第29話 姉弟奮闘

 その可能性を全く考えていなかったわけではないけれど、その時はあっさりとやってきた。


「――翔! 左からも来てる!」


「わかってる! 掴まってろ!」


 言われた通りにドアに掴まるとキュキュキュキュと派手な音が鳴るのと同時に車が百八十度回転し、その最中に翔は開いた窓の外に向かって銃の引鉄を引いていた。


「っそっちはダメ! 右に――」


 再び切り返されたハンドルにイリアちゃんでなくとも口を閉じる。


 まさか半径五キロのところを超えた瞬間から襲われるとは夢にも思っていなかった。翔の言葉を信じていたわけではないけれど、せめてもう少しだけ希望を持たせてくれてもいいような気がする。


「姉貴、撒いたか?」


「…………一応、追ってくる様子は無さそうね」


 言うや否や翔は車を停めて、撃ち尽くした銃の弾倉を入れ替えた。


「とりあえずは落ち着こう。イリア、熱はどうだ?」


「……北から西に流れている。ここは、まだ大丈夫」


「よし。このまま車で進むのがベストだろうが、衛星写真によるとそろそろ車では進めない森に入る。歩けるか?」


「私は平気。イリアちゃんのことも私に任せて」


 ただでさえ気を張っているイリアちゃんを走らせるのは忍びないし、何よりも熱の探知は続けてもらわなければならない。


 後部座席から助手席に向かって手を伸ばすと、イリアちゃんはこちらを振り向くことなく、その手を握り締めた。


「じゃあ、行けるところまでは車で――」


 そこまで言い掛けた翔は何かに気が付いたようにこちらを振り向いたが、その目に私は映っていないようだった。


「……姉貴、バッグをこっちに」


 私の横に置かれていた翔の荷物、もとい武器が入ったボストンバッグを手渡すと焦ったように装備を身に纏った。


「二人とも急いで――だが慎重に車を降りるんだ。姉貴、イリアを頼む」


「……わかった」


 私では気が付かなかったことに翔が気付いたのだと思う。そうでなければ、声色まで慎重になるはずがない。


 先に私が車を降りて、助手席からイリアちゃんを引き出すと、翔は開いた窓からボストンバッグを放り投げて、大きく深呼吸をした。


「ふぅ……いいか? 俺が合図したら急いで木の陰に隠れるんだ。行くぞ? ――今だ!」


 イリアちゃんを抱きかかえて木の蔭へと向かう横目で翔を確認すると、静かに運転席から降りた直後、まるでわざと衝撃を与えるかのように勢いよくドアを閉めた。


 すると――


「っ――!」


 車が二、三メートルは浮く爆発が起こり、その衝撃と熱が辺り包み込んだ。


「……イリアちゃん、大丈夫?」


 抱き締めた体勢のまま問い掛けると、胸の中で頷いているのがわかった。こっちは無事だけれど、向こうは?


「翔――翔!? どこにいるの!? 無事なら返事をして!」


 燃え盛る車の向こう側に投げ掛けると、微かに声が聞こえてきた。つまり、少なくとも生きてはいる。


 イリアちゃんの手を握って車の横を大回りするようにすると、一緒に吹き飛ばされたボストンバッグと、木を支えに立ち上がる翔がいた。


「良かった。無事だったのね」


「ああ。だが、どうやら……寿命が一日分縮んだみたいだ」


 見た目では判断が付かないけれど、確かに声に苦しさが滲み出ている。それに、やはり自分の体のことは自分が一番よくわかるはずだ。ならば、もう翔を戦わせるわけにはいかなくなった。


「でも、走れはするんでしょ? だったら立ち止まっている暇はない。イリアちゃん、熱は?」


 武器が入ってるボストンバッグを私が持つわけにはいかないから翔に持ってもらうけれど、その代わりに私が後方に立つ。熱が集中しているであろう先に敵が待ち伏せしている可能性は低いから、後ろにだけ気を付けておけばいい。


「……熱が、ない……? 一気に風向きが変わったみたい。このまま真っ直ぐに進める」


「熱がない? ……そうか。今の爆風で空気の流れが変わったんだな。だから、ここら辺一帯の熱が晴れたんだ」


 こちらに投げ掛けることなく一人で納得した翔は、イリアちゃんに言われた方向に足を進めていく。


「…………?」


 ああ、そうか。要はさっきの爆風によって熱も吹き飛ばされたってことね。ようやく理解ができた。


 早歩きくらいの駆け足で進んでいく中で気が付いたことがある――というより、疑問かもしれない。


 単純に何故、木がそのまま残っているのかということである。


 翔曰く、穴の中心に向かうには大気圏に突入できるだけの宇宙服が必要だとか。つまりは人の体ではその熱に耐えられないし、ましてや植物なんて以ての外のはず。にも拘らず、先程まで熱の真っ只中にあったはずの木々が、葉がそのままの形で残り、揺れているのはどういうわけ? ……もしかすると、私は――私たちは何か大きな勘違いを――


「止まって。風向きが戻った。右から大きく回るように進んで」


 イリアちゃんに指示されたように方向展開しようとしたところ、先頭に居る翔は静かに息を吐いてしゃがみ込んだ。


「翔? もしかして体の具合が……」


「いや、それはまだ大丈夫だ。それよりも……歩兵一個大隊ってところか。追ってきているな。イリアの指示通りに進んでいくのもいいが、それでは追い付かれる。だから、さっき証明されたことを使わせてもらう」


 追っ手が迫ってきていることなんて、後ろを警戒している私ですらわからなかったのに、翔は勘や経験、地面に触れるだけでわかってしまう。いよいよ、今に始まったことではないが私の存在意義が無くなってしまう。


「……よし。二人はそっちの陰に」


 私とイリアちゃん、数メートル離れた木の陰に翔が隠れると、取り出した手榴弾のピンを抜いて、先程まで私たちが立っていた場所へと放り投げた。何かを指示されたわけではないが無意識に耳を塞いでいると、あまり激しくない音と衝撃が体に伝わってきた。


「どうだ、イリア」


「……うん。まっすぐに進める」


「よし。ちなみにだが、あとどれくらいの距離だ?」


「……穴までは一キロと少し。でも、そこから先は熱の歪みが無いから近寄れない」


「え、無いの? じゃあ、どうやってパパの下まで行けば……」


 会話をしつつ、疑問を持ちながらも足を進める。考えることも必要だけれど、今はこの場で戦いになることを避けたい。ドラゴンが目と鼻の先に居るのなら未だしも、まだ一キロ以上あるここで翔に倒れられるのは困る。仮に私が足止めしたとしても目的地まで遠ければ遠いほど、追い付かれる可能性は高まってしまうから。


「イリア。歪みが無くとも、今と同じように爆風で熱を吹き飛ばすことができるんじゃないか?」


 それは私もそう思っていたれど、期待とは裏腹にイリアちゃんは顔を横に振る。


「たぶん、無理。この熱はパパの体から出ている、パパの一部。この辺りは体から離れているから空気に流されているけど、近くに行けば絶対に無くなることはない。簡単に言えば、絶対に割れない風船がパパの体を包み込んでいるってこと」


「そうか。……だとしたら、そもそも近付く術もないってことになるが、どうするかな」


 たしかに。


 ドラゴンに会えないのでは、ここまで来た意味が無い。もしかしたら、自衛隊なら政府から宇宙服の一つでも支給されているんじゃない? だとしたら、それを奪って翔だけでも会いに行かせればいい。もちろん、他に何も手が無ければの話だけれど。


「ううん。たぶん、それも大丈夫。賭け、だけど……別の道から行って、パパがイリアだって気が付いてくれれば、そこだけ熱は無くなると思う」


「それは朗報だ。だが、その前に――姉貴、伏せろ!」


 翔がイリアちゃんの体を引き寄せて、私に向かって銃口を向けた瞬間にしゃがみ込むと頭上で複数の銃弾が飛び交い始めた。


「翔……翔!? イリアちゃんのこと任せたわよ!」


「ああ、任せろ! 俺は援護を――」


 身を低くしたまま銃弾を避けるようにして木々の間に避難すると、翔のほうに向かって撃っている人数を確認した。


 一、二、三……六人。


「翔! イリアちゃんを連れて先に行って! すぐに追いかけるから!」


 返事は無いけれど、背後からの銃声が徐々に離れていくのがわかる。私だって役に立つってところを見せないとね。


 歩兵たちが翔に気を取られている隙に横から回り込み、飛び付くように重めの三発を食らわせて倒した。どうやら翔は自衛隊の中でも相当強いという評価らしい。ということは、大抵の隊員は私よりは弱いということになる。無論、銃無しでの話だけれど。


 続け様に二人、三人と倒していくと、ようやく異変に気が付いたのか銃声が止んだ。


「……警戒しろ」


 聞こえているよ。


 何故だろう――絶対的にこちらのほうが不利なはずなのに、物凄く体が軽くて負ける気がしない。これは多分、初めての感覚だ。道場で生徒を相手に試合をするときや、翔との本気の勝負とも違う。誰かを守るために戦うというのは、こんなにも力が溢れ出てくるものなのか。


 一人を補足し、落ちていた石を拾い上げて反対側へと投げ捨てると音に反応して、こちらに背を向けた。その瞬間に首元へ飛び付き、角度をつけて絞め落とした。


「こっちだ! 見つけたぞ!」


 銃弾が髪の毛を掠めた。的を絞られる前に姿を隠したけれど、これではただの時間稼ぎにしかならない。相手は銃で、対するこちらは素手。もちろん、CQCは対武器相手の訓練もしているが、それは離れていない場合の話であり、距離が開いてしまえば圧倒的に不利な状況を覆すことは難しい。しかし、それは難しいだけであって不可能というわけではない。


 日本の警察や自衛隊がどれだけ実戦経験のない部隊だといっても、対人訓練は間違いなく行っているはず。


「こっちよ!」


 けれどそれは、殴る蹴る投げる押さえるの訓練であり銃を向ける訓練ではない。だから、こうして真っ直ぐに銃口に向かって走ってくる人間に照準を合わせることには慣れていないし、仮に引鉄を引かれたとしても――翔には力も体格もあって、私に鍛えることができたのは技術と反射神経と、単純な速度だけ。つまり、銃口が目の前にある以上は弾の放たれる先がわかるということ。避けることは容易くないにしても不可能ではない。


「っ――ぐ!」


 突っ込んでいき懐に飛び込めば、そこは私の範囲内。あとは持ち得るだけの技術を使って相手を再起不能に叩きのめすのみ。


 顎に打ち込んで気を失い倒れる瞬間に、どこかから放たれた銃弾が男の肩に直撃した。


「どこに――」


 撃った者は、男の背後に居た。私がここに居るとわかっていても、そこからの位置では絶対に当てることができないとわかっていながら、仲間を犠牲にして撃った。そっちの世界ではそれが普通なのかもしれないけれど、それは許されないことだ。


 なのに、男は撃ち続けて、まるで目の前に居る男は私を守るかのように盾になって血を吐き出した。


「そう……そのつもりなら」


 すでに事切れた男の手に握られたままになっている銃を包み込むように手を添えて、体を回転させながら、指の掛かった引鉄を上から押した。


 撃ち出される二発の弾丸は――上手いこと男に命中し、崩れる様に倒れ込んだ。


「はぁ……初めて、人を……」


 けれど、おかしい。私は、おかしい。


 だって――なんの罪悪感も覚えていない。だからといって快感も無い。ただ、一つの障害を乗り越えた安堵感だけが私の心に渦巻いていた。


 ……力が湧いてくる。だけれど、それ以上に感じるのは、誰かのために自らの命を投げ出すことが容易いことと、誰かの命を奪うことの容易さに心が震えている。


「……こわい、な」


 無意識に出ていた言葉が何を意味しているのかは私にもわからなかった。けれど、今は翔とイリアちゃんを追わなければならない。そう思った時にはすでに体が動いていた。


 ……歩兵一個大隊?


 翔が言っていた言葉に対する疑問だけが、そこには残っていた。

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