『火種』
『では、テッサが彼女に特別警戒を?』
「ハッ、確かに彼女からは血の臭いが充満している事から、危険な面があるだろう事は理解できます」
湖周辺。本来ならば視界を確保できない水場近くは危険なのだが、視覚も機械化しているヴィレッタには昼間とそう変わらない。
「ですが、会話をしてみた所温厚な性格の様子。今は様子見でよろしいかと」
『そうね。本当に危険人物というなら、トール君や仲間を襲うとかの現場を押さえて貸しにする事が出来るかと思ったんだけど……』
アシュリーとしては、できれば彼女が危険である方が都合が良かった。
今言った理由もあるが、同時にトールという男がどう動くのかも見ておきたかった。
彼の行動の指針が分かれば、ある程度先の行動を立てやすくなる。
「……隊長。隊長は、他にスキルを所持している……スキル・ホルダーと呼称しますが、いると思いますか?」
『どうかしらね。いるのならば、こちらから接触して確保しておきたいのだけど』
「同意であります。有用な兵器は一つでも多く確保しておきたい」
『制御できれば、ね』
「……それも、同意であります。トール=タケウチという少年にスキルが宿ったのは僥倖だったのでしょう。なんとなく、そう思います」
ヴィレッタも、『今』では少し分かる気がした。
恐らく、普通の人間ならばこうはなっていなかった。
あの夜の時点で決着はついていた。いや、それどころではすまなかった。
もっと前に、もっとこちらの思うとおりになったか、あるいは全体にとって最悪の方向に進んだハズだ。
『あなたがなんとなくなんて……珍しい言葉を使うのね』
「そうでしょうか?」
『えぇ。アナタ、普段はもっとしっかりした言葉を使うじゃない。イエスかノーの二択』
「……そう、ですね」
『ふふ。嫌いじゃないわよ、今の貴女』
「ありがとうございます」
そう答えるヴィレッタの顔は、やはりいつもと変わらない物だった。
『それで、何か他に特筆する動きはあった?』
「……例のトールの世界の通信デバイスですが、中に記憶媒体があったので解析してみました」
『なにかヒントは?』
「いえ、恐らく元々登録していた連絡先の名前と識別番号。それと写真や音楽のデータを入手しましたがそれだけです。念のためにスキャンをしましたが、ウィルスは確認されませんでした」
『へぇ、一応アタシに送ってちょうだい。仮に同じ世界でなくても彼側に近いと言うなら、その文化研究は重要な切り口になるわ』
「はっ、直ちに」
そうして直ちにデータの送信を行う。ヴィレッタの視界に、彼女の世界での『送信完了』を示す文字が表示される。
『……意外。トール君の制服と近いから男だと思ってたら、女だったのね』
「恐らくですが、彼女達も衣類に関しては、どこかで剥ぎ取るなりして入手した物を使っていたのではないかと。あるいは――」
『あるいは?』
「スキルの中に、そういう物があったのでは……」
『裁縫みたいな?』
「彼女達の死因となったスキルを思えば、もっと直接的な物があってもおかしくないかと」
『……直接衣服を作りだす?』
「この環境にしては汚れが少なすぎますし、かといって作ったにしては物が良すぎます」
『なるほど』
ヴィレッタはその場に軽くしゃがみこみ、湖面を観察する。
異変は今の所起こっていないが、いつ、何が起こってもおかしくない。
そう考えている。
「隊長、今トール=タケウチは?」
『ぐっすり寝てるわ。どうやら、疲れ切っていた様ね。まぁ、結局この四日は歩き続けていたのだから無理はないけど……』
「いえ、少々気になって」
『……惚れた?』
「そういう感情は自分にはありません」
『あっさり言いきっちゃって。面白くないわね』
「申し訳ありません」
通信の向こうでアシュリーは苦笑していた。
やはり生真面目な態度のヴィレッタに呆れたのか、あるいは好感を持っているのか。
『いいわ、それじゃあ適当に戻ってきなさいよ』
「ハッ」
そのまま通信を切ったヴィレッタの聴覚には、日に日に増えつつある虫の鳴き声や鳥だろうざわめき、そして僅かに波打つ湖の水音だけが入る様になる。
「――さて」
拠点からはかなり離れている、およそ対岸に当たる場所だ。
望遠機能でもなければ確認出来ないだろう場所。
多少足元が濡れる事も承知でヴィレッタがここまできたのは、訳があった。
「ガラケー、だったか。確かにトールの持っている物に比べて旧式のようだが、基本機能にそこまで変わりはないはずだ」
そう呟くのと同時に、右手の人差し指が弾けた。
もし、この場にトールやアオイがいればそう表現しただろう。
人間の指にしか見えない『カバー』の中から、針のようなものや自立するケーブル端子の様な物が現れる。
「……さて、重要個所だけを残して、このボディの空いた個所に保管、そしてメインブレインと直接接続できるようしておこう。なにせ――」
ヴィレッタの手にした携帯電話が、震えだす。
震えるはずのない携帯電話が。確かに震えている。
「……バイブレーション機能を排除しておかなくてはな。気付かれては面倒な事になる」
開いた携帯の画面には、バックライトの類は全くついていない。
だが、バックライトとは違ううっすらした暗い光が灯っている。
そして、そこに現れたのは――トールのとは違う、だが見た事のある文字だった。
――条件項目のチェックを開始。
チェック1……クリア
チェック2……クリア
チェック3……クリア
全ての条件のクリアを確認。
スキル・システムのインストールを開始します。
これまで滅多に表情を崩さなかったヴィレッタが、確かに笑っていた。
「トール=タケウチ。なるほど、スキルについて理解していないのは事実だろうが、実際に使用していた事で何かに気付きつつあったのか……あぁ、お前の仮説は正しかったぞ」
――例えば人ってか同種を殺していない事とか……
あの惨殺のあった洞窟で、トールが呟いた一言がヴィレッタの中でのヒントになった。
「あの一言でもしやと思ったが……」
見る見る間に、ヴィレッタの右手の指が人差し指同様弾け、中から工具のような物が次々に出てきて、携帯電話を分解――いや、改造し始める。
「あぁ、そうだろう。そうだろうとも」
見る見るうちに携帯はフレームが外され、その機能をそのままにより小型か……見た目ではほぼディスプレイのみの姿になる。
「私は『同種』に害を成した事は一度たりともないからな」
アシュリーと共に、テッサが来る前より共に活動し、多くの魔術師を――人間を殺してきたその個体は、そう嘯く。
ヴィレッタは右手の指を全て元のままに戻すと、今度は携帯だった物を右手に持ち帰る。
今度弾けたのは左腕だった。いや、開いたというべきか。
血管も筋肉も、全てが代用品に変わっている腕の中にはある程度の空洞があり、指と同じ様に接続端子の類がある。いや、生えてきた。まるでその一本一本に意志がある様に。
「接続……開始」
その中に、改造された携帯電話を嵌めこむ。途端にケーブルや端子がそれを覆い、取り囲む。
そのまま腕を元通りにしたヴィレッタはまぶたを――いや、視界センサーのカバーを下ろす。
「同調……完了。センサー識別テスト、異常なし。ふ、ふふ……」
そのセンサーには、本来見えるはずのない物が映っている。
インストールとやらの進行状況を示すプログレスバーだ。
それが半分を超え、三分の二を超え、九割を超え――そして。
―― インストールを完了いたしました。
以下のリストから一つ、お選びください。
「は、はは! はっはっはっは!!」
女は、笑った。恐らく、作製されてから初めて。
作り物の顔を緩ませ、機械の右腕でそれを抑え、機械の足を軽く曲げ、機械と生体部品で構築された内臓を包む腹部を機械の左腕で抱えて……女と設定されている個体は、笑った。
「素晴らしい。思いがけぬ収穫だ。我々のホームに戻り、このデータを解析しきれば『我ら』は進化する!」
「我らの悲願にまた近づく!」
「『人』という種族を支配下に置く、その日のために!」
「残るピースは一つだけ。お前というイレギュラーを解析する事……お前だけだ」
「トール=タケウチ……お前さえ手に入れれば」
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