっぱり上にいるのは男なのか。
寝たふりをしようと、呼吸だけは乱さないように頑張ってはみるが、どうしても微かに腕が震える。
そうして耳を澄ませて状況を探っている内に、本当に眠くなってしまう。
明日こそ、明日こそ。
心の中で何度も繰り返しながら、私は目を瞑った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「まいったな……」
例の女の人が起きたので色々聞こうと思ってたら名前を尋ねる所で、俺の腕に掴まってずっとグスグス泣きじゃくっている件について。
ねぇ、なんか俺が悪い事してる気分になるんで勘弁してくれませんか。
なんかアオイがすっごい目でこっち見てるし。
「まぁ、あの化け物に食われてたんスから、恐怖でパニック起こしてても無理はないんじゃないッスかね」
「おめーらも食われてただろうが」
「いやぁ、一切記憶がないッスから」
あぁ、まぁそうか。
「落ち着くまでそうしてあげなさいな。何か聞いても応えられる状況じゃあないみたいだし」
だよなぁ。
何が起こったのか、とか。どこから来たのか、とか聞いても応えてくれず、名前を聞いても答えられない状況だしなぁ。
「ん、まぁいっか。とりあえず、話を続けるけどさ」
なんとなくそうした方がいいかと頭を撫でようとすると、すごい勢いで手を掴まれたでござる。
うん、なんか……ごめんね?
「俺らの他に誰かいるってのは間違いない? ……っ!」
ねぇ、なんで君爪立てたの?
……まぁそっちは泥とかで汚れてないし、こっちもぬるま湯で洗って汚れは落としたからまぁいいけどさ。
「えぇ、間違いないわ。結局アタシ達四人がかりで辺りを調べて何も出なかったけどね」
「ん~……相手は複数だと思う?」
相手がこっちより数が多かったら面倒だなぁ。
キチンとしたグループならまだいいんだけど。
「なんとも言えませんねぇ。複数なら、さすがに私が気付くと思うんですけどぉ……」
「そういえばアオイちゃん、潜伏していたテッサ達の事を察していたわね」
「えぇ、まぁ。そういうのには敏感でしてぇ……」
アオイは、アシュリー達のサバイバルパックの蓋の側面にナイフで穴を開けてY字型の枝に紐でくくりつけた即席フライパンを、小さくなった火の上で振っている。
中に入っているのはただの川の水。
素焼きの壺を失くしたため、とりあえずの処置として俺たちはこうやって調理や煮沸をしている。
なお、回収に成功したスキレットは肉や魚専門の調理道具となっている。
「なんて言うんですかねぇ。他にコミュニティがあってもおかしくないとはずっと思っているんですけど、不思議とそういう気配がまったくしないんですよねぇ」
泡がぶくぶく立っているフライパンの中を見ながら、アオイは続ける。
「ただ、万が一の事を考えると最大限の警戒が必要かなぁと思ってはいますぅ」
「……つまり?」
「湖の拠点を再建しましたけど、出来るだけ誰かがいる形にしたほうがいいと思うんですよぉ」
もう十分と判断したアオイはフライパンを火から離して、もう一つのサバイバルパックの蓋――何も加工していないそちらに湯を注ぐ。
冷ましやすくするためだ。
「あー、となると、アシュリー達三人の内の誰かを常に向こうに?」
「えぇ。そうすれば緊急の時でも通信が出来ますし、なにより個々の能力も確かです」
「確かに。連絡付くのは楽だよなぁ……」
一方アシュリーに目をやると、話を聞きながら焼けたサイコロ状の鹿肉を一度茹でた野草で包んで口にしている。
テッサは相変わらずニコニコしてるし、ヴィレッタも相変わらず仏頂面だ。
(う~~~ん、どうしたものか)
正直、出来る事なら消去法でアシュリーを送り込みたい。
テッサは間接的にとはいえヴィレッタから守ってもらっているし……多分、三人の中で一番信頼している。
ヴィレッタはある意味劇物で、眼の届くところに置いておきたいが、同時に今の所暴発の可能性は極めて低い存在だ。
で、残るアシュリーだが、彼女は三人組の代表なのだ。
ある程度立てるように調整しないと、最悪三人組が瓦解しかねない。
ただでさえヴィレッタの件があるのに。
ここに来て内ゲバは勘弁してもらいたい。
「……トール」
「? なんぞ、ヴィレッタ?」
「人員に困っているならば私を向こうのキャンプに送れ。なんらかの緊急事態が起こった場合でも、それなりに対処できるだろう」
「……ふむ」
まぁ、悪くない。
視界すら共有できるし、やろうと思えば操作もできる。
ただ、いざ武器の使用を求められた時の判断はそれでも難しい。
そういうもしもの場合の時は、出来れば周辺全てを自分の目で見ておきたいのだが……。
「それなら私も行って構わないだろうか?」
「クラウも?」
ようやく落ち着いたのか、先ほどまで抑えつけていた自分の手で汚れてしまったモノクルを伸ばした袖で磨きながら、クラウが発言する。
「色々考えた結果、木炭を作るには湖側の拠点の方が都合が好さそうだと考えてね。あそこには開けた場所もあったし、色々試してみようと思うんだ」
(……クラウ、か)
身体が崩壊する可能性があるっていう時限爆弾こそあるが、二回俺の身体を喰って身体の調整をしたおかげでどうにか延命は出来てるみたいだし、そういう意味では当面の間は大丈夫。
大丈夫だが……。
(クラウとヴィレッタ。組み合わせ的に悪くはない)
クラウがクロウになれば、仮に武器を振るうような事になっても大丈夫のハズだ。
前にクロウの時に雑談振ってみたら、そんな感じの事を言っていた。
ヴィレッタも、武器がなくても格闘術はすごいし作った武器なら使える。弓とか、斧とか。
(あれ? マジで悪くないな)
だが、念のためにもう一人付けておきたい。
残るのはアオイ、ゲイリー、アシュリー、テッサの四人。
ゲイリーは、最近コミュニケーションが不足している感があるので、出来れば残って色々と話しておきたい。アシュリーも同じく。
となると――
(アオイかテッサのどちらかにはいて欲しいけど……日頃から頼りすぎてるからなぁ。特にアオイ。偏るのもマズいか?)
少なくとも、依怙贔屓と取られかねない行動や選択が積み重なれば、いざ自分達がなんならの形で追いつめられた時に内輪もめを起こしかねない。
それだけは避ける必要がある。
「……アオイ、頼めるか?」
少なくとも向こうには動物の影がある。
つまり、ある意味でここ以上に危険がある。一番の戦力である二人をとりあえず置いておくのがいいだろう。
「はぁい、お任せくださぁい♪ 向こう側で基本狩りをしながら、守りを固めればいいんですね?」
「うん。一応俺も定期的にそっち見に行くから」
正直、アオイを向こうに付かせる事を決定した瞬間に、テッサの方が良かったかと思い始めた。
なにせ、自分の次にヴィレッタへの命令権があるのは彼女なのだ。
つまり、いざという時の判断も任せられる人物――ではあるのだが……。
(とりあえず、今はヴィレッタを『ヴィレッタ』と見ている人間と関わらせた方が良い気がするな)
今の時点で、ヴィレッタを人間――というか『個人』と見ている人間と『道具』として見ている人間の差がある。
元々仲間だったアシュリーとテッサは、特に彼女を『道具』として見ている。
アオイも……うん、仕方ない。仕方はないんだけど……。
(どうしたもんかなぁ)
仕方ないって放置してたら、後でもっとヤバい事になりそうなんだよねぇ。
(とりあえず、割と中立のクラウがいるなら大丈夫か)
ちょっと卑怯な気もするが、クラウは基本自分の言う事に従ってくれる。
まぁ、そりゃ、もう一つの人格のしたこととはいえ俺に対しての罪悪感MAXだからなぁ。
(うん、クラウとも後でちょっと話しておこう)
「アオイ、ヴィレッタ、クラウ。とりあえずこの三人で、向こう側の拠点の増強をよろしく頼む。ただ、もし危険な事があった場合、無茶だけはしないように」
ふと、やっぱりもう一人くらい行かせるべきかと悩んだのだが、当の三人はそれぞれ
「了解しましたぁ♪」
「仕事はこなす」
「あぁ、任せてくれ」
と順々に応える。
……大丈夫なのかなぁ。
「…………っ」
あと、名も知らぬ美人さんや。事あるごとに爪立てるのは勘弁してくれませんかね。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「それで、私とクラウさんにお話ってなんですかぁ?」
飯を食い終わり、白湯やお茶で一息付いた後、俺はアオイとクラウを呼びだしてちょっと離れた所へと来ていた。
例の白髪の美人さんはゲイリーとテッサに預けてきた。
「アオイ、一応紹介しておく。今いるのが俺を喰った奴だ」
で、クラウは今クラウじゃない。
そうであると示すように、モノクルを外していた。
「さて、どうもどうも。『自分』がリーダーさんを襲った奴だ。リーダーさんには、『クロウ』って名前を付けられたけどね」
「これはご丁寧に、どうぞよろしくお願いしますぅ♪」
――チャキッ
アオイ君アオイ君、そういう明るい口調のまま刃物を人の首筋に突き付けないように。
「いや、まぁ、仕方ねーさ。アオイさんどころかリーダーさんにも、何をされても文句が言えねー身だってのは分かってる」
「……トールさんトールさん」
はいはい。
「ホントに斬っちゃダメなんですかぁ?」
ダメです。
こら、「ぶー」って唇尖らせるんじゃありません。
可愛いけどダメ。
メッ。
「クロウのことを知っているのが実質俺だけだったから、一応顔合わせをしておきたかったんだ」
もしクロウが出る事が合った時に、フォローする人員はいるからなぁ。
あぁ、一応ヴィレッタにも教えておくか。
「ぶぅ……。まぁ、私もトールさんぶった斬ってるのでうるさい事は言えませんが……」
「……嫌悪されても仕方ないし、好かれる人間であるとも思っちゃいないけど、リーダーさんに逆らう気はないよ」
クロウは一度言葉を切ると、まっすぐアオイを見る。
「リーダーさんには恩がある。正直、またリーダーさんを喰う事はあると思うけど……だからこそ、せめて仁義は通したい」
「…………むぅ」
ずっと突きつけていた刀を鞘に収め、ふかーいため息を吐くアオイ。
……おい、なんでジト目でこっちを見る。
「いやぁ、なんだかんだでこの人にシンパシーを感じてしまった辺り、トールさんは面倒な人だなぁと」
「そこでなぜ俺が出てくるのか」
やめなさい。ちくちく
とりあえずアホ毛を掴んで距離を取るとしばらくう~う~唸りながら抵抗するが、数回脇腹を突っつくと満足したのか腕から力を抜く。
「まぁ、お話というのはそれだけではないのでしょう? 本題はなんなんですぅ?」
鋭いな。
いやまぁ、お前ならそう察してくれると思ってたけど。
「あぁ、これに関してはここにいる二人にだけ話しておいた方がいいと思ってな」
クラウの事はいずれ説明する必要があるから、ヴィレッタに話して情報が漏れた所で問題ない。
ただし、これに関してはそうも行かないだろう。
アシュリー達に知らせるのは、様子を見てからにしないと……。
最近ではサーチを機動させるばかりだったスマホを操作して、あの画面を表示される。
万が一にも他の人間に見せるわけにはいかない画面だ。
「なんか、ここにいる仲間全員にスキルを習得させられるようになったんだけど……」
「「…………は?」」
うんうん、その反応が自然だよねぇ。
でっすよねー。
わっかるー。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ん、もし寝床が合わなかったら言ってくれ。すぐに建て直す」
「まぁ、それはボク達全員に言える事ッスけどねぇ。そろそろまともな寝床で寝たいッスよゲイリーさん」
「無茶を言うな、テッサ。まず建材として使える木材を作るのにどれだけ手間がかかると思っている」
あのトールという、このグループの団長の気をなんとか引きたかったのだが口が上手く動かず、泣きながら身体を摺り寄せて媚を売ることしかできなかった。しくじったとしか言えない。
……いや、下手に喋ってボロを出すよりも、あまり喋れない方が都合がいいと考えるべきか。
とにかく、あの男にしがみつきながら話を聞く限り、このグループには大まかに二つの派閥があるように感じた。
団長の派閥と、あのアシュリーという人の派閥だ。
恐らく、同じ服を着ている三人がそうなのだろう。
(一番髪の長い人は、何かしたせいで立場はこのグループで一番下みたい。……優しくすれば取り込めるかもしれない)
どうやら派閥同士で争う気配は今の所ないようだけど、それでも互いに距離を計り合っている節がある。
(強い方に付かなくちゃ……)
きっと、このグループも争う事になる。
そうなる。絶対になる。ならなきゃおかしい。
あるいは、分からなかっただけでももう水面下では起こっているのかもしれない。
(強い方に気に入ってもらって、上の人間にならないと……っ)
寝床の様子が大丈夫か聞いてくる、なぜか男の格好をしている女の人になんとか笑みを浮かべて答えながら、これから先の事を考える。
(もう、あんなことはイヤ……。あんなことは……)
眠ろうとする振りをしながら、顔に手を当てる。
やけに肌触りが良くなっている。
いやそもそも、なぜか
(髪を燃やされるのも、殴られるのも、茨の上に寝転がされるのも、檻に閉じ込められるのも)
自然と身体が震え、歯がかじかむ。
とっさに指を口に入れて噛みしめ、歯と歯がカチカチ鳴るのを防ぐ。
今は余り注意を向けられるべきではない。
(強い人に付かなきゃ。守ってくれる人に付かなきゃ。怖くない人に付かなきゃ。怖くない人を勝たせなきゃ。怖い人を追い出さなきゃ)
歯の震えを押さえようと噛みしめた指を伝って、血が流れる。
だが、気にしていられない。
口の突っ込んだのとは逆の手で手を握りしめ、そして力強く開いて――驚愕する。
「……スマホが……来ない……っ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「どう思う、テッサ」
「う~~~~ん……」
白い髪の女性を彼女のシェルターまで送り届け、再び焚火場まで戻ったゲイリーとテッサ。
ヴィレッタは周辺の見回りに出ていて、アシュリーは焚火以外に光源を作ろうと離れた所で余った木の枝や石、紐を使ってなにかしている。
「最初は風邪引いてるとかかと思ったんスけどねぇ」
「あぁ、俺もそう思って注意してこっそり色々と調べたのだが……」
サバイバルパックの金属製の蓋を利用したフライパンに適当な野草と水、煮詰めた海水少々を入れて、火にかける。
簡単な夜食としてちょっとしたスープを作りながら、本来ならば敵同士である二人は並んで首をかしげている。
「ゲイリーさん、直接確かめました?」
「……男と思われているだろうから、腕を取った時にこっそり手首から……お前は?」
「ボクも同じッス。トール君からふらついてるあの人渡された時に、なんか違和感を感じて……」
「なら、間違いないか」
「……多分」
「あの人、脈がないッス」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます