第28話 樹海を進む

 端的にいうと、闇医者の老人が用意してくれたのは年に似合わぬハマーの改造車だった。しかも、諸に軍事用のカスタムを施されていて本当は私が運転するつもりだったのに『これなら戦車が相手でも勝てる!』と興奮した翔に運転を任せることになり、私とイリアちゃんは大人しく後部座席へと腰を下ろした。多少の不安はあるけれど、実際、傷は塞がっているし問題は無いだろうと任せることにした。


 あれから二時間足らず――富士の樹海方面から逃げる様に走り去る車を横目に、自衛隊が作ったのであろうバリケードまで辿り着いた。


 しかし、見張りの姿は窺えずそのままスルーして通り過ぎた。


 それからというもの、弟は運転中だというのに携帯を片手にずっと電話を繰り返している。日本語は当然として、英語に中国語、さっきのはフランス語? とりあえず、いろいろな国の人と話しているようだった。


「ふぅ……大体のことはわかった。どうやら日本では報道規制が敷かれているようで、自衛隊の訓練だの飛行機の墜落だのと憶測が飛んでいるが海外では昨日からトップニュース扱いされているよ。ほら」


 手渡された携帯の画面には日本語に変換された海外のニュースサイトが映し出されていて、覗き込んできたイリアちゃんにも見える様に画面を傾けた。


「なになに――富士山よりジャパニーズドラゴンが誕生。自衛隊と交戦。死傷者多数、ね。昨日の空を見ていた日本人ならこれくらいわかっているでしょ」


「だが、日本政府は国民の混乱と混沌を恐れているから絶対に報道はさせない。聞いた話では自衛隊の陸・海・空がすでに次の出現に備えて配備されているらしい。それに友好国であるアメリカからはストライクパッケージの打診が来ているし、最近ではあまり友好的とは言えない中国なんかは『あのドラゴンは我々の兵器だ』とでも言いだしそうな雰囲気らしい。まぁ、中国とドラゴンってのが繋がらなくもないからな。とはいえ、日本にとってあまり明確な敵がいないにしても、それに近いいくつかの国は今が攻め時だと考えているようだ」


 他国が日本との戦争を望む理由は頭の悪い私にだってわかる。もっとも大きいのは自国にとって有利な条約を結ぶためだ。そして、そのためには自衛隊が国内の問題に気を取られている今こそが落とし時と考えるのは、当然のことなのだろう。


「面白いのはさ、どこかの国は、この日のために日本はゴジラでシミュレーションをしていたとか言っていたり、別の国では日本はこういう時のために多くの虎を飼育している、とかね」


「……龍対虎? それはまた、ハブとマングースくらい見応えがありそうね」


「絶対的な大きさの差の前では結果なんてわかり切っているけどな」


「……ん?」


 くいくいっと袖を引かれて視線を向けると、笑顔のイリアちゃんが私の顔を見詰めていた。


「よかった、ね」


 私にだけ聞こえる声で、囁いてくれた。


 ――うん。私も丁度、同じことを思っていたところだよ。


「ところで、翔。今どこに向かっているかはわかっているの? そのパパの居るところ?」


「ああ、それについては考え中なんだが……これを見てくれ」


 再び渡された携帯に映っていたのは中心に大穴が空いた空撮写真だった。


「うん、これが?」


「これがドラゴンの出てきた穴の衛星写真だ。自衛隊の馴染みに聞いたところ、穴を中心にしてバリケードが設置されているのは半径十キロの辺りで、隊が陣形を組んでいるのが半径五キロのところ。熱源センサーによって穴の中にドラゴンが居るのは確認できているが、それ以上は近寄れずに手を拱いている状態らしい」


「近寄れない? というか、別に近付く必要ないでしょ。ミサイルでもロケットでも撃ち込めばいいんだから」


「そうもいかないから、って話だ。どうやら穴から半径四、五キロ圏内を熱を持った空気が包み込んでいるらしくてな。初動部隊の数人がその熱風を浴びただけで皮膚が焼け爛れて喉も焼けたらしい。いくつかの防護服も試したが、中心に近付くにつれて熱が上がっているらしく、調査部は単独で大気圏に突入できるほどの宇宙服でもなければ近付くことは不可能だと結論付けたらしい」


「らしいらしいって、一つも確証がないの?」


「そりゃあ仕方がない。いくら信用出来る情報だとしても、実際にこの眼で見ていない以上は、仮説の空想だからな」


 こういう会話をしていると、考え方から改めて姉弟なんだなと実感する。


「じゃあ、どうするつもり? イリアちゃんのパパに会うには、その熱の中を通らなきゃいけないわけでしょ?」


「そう。だから――どう思う? イリア。何か方法はあるか?」


 バックミラー越しにイリアちゃんを見る翔に釣られて、私もイリアちゃんに視線を向けると考える様に下唇を噛み締めていた。


「イリアなら、パパの居るところはわかる。それにパパの出している熱の空気が薄いところもわかる。でも……たぶん……」


「ああ、そうだな。だが、イリアのほうが正確にわかるだろう? だったら、俺はイリアを信じるし、ドクターとの約束も守るつもりだよ」


「……ん、どういうこと?」


 二人で納得したようにバックミラー越しに目を合わせて頷いているけれど、私にはまったく意味がわからない。


「考えてみろよ、姉貴。熱を出しているのは間違いなくドラゴンだが、そうはいっても生物なんだぞ? つまりは範囲内すべてに気を張っておくことは出来ないってことだ。風が吹くってことは空気の流れがあるってことだし、それに伴って熱が濃い場所と薄い場所――もとい、より熱い場所とそうでない場所があるってことだ」


「……あ、そっか。自衛隊もそのことに気が付いているはずだから鉢合わせになる可能性がある。だから――だから、翔。ダメだからね」


「わかっているよ。それに多分、バリケードを超えた時点で俺たちのことは知られているはずだ。なのに、襲って来ないということはすでに俺を殺す命令が取り下げられたか、そもそも相手にしている余裕も無いってことだから、仮に鉢合わせしたって戦闘になる可能性は限りなく低い」


 言いたいことはわかるけれど、それだって仮説に過ぎないし、単に襲うよりは待ち伏せのほうが楽だから今は襲われていないってだけかもしれない。とはいえ、それを言ったところで行動を変える弟でないことは、私が一番よくわかっている。だから、私が出来るのはうまく制御することだけだ。それができなかったとしても、絶対に翔とイリアちゃんだけはパパの下へと送り届けるんだ。


「じゃあ、早速だが頼むよ、イリア。どこを進んでいけばいい?」


 問い掛けられたイリアちゃんはもぞもぞと座席を超えて助手席へと移動した。


「……ん、向こう」


 それなら私は周囲の警戒に専念することにする。だって、翔の不安が杞憂に終わることなんて、絶対にないのだから。

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