幕間 ~an incomplete saint~


「で、どうなのかしら?」

「……クラウさんの事、ですよねぇ?」

「昨日トール君と話していたの、それでしょう?」


 刀を振るう女と、特殊部隊の隊長。

 異なる世界から来た二人の女が、焚火のそばで作業をしていた。

 

 引っ越しのための運搬用具として、ちょっと大きめの物――例えば薪など――を運ぶためのバックパックを作ろうと枝を組み立てて紐をぐるぐる巻き付けていたアオイが、その手を止めてアシュリーの方を向く。


「うちのテッサとゲイリーちゃんが見てたわよ」

「……思っていた以上に私、動揺していたんですねぇ。まったく気付きませんでしたぁ」


 幅が広くて丈夫な葉を編み合わせて、一枚の薄い板を作っていたアシュリーは、テッサに暗殺を命令すべきだったかと内心思いながら笑顔で話しかける。


「まぁ、肝心の内容はテッサは話してくれなかったけどね。トール君が話すまでは言うべきじゃないだろうって」

「正しい判断だと思いますよぉ。アシュリーさんはなんとなく分かっているでしょう? あのクラウって人がちょっと危ない人だっていうのは」

「まぁ、あれだけ血の臭いが染み付いていればね。多分その中でもとびきり警戒していたのがテッサだけど」

「……今にして思うと、テッサさんの方がトールさんの護衛としては適任かもしれませんねぇ。用心に用心を重ねるという意味では」

「にしても、ちょっと警戒しすぎだったと思うけど……あ、出来たわよ」


 ひたすら葉を編み合わせて作った板――と呼べるかどうか微妙だが――を受け取ったアオイが、バックパックの底に当たる部分のフレームにそれを乗せて、更に紐でしっかりとフレームにくくり付ける。


「ねぇ、アオイちゃん」

「なんですかぁ?」

「前から聞きたかったのだけれど……」


 アシュリーは次の葉の束を用意してから、一息付こうと針葉のお茶を沸かしている素焼きの器に手を伸ばす。


「アオイちゃんから見たトール君って、どういう子なの?」

「トールさん側に立つ私から情報収集ですかぁ?」

「聞いたところでどうしようもないでしょう? ただの好奇心よ」

「……まぁ、確かにどうしようもありませんねぇ」


 アオイも一息入れるタイミングと判断したのか、完成しかけのバックパックをそっと地面において履き物を脱ぎ、焼いた石で温めておいた足湯に足を付ける。


「出会ってから結構経つでしょう? 初めて会った時はどう思っていたの?」

「ん~~、そうですねぇ」


 少し熱かったのか、水が入った素焼き壺から少し水を足してから足の指を揉むアオイ。

 やはり今の生活でもっとも酷使する部位だけあって、細かい傷や固くなった白い皮膚などが目立つ。


「薄っぺらい人だなぁ……と。正直、今でも少し」

「……薄っぺらい? 彼が?」


 それでは、当初の自分達の感想と変わらないではないか。

 そう思ったアシュリーは怪訝な顔をする。

 なぜかそう言っているアオイも、どこか怪訝な顔をしていた。


「えぇ、空っぽな人だなぁと思っていました。ただ自分の思う『いい人』のイメージを必死に張り付けているだけの……だから正直、最初は様子を見て、上っ面が剥がれた時の行動次第では斬って荷物を回収しようと思っていたんですけどぉ……」

「そうじゃなかった」

「というよりは、予想を超えていたと言うか……」


 基本的に、食糧に関しては特に制限がある訳ではない。

 お腹がすいたら自由に食べていいのだ。

 ただし、食べていい物というか優先順位こそあるが――古い干物や燻製から食べろとか、野草は自由とか――今現在は空腹でお腹を鳴らせるような事はほとんどなかった。


 ひとえに、トールのスキルやその指揮のおかげである。


「アシュリーさん達を回収するまで、何度かトールさんを試しました。弱い女を演じて隙を見せたり、一人の時の様子を観察したり……でも、あの人は決して『いい人』の仮面は剥がさないんです」

「彼が本当にいい人っていう事は?」


 至極当たり前に思いつく事をアシュリーが口にするが、アオイは首を横に振り、


「普通の良い人ですか? トールさん?」

「………………違うわね」


 そうだ、違う。

 もし普通にいい人ならば、そもそも現状は起こっていない。

 武力という分かりやすい物に、武力ではなくただただ自らの血のみで対抗するような事はまずしない。


「そうです。あの人、狂っているんですよ。完全な善人……いえ、『完璧な聖人』という矛盾した理想を自分の体に写しこもうとしている狂人」


 完璧な聖人。

 もしいるとすれば、きっと自分のような人間とはそりが合わないだろう。

 アシュリーのそんな考えが顔に出ていたのか、アオイも苦笑しながら頷いていた。


「……存在しえない存在ね」

「えぇ。でもトールさんはそれになろうとしている」

「どうしてトール君は?」

「さぁ? そもそも、意識しているかどうかもちょっと怪しいですけど」

「……止めないの?」

「止めようとも確かに思いましたけど」


 アオイは足湯を――トールが風呂に近い物を絶対作るとやっきになって作ったそれを、足でぱしゃぱしゃ言わせながら、


「私は確かに救われたんです。あの狂った人に」


 ぽつりと、だがハッキリとそう言った。


「私と決して相いれない価値観を持ちながら、それでもいいと。平和で、そして自由な環境の中で生まれ育ったあの人が私の事をそう言ってくれたんです。そして、命を預けてくれたんです」


 そしてアオイは、刀に手をかける。


「だから斬ります」


 その刀こそが自分だと。自分が自分自身に立てた誓いだと言わんばかりに、固く握り締める。




「あの人があの生き方を諦めまいが諦めようが、あの人の生き方に害を成すモノを――斬ります」




 ふと、アシュリーは昨晩テッサから聞いた話を思い出していた。


『やっぱり、トール君が一番信じているのはアオイさんッスねぇ。ちょっと妬けるッスよ……本当に』


(……下手にアオイちゃんが死にでもしたら、却ってマズい事になるかもしれない……か)


 アシュリーがもっとも恐れているのは、トールが自分たちを敵とみなす事。そして、報告にあった洞窟のように、スキルを持って自分達と敵対する事だ。


 なにせどういうスキルが出てくるのかすら、トール自身にも今の所予測不能なのだ。

 その対策に労力を割くのは、現環境下では多大な負担になってしまう。


 アオイという女の存在が、トールにとって大事な物だと言うのならば――余計な事はするべきではない。


「まぁ、彼の邪魔になるような真似は避けるように気を付けるわ」

「そうしてくださぁい♪ ……本当に、お願いしますね。トールさん、貴女達の事も身内だと思っているんですから」

「なら、さしずめこの間のは姉妹喧嘩といった所なのかしら」

「おおよそ間違っていないでしょ……おや?」


 唐突に、アオイが首をかしげてアシュリーのその向こうに目をやる。

 釣られてアシュリーもそっちを見ると、




「クラウちゃん? それにトール……君……?」




 思わず疑問形になってしまった。

 クラウは分かる。あの青い髪とモノクルという特徴的な姿はそうそう間違えるものではない。

 ただでさえ、いる人間は限られているのだ。

 そして、もう一人。トール……と、思わしき人物なのだが――


 ――なぜか、クラウの肩の辺りに顔を隠すように押し付けたまま、トボトボと着いて来ていた。


 それに不穏な物を感じたのか、アオイが履き物も履かずに立ち上がり、こっそり刀に手を当てる。


「ねぇアオイちゃん。あれ、トール君よね?」

「……おそらく?」

「なんかちっちゃくなってない?」

「…………おそらく?」


 そう、明らかに小さい。

 女性にしては比較的背の高いクラウだが、トールはそれよりも背が高かったハズだ。

 それがどういうわけか、今ではクラウの肩の辺りに顔を押し付けている。


 歩きづらそうにしているクラウだが、トールの腰元に手を回して支えながら歩いている。

 一方トールと思わしき人物は、決して顔を見せようとしない。


「あのぅ……クラウさん?」


 そうして拠点にまで辿りついたクラウに、さっそくアオイが声をかける。


「あぁ、すまない。今戻ったよ」

「いや、それは見れば分かりますけどぉ……」


 トールと思わしき人物は、クラウの服に顔をうずめながら『えっぐ……ひっぐ……』と泣いていた。

 時折鼻を啜る音がする。


「クラウちゃん、それ……トール君……よね?」

「あぁ、まぁ、説明すると長くなるんだが」


 未だに顔を見せようとしないトールの頭にポンッとクラウは手を乗せて、


「実は、とある事情で彼のスキルが必要で……彼もそれを習得した上で使用してくれたんだが」


 そこまでクラウが言った時に、ついにトールらしき人物が声を上げる。


「…………そ……き」


 その声は、トールの物ではなかった。

 というか、男の声ではなかった。


「嘘つきぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーっ!!!」


 どう見ても女の子で――だが、ダボダボになったトールの服を着ているその人物はとうとう泣き崩れ、地面に膝を付きながら叫び始めた。


「自在に変えられるって書いてたのに! 書いてたのにーーーーーーーーーっ!!」


 ……………………………………。


「あの、クラウさん。申し訳ありませんが説明してもらっていいですか?」


 クラウは涙やら鼻水でぐちょぐちょになった服にため息を吐きながら、「あぁ、いいとも」と口を開く。


「その、詳細は話せないが例の『性転換』というスキルが必要でね。それで彼もスキルを取ってくれて使用してくれたんだが……」


 なんと言ったものか。

 そんな雰囲気を出しながら、クラウは後を続ける。


「女性になったまでは良かったんだが、肝心の男性に戻るまで――十日はかかるらしい」


 いつのまにか刀から手を離していたアオイが、なんともいえない顔でトールを見る。

 未だに四つん這いになったまま「う゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ……っ」と嗚咽を漏らすどう見ても少女の姿に、どうしたものかと頭を抱えてため息を吐く。


「完全に女の子ですねぇ」

「あぁ、そうなんだ。本人もあまり君達に知られたくなかったのか、こっそり習得して君達には内緒にしておきたかったらしいのだが」


 多少伸びたとはいえ、テッサやアオイが時折ナイフで切って整えていた髪はある程度伸び、多少不揃いとはいえ綺麗なセミロングになっている。

 髪も色素が抜けたのか明るい茶色になり、男性らしい髭の類は全く見えない。

 どうみても女の子である。


「ねぇアオイちゃん」

「はい」

「男から女になるって大変なことよね」

「はい」

「体に変な所があるかもしれないわよね」

「はい」

「………………」

「………………」




「二十分、いえ、十五分ほどトール君……トールちゃんを借りていいかしら。大丈夫、調べるだけだから。ちょっとだけだから。ね?」

「首切り落とされたいのかクソアマ」


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