063:どんな時でも衛生を忘れてはいけません
『んー、多分鹿さんとかですかねぇ?』
『分かるのか?』
『蹄の跡とかもそうですけど、この俵状の糞は凄く見覚えあるんですよぉ。子供の頃、お婆ちゃんにおやつとしてもらってましたしぃ』
『…………おや……つ……?』
『はい! 鹿さんって消化が悪いのか糞にもかなりの栄養が残っているので、トールさんの言葉で言うサプリの感覚で食べてたんですよぉ♪ あ、良かったら試しにお一つ――』
『ソイツを拾うな! 拾うなよ!? 絶対だぞ!!?』
耳ではなく直接頭に響く声に、テッサは小さく笑う。
「あら、何かあったのかしら?」
「ッス。まぁ、ちょっとしたトラブル……じゃあないッスねぇ。まぁ、いつも通りッスよ」
アシュリーとテッサの仕事は、シェルターや作業場などの強化である。
以前作った様に、獣が餌の臭いに寄せられても大丈夫なような食糧倉庫を寝床から離れた所に作ったり、茨のような棘のついたツタを集めて寝床周りを覆ったりして簡単な防壁を作ったりしている。
グループとしての仕事は、寝床周りの安全の確保。
それとは別に二人は、兵士の仕事として情報の収集に当たっていた。
「どうする? 今のアナタなら、音声だけじゃなくヴィレッタの口を使ってトール君の行動とかもある程度コントロール出来るんじゃなくて?」
「正直、あんまり効果は期待できないッスよ? さすがのトール君も、ヴィレッタさんには警戒を持ったでしょうし」
「……やっぱりそうよね」
アシュリーは小さく舌打ちして、状況をややこしくしたガイノイドを小声で一通り罵倒する。
「まさかAIが思考防壁を超えて成長するなんてね……。元の世界に戻ったらすぐに報告しないと」
「そッスねぇ。でも、その情報を得た上でお偉いさん達はどうするんスかねぇ」
手ごろな形の石を使って、地面を掘っていくテッサ。
テッサがやっている事は、ようするに窯の再現である。
本来は実際に作ったトールやアオイ達がやるべきだと思ったのだが、これも経験とトールから提案を受けていた。
どちらにせよ、ある程度の広さというか拡張性を持つ範囲を柵や茨モドキで囲うなんて一日や二日で出来る仕事ではない。
(んー、トール君がグループの中でボクを比較的信じてくれているのは多分間違いないんスよねぇ。その上でヴィレッタさんの万が一の対処役にアオイさんを連れてボクが居残り……)
面白くない。認めたくないと思いつつも、テッサはそれを自覚していた。
既にやらかしている上、今回の事件も科学組がやらかしている以上、個人としてはともかくグループとしては確実に警戒される。
それが分からない程、テッサは馬鹿ではない。
「正直、戦争が長引きすぎていて一般層の生活を余りに長期間圧迫しすぎているッスよ。三等市民が飢え死ぬくらいならまぁいいッスけど、それより上の市民を締め付け過ぎると……」
「でも魔術師達との講和は事実上不可能よ。アタシ達はあの大陸の資源を手放すわけにはいかないし、向こうは私達に今の技術を捨てさせたがっている」
「でもAIとの闘いまで始めると二面作戦になるッス。実質内乱をしながらの戦争ッスかね」
「……軍、民。どちらも更に苦しくなるか」
自分達が本来いるべき世界での、大乱の火種。
それは、テッサにとってどうでもいいものだ。
最後に全てをかっさらうのは自分達だ。
いや、違う。
最後に全てを手に入れるのは――塗り替えるのは、
「まぁ、どちらにせよ帰らなくちゃ始まらないんスけどねぇ」
「……例のアンノウンについて、何かわかった?」
棘だらけの植物を長時間扱うために用意した手袋――というよりはロープを手に巻き付けている手を振りながらアシュリーはテッサに尋ねる。
「なんにもッスねぇ。アオイさんやトール君もですけど、クラウさんもアレには見覚えや心当たりがないそうッス」
テッサにとってもアシュリーにとっても、現状最大の脅威といえるあの翼をもつ怪物は無視できるものではない。
可能な限り情報を集めようとするのは当然である。
「そう……。それじゃあ『テンシ』って言うのは?」
「さぁ? ボクもタイミング見計らって聞こうとしてたんスけど、復興作業やら食糧調達が忙しくて……こう、タイミング逃したんスよ」
二人は共に、砂浜に横たわる化け物の姿しか記憶にない。
実際にトールと共にアレと交戦したヴィレッタの視覚・音声情報は引き抜いて共有しているが、逆に言えば分かるのはそれだけだ。
唯一残っているヒントは、あの化け物の姿を視認した時トールが呟いた言葉。
『テンシ』という何かを指し示す言葉だ。
「それで、一応ヴィレッタさんの口を借りたり耳を借りたりして調べたんスけど……トール君の世界にある宗教のいくつかに出てくる存在らしいッス」
「いくつか? ……ひょっとして、トール君が信仰している訳じゃないのかしら?」
「ッスね。だからちょっと情報があいまいッスけど……」
「いいわ。別にあの化け物のヒントにならなくても、彼の中にある文化の解析は大事だしね」
二人にとって、トールの懐柔は最優先事項と言える物だ。
帰還の鍵である事もそうだし、なによりもこの集団の要であり、楔でもある存在だ。
二人は共に確信している。
トールという男がいなくなった瞬間、今のグループは殺し合いになる。
「まぁ、曖昧な情報ってことを念頭に置いてもらえばいいッスけど……要するにカミサマって人のお使いみたいな存在らしいです」
「? カミサマ?」
「トール君の世界の宗教の大体に存在する……なんて言うんスかね? 世界の創造者だったり調停者だったする信仰の頂点ッスよ」
「? 個人を崇拝してるって事?」
「いや、もっとふわっとしてるって言うか宗教に依るって言うか……まぁ、色々あるっぽいッスよ」
「ふぅん? なら、とりあえず大体のテンシのイメージは?」
「ちょっと待ってくださいッス。今、大体の視覚イメージと一緒に送るッス」
トールとヴィレッタの間には、スキルホルダー同士の奇妙な繋がりが構築されつつあるようだが、今いる面子の中でもっとも情報のやり取りで強いのはこの二人だ。
その内心はともかくとして、連携力という点では今いるキャンプの面子の中でも最高レベルである。
「……要するに、背中に翼が生えた人型?」
「創作物では女性で描かれる事が多いッスが実質性別はなく、まれに特殊な力を使う事もあるとかいう話ッス」
トールもあやふやな知識や伝聞を元にしているためにふわっとした情報しかないが、それを元に二人はしばらくそれを煮詰めて、トールの世界に考えをはせる。
「――にしても、性別があやふやで特殊な力を使う人型の生物。翼もないし飛行も今の所できないけど……」
「???」
「つまり、トール君も今はテンシとやらと一部被るんじゃない?」
「…………あぁ」
「言われてみれば確かにそッスね」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「湖までの一本道の途中にあるこの小さな川……。邪魔なだけかと思っていたが、どうやらここにも魚が住んでいるようだな。ゲイリー君、ここに罠を仕掛けられるかい?」
「む……。水かさがあまりないから、釣り針と餌を仕掛ける位しか出来んな」
クラウとゲイリーの仕事は、近場の探索と罠の仕掛けである。
要するに、危険な動物などがいないか調べながら、ついでにちょっとでも飯の種になるモノを増やしてこい。ということである。
「湖などで使っていた魚籠は使えないのかね?」
「……出来ないことはないだろうが、こういう小川だと総取りになってしまいかねないし、魚の通り道を完全に塞ぎかねない。……この状況下で贅沢を言っているのは分かるが、あまりやりたくないな」
自然の中で育ったゲイリーだから、むやみに大量の生物を捕獲するような事は避けたいのだろう。
「なるほど。……確かに、この特殊な環境だ。しばらくは腹を満たせても、その後の収穫が激減する真似は避けるべきか。まったく、生きるという事は頭を使うな」
「お前の所はどうだったんだ? とてつもなく巨大な木の中をくりぬいた所で生きていたと聞くが……」
「少なくとも、働いていれば食うには困らなかったよ。……自分の様な技術持ちは、だがね」
錬金術という特殊な技能を持ち、この環境下でもクラウは大変役に立っている。
アオイやアシュリー達がこの世界に持ちこんで来た刃物の手入れに始まり、以前回収した黒曜石を利用したナイフの作製。強度の補強。
最近では食糧の不足を懸念するトールから、食糧の確保や保存についてあれこれ話し合っている。
食糧確保に使う罠の素材に関することや、シェルターなどの強化や増設について、クラウという女はトールにとって貴重な存在になっていた。
「基本的に食事は野菜がほとんどだった。なにせ木の上だ。家畜を育てるための餌だって育てるのに苦労する」
「……ふと思ったが、魚は食べた事あるのか?」
「少しだけ、だな。我々の所では比較的高級な品だった」
「となると、今の生活は文字通り夢のような物か」
「もちろんさ。最低限の注意だけで簡単に火が使えるなんて夢のようだし、好きな時に嫌というほど日光を浴びて新鮮な空気が吸えるなんて、極楽以外の何物でもない」
ヴィレッタが無表情というかぶっきらぼうな仮面を、そしてテッサやアオイのつけてるニコニコ仮面とは違い、こちらは笑みの仮面を張り付けている。
微笑みを張り付けているクラウは自分達の中でもっとも穏やかな印象のする女だ。
「お前はトールとよく話はしているが、具体的に何か決まっているのか? 予定というか計画というか……」
「そこまでは行っていないな。とりあえず、何が出来るか何が足りないかの確認という事だ」
「つまり?」
「鉱石資源がないと大したことが出来ないということさ」
「……鉄とか、銅とか?」
「あぁ、そんな所だ」
刃物の扱いに慣れていて、かつ手先も器用なクラウは手早く釣り針付きの紐を数本結びつけたやや長めの紐の端に手ごろな大きさの石を括りつけていく。沈めるためだ。
「もっとも、大したことが出来ないだけで現状いくらでもやることはある」
「罠の強化もそうか……」
「石を削った物とはいえ、十分に使えるだろう?」
そういったクラウは、釣り下げられている釣り針の一つを摘まみあげる。
アシュリー達のサバイバルパックに入っていた物と同じ形の釣り針は、彼女達の物よりも輝きが鈍い。
「あぁ、骨の釣り針よりも安心できるとトールが喜んでいたな」
「道具があればもっと簡単にたくさん作れるのだが……。まぁ、少しずつ増やしていくとするさ」
「道具以外だと?」
「一応、簡単なレンガや瓦なら作れる。君達が以前作っていた壺も、もっと頑丈な物を作れるね」
「……住居の強化は今の所後回しだな」
「あぁ。最低限とはいえ、寝床としては機能している。今はそれよりも食糧と、湖までの道の整備の方を優先するべきだと私は考えるね」
クラウの癖なのか、いつものように軽く鼻で笑う彼女は、それでもやや眉間にしわを寄せ、
「優先すべきするものは多々あるが、私としては、まず衛生面は強化しておきたい」
「……トールか」
納得した顔で頷くゲイリーに、クラウも頷き返す。
「元々の生活環境がいいために、この自然環境に対応しきれていない……だったか」
「あの三人組の話がどこまで本当か信用はできないが……トールがもっとも身体を壊しやすいのは間違いないからな」
「女性体になってからはなぜか中っていないようだが、それでも油断は出来ないからね。少しでも確立は下げておくべきだろう」
「それは分かるが、対策として何がある?」
「ふむ……そうだな、まずは」
クラウは、音を立てて流れる細い小川のほとりにしゃがみこんで、水を軽く手で掬う。
「まずは、もっとキチンとした水の浄化から始めるとしよう」
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