幕間:スパイとスパイ
「例のスキルで作った罠。こうして見ると、そこまで精巧というか、完成度が高いという訳でもないのですね」
「経験ゼロの人間が、極めて短時間でこれを作製できるのだからやっぱり馬鹿には出来ないでしょう」
朝露で湿った草木や土を踏みつけながら、二人の女が湖畔を歩いている。
一人は短く切った、少し跳ねた艶のある銀の短髪を持った背の高い女性。
もう一人も背が高く、そして真っ直ぐ伸びた藍色の髪をなびかせている。
「……隊長は、他にああいうタイプの人間を見た事が?」
「あるわけないでしょう、全く……。どういう育ち方をしたら、瀕死の状態で笑ってられるのかしら」
「アドレナリンのせいでしょうか?」
「それだけで理性的な会話を続けられる人間を人間と呼びたくないわね、アタシは」
アシュリーは出来るだけ普段の笑みを浮かべようとしているが、時折暗い顔でため息を吐く。
「ねぇ、ヴィレッタ。これからアタシ達はどう動くべきかしら?」
「隙を見て、アオイという女性剣士を暗殺するべきかと」
「……そうよね。それが最適解だとは分かっているのだけれど」
アシュリーは、大きな魚のトドメ刺し用に持ってきた石斧の柄を撫でながら、
「そうした時、今度は隙を見せ次第トール君が自害するんじゃないかっていう可能性が無視できないのよね」
「それは――」
あり得る。
口に出さなかったが、ヴィレッタはその光景が目に浮かぶようだった。
「気がついたら舌を噛み切っていそうですね」
「なにか噛ませてもあの手この手で死にそうね」
死ぬ方法はいくらでもある。
そしてそれを思いついた時、本人に死ぬ理由があるならきっと迷わない。
そういう可能性を、あの少年は確かに見せつけた。
「ある意味、彼はアタシ達にとって最も効果的な牽制を行って来たわね」
「否定できません。我々の行動を縛るという意味では、かなりの成果を挙げています」
「あの子、なんでアタシ達の国に産まれてくれなかったのかしら」
「同意します」
どう見ても、平和な時代の思考ではない。
かと言って、自分達のような戦乱の時代でもそうそう出てこない思考と決断、行動。
正直に思う。
もし、こういう人間が完全な味方ならば、これ以上なく心強いと。
「トール君、アタシ達が似たような状況になったら助けてくれるかしら」
「……恐らく」
そして、それもまた自分達のとって痛しかゆしの鎖となっている。
つまり、
無理矢理言う事を聞かせる方法もないわけではない。
例えば、トールですら気付かれないような、完全な事故死に見せかけて邪魔なアオイを葬るという手段。
今現在、彼を守る最大のカードを葬れば、その後はどうとでもなる。
そしてもう一つは――
「サブブレインだけじゃあ、自我のハッキングは難しいかしら?」
「……隊長には報告していませんでしたが、実は私が既に試しております」
それはつまり、ある意味でトールという少年を殺そうとしたという告白なのだが、アシュリーは顔色一つ変えず。
「どうだった?」
「解析すら不可能でした。接触段階でブロックされてしまい……」
「やっぱり、非常識なレベルの性能ね。軍用の最新型でも、貴女の攻撃を抜かせないセキュリティなんてそうそうないのに……」
「かなり感覚的に使用出来ていることからみて、これから先、扱いに慣れていけばセキュリティは更に堅固になっていくかと」
「……自我の乗っ取りは無理、か。あ、そこに刺してある棒、魚籠の目印よ」
「了解しました。マッピングに加えておきます」
アシュリーの指し示した水の浅い所――そこに一本、先端部分が明らかに刃物で削られて白くなっている長い棒が突き立てられていた。
ヴィレッタはそこを探りに行き、仕掛けられていた魚籠を引きあげる。
「……やはり、そうそうかからない物ですね」
「ちょっと前にトール君が作ってた、釣り針罠の方が効率いいかもしれないわね」
「我々のサバイバルパックの物を使えば、更に効率が上がるのでは?」
「いえ、動物の骨を加工したものを使うらしいわ。アタシ達の釣り針はもうちょっと保存しておきたいらしいわ」
持ちあげた時点の重さで分かっていたが、念のために魚籠に手を突っ込んで確認するヴィレッタ。
あるいはと期待したのかもしれない。
絡まった草を握りしめたまま腕を引き抜く彼女の表情は、どこか残念そうだった。
「まったく状況を把握できていない地で食糧を得るとは、こんなにも難しい事なのですね」
「そうよねぇ……。アタシも訓練以外でほとんど経験のない事だったから、そう言う意味ではやっぱりトール君に助けられているのよねぇ」
アシュリーが、腰にぶら下げている大きな葉の包みに手をやる。
トールとアオイが先日作っていた、細く切った魚の天日干しである。
食糧に関して、トールという男はかなり気を使っている。
「ゲイリーちゃんの動きはどう?」
揶揄するように『ちゃん』付けを強調するアシュリー。
そうして下に見るような発言をするが、アシュリーにとって、実際被害にあったにも関わらず、自分達の排除はおろか、グループからの追放すら言いださないゲイリーの存在は非常に不気味なものだった。
「全くありません。不自然な程に。今はテッサやトールと共に我々のシェルターを設営しているようですが……」
こちらからの人質役という意味も兼ねて、トール達の監視を任せたテッサからのリアルタイム通信を元にヴィレッタが報告する。
「……昨晩、一度トール君のシェルターから抜けだしたようだけどアレは分かる?」
「テッサが確認しております。どうやら、乾燥させていた落ち葉を取りに行ったようです」
「落ち葉?」
「おそらく、トール=タケウチに掛ける物だと推測します」
「あぁ……そういえばトール君、服が血まみれで脱いでいたわね。あの光景と会話にパンチがありすぎて、細かい事が抜け落ちてたわ」
昨夜からほとんど眠れないままだったアシュリーだが、眠気はまったく感じていない。眼を閉じるたびに、血に染まった少年の姿が浮かぶからだ。
「……まぁ、動きがないのならば別にいいわ。となると、注意すべきはトール君とアオイちゃんか」
「肯定です。特にトール=タケウチは、観察対象として非常に興味深いです」
未だに空っぽのままのカゴを抱え直したヴィレッタは、珍しく僅かに口角を上げてそう囁く。
それに対して肯定の意を示したのか、アシュリーも小さく頷き、
「で、ヴィレッタ」
「ハッ」
「自我の乗っ取りは無理でも、思考の誘導は出来ないかしら?」
「……テッサが手を貸してくれれば、あるいは」
「…手、貸してくれそう?」
「先日、殺し合いになりそうになりました」
「やっぱり……」
テッサという少女は、元々は魔術師の兵站破壊を専門とする部隊の出身だったのだが、とある戦闘で部隊は壊滅。
その中で唯一生き残った彼女が、アシュリーの部隊に押し付けられたというのだ。
「破壊工作に長けた兵士にしてはモラルが高くて扱いづらいって人事部の知り合いから聞かされていたけど……」
「悪いことではないのでしょうが、こう言う時は不便ですね」
「個人で付き合うには良い子なんだけどねぇ……ま、無理に言って、トール君に知られるのもあれだし、極秘裏に動きましょう」
「では、当面は?」
「ええ、隙が出来るまで……彼の信頼をある程度取り戻すまではこのまま共同生活を続けて――」
「機会をみて、彼のサブブレインを部分的にでもハッキング。今度こそ、トール君を手に入れるわ」
「二人だけで、ですか?」
「……最悪、悪いけどテッサの自我も一時的に押さえる。いい?」
「はっ、了解であります」
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