第30話 ともしび

 私には熱を探知することは出来ないけれど、足には自信があるからそれほど離されてはいないはず。とにかくまっすぐ――まっすぐに進んでいたら、何やら不穏な空気を感じて足を止めた。


「…………」


 違う。空気を感じた、とかじゃない。いわゆるデジャブに近い感覚だ。それもごく最近の、翔を助けにいったビルの、部屋の前に居る感覚。


 一人から二人が通れる幅にまで生い茂った森の中で、嫌な気配のするほうに足を進めると、そこにあったのは予想通りの光景だった。


 死体。死体。死体。


 山と言うほどではないが、明らかにここで戦闘が行われた形跡がある。幸いだったのは、ここに翔とイリアちゃんがいないことだ。自衛隊同士で仲間割れをしたということはないだろうから、まず間違いなくこれをやったのは翔のはず。つまりは、また寿命を縮めたということだ。


「……いや」


 そんなことよりも――いや、翔の寿命はそんなことではないけれど、もっと心臓が締め付けられるようなことが起きている。その考えが浮かんだ瞬間には、駆け出していた。


「なんで――なんで――っ!」


 なんで、自衛隊のほうが先回りをしているんだ!? 


 ――――。


 銃声が聞こえてきた。先程の戦闘跡は、おそらく私も歩兵と戦っているときのものだから気が付かなかったけれど、次は私が行く。だって、次が三回目だから。もう、翔には後がない。


「……この木なら」


 撃ち合いをしているだろう一歩手前で足を止め、太くて丈夫な枝分かれの多い木に手を掛けて、辺りが見渡せるところまでよじ登った。


 ……数が多い。おそらくはこっちが歩兵一個大隊だろう。どうして先回りされていたのかはわからないけれど、とりあえずは翔とイリアちゃんと合流しなくては。


 居場所は――あそこか。


 木から飛び降りて、地を這うように走りながら倒れている男たちを目印に進んでいく。戦闘跡の続く先に翔はいる。だから――?


 違和感を覚えながらも、銃を持った複数の相手に至近距離でナイフ戦を繰り広げる翔を発見した。


「翔!」


 背後から一人。気を取られている二人目、翔と協力して三人目を倒した。私の倒した三人は気を失い、翔が倒した三人はナイフで刺されて動けずに蹲っていた。


「はぁ……姉貴、助かった」


 息も絶え絶えのところを見るに、すでに寿命が――臓器に限界が来ているのだろう。


「翔、あんたもしかして――」


 言い掛けたところで再び銃撃され、翔を引っ張りながら木の陰に避難した。


「イリアちゃんはどこ? 無事なの?」


「無事だ。この辺りに別の道があるらしくてな。探している」


「そう……こんなことを訊くのはおかしいかもしれないけれど、あんたは相手をナイフで行動不能にしているだけだった。どうして殺さないの?」


 銃弾を受けながら訊くことでないのはわかっている。それでも、今、訊く必要があると思った。


「……もう、俺は人を殺さないと決めたんだ。だから、もしも俺が殺されそうになって、相手を殺さなければ助からなかったとしても、俺は――殺しはしない」


 確固たる意志を持った目ね。……あれ?


「でも、さっき向こうには死体があったわよ?」


「ん……ああ、あれは同士撃ちだよ。特に戦闘に不慣れな上に、山の中、森の中での戦闘ではそういうことがよくあるんだ」


 なるほど。それは私の知らない世界の話だ。


 翔が人を殺さない決断をしていたのに、私はつい先刻、不可抗力とは言え多分、人を殺したばかりだ。それを伝えるつもりもないけれど、胸の中が少しだけチクリと痛んだ。まぁ、こういうこともある。


「それで、どうする? ここに居ても埒が明かない。何よりも、翔の体が持たないでしょ?」


 具体的な制限時間があるわけではないと思うけれど、翔の顔色にしても、今も頭上を飛び交う銃弾とを考えても、あまり時間は無いと思っておいたほうがいいだろう。


 やることは大きく分けて二つ。


 まずは追ってくる自衛隊を撒くこと。目的が翔なのかイリアちゃんなのかはわからないけれど、少なくとも殺す気で来ているのは間違いない。そうでなければ、同士撃ちとはいえ死ぬことは無かったはずだし、私だって狙われる理由は無い。


 次に、仮に追っ手を撒けなかったとしても、最短で、できるだけ安全にドラゴンの居る場所へと向かうこと。翔の体が治って万全になり、その上でドラゴンとの話し合いができれば、そもそもの争いが無くなる。


 けれど――


「――ねき――姉貴!」


「え、なに?」


「もう押さえ切れなくなってきてる! 移動するぞ!」


 普段は使わない頭を使っていると、いつの間にか人影と銃声が近付いてきていた。


「わかっ――待って! イリアちゃんは!?」


「移動しながら合流するしかない! 行くぞ!」


 そう言って腰を上げた瞬間に、追っ手が迫っている方向とは反対の草陰からガサガサと音がして、私と翔は身構えた。


「っつけ……た」


「イリアちゃん? 良かった、捜す手間が省けた。翔、イリアちゃんも一緒、に――」


 振り返ると、翔の後ろから伸びる手に握られた拳銃が目に入った。銃口の向かう先は、目の前に居る翔でも私でも無かった。


「っ――イリアちゃん!」


 覆い隠す様に抱き締めた直後に響いた二発の銃声――しかし、私の体には何の衝撃も走らなかった。ハッ、としてイリアちゃんの体も確認するがどこにも怪我はない。ならばと急ぐ首に、体が追い付かない。


「…………」


 視界に捉えたのは銃を構える二人の男。まるでスローモーションのように崩れ落ちる男の姿が目に映り、そこで漸く発射された二発は、それぞれが一発ずつ撃ち合ったのだと気が付いた。


「……翔!?」


 こちらに背を向けていた翔が構えていた銃を地面に落として、重力に引っ張られるように体を沈めた姿に嫌な予感しかしない。完全に倒れ込む前に肩を支えると、しっかりと押さえられた脇腹から流れ出ている血に気が付いた。


「どう、してっ――」


 いや、理由なんてわかっている。私が咄嗟にイリアちゃんを庇ったのと同じように、翔も私たちを庇ったのだ。自分の命など顧みずに、考える暇も無く脊髄反射で動いてしまうのだ。


「こっち!」


 イリアちゃんの声に反応して振り返ると、草蔭へと体を顰めて私たちを手招きしていた。


 一帯を覆う熱にしても、樹海の中にしても誰よりも詳しいイリアちゃんの独壇場だということはわかっているから、私だって迷わない。


「翔、少し我慢して」


 無理矢理、担ぐようにして草陰へと引き摺り込むと先を行くイリアちゃんが数メートル先で姿を消した。見失うまいと急いでみるが思うような速度は出ない。一歩一歩確実に、そう思って足を踏み込んだ瞬間に、全身に痛みが走った。


「っ――!」


 視線を下ろしてみれば太腿が撃たれたのか、それとも流れ弾にでも当たったのか滲み出た血が服を伝って膝下まで流れ出ていた。どうして気が付かなかったのかというよりも、どうして痛みを感じるのが今なのか。せめて少し前なら対処のしようもあった。そうじゃなければ、もう少し待ってくれてもいいじゃない!


「あ、ねき……俺の、ことは……もう……」


「っるさい! もう、とか言うな。あんたは私が助ける。そんで一生分感謝させるんだ。だから、それまでは気を失わないで!」


 反応は返ってこないけれど、それでもいい。背中越しに感じる息遣いと、心臓の鼓動があれば、それだけで構わない。


 足を引き摺りながらもイリアちゃんの姿が消えたところまで辿り着くと、足元からひょっこりと顔を出して手招きをしてきた。


「こっち。急いで」


 そういう割には、あまり急いでいるように聞こえないイリアちゃんの指示に従い、意を決して有り得ない形で顔を出していた場所に足を踏み入れると、途端に体が沈み込んだ。


 坂道というわけではない。かと言って、沼地に嵌まったというわけでもなく、例えるならいきなりエスカレーターに乗せられた感覚だった。けれど、進むのは――沈んでいくのは斜め下ではなく、垂直に真下だった。


「……これは……?」


 意味の分からない垂直下降にしてもそうだが、何よりも場所に疑問を持った。そこは宛ら――地下空洞。鉱山に造られた洞窟と表現してもいい。要は、土の中、地面の中のはずなのに、想像以上に綺麗で整えられた洞窟が目の前に広がっていた。


「……いえ、やっぱりなんでもいいか」


 考えることを放棄した。だって、今から私たちが会いに行こうとしているのはドラゴンなんだ。それそのものが未知の生物なのだから、それ以外でどれだけ未知のことが起ころうとも、説明が付くはずもないし、ただそうなのだと納得する他にない。たぶん……翔だって同じことを言う。


「イリアちゃん、ここにドラゴンが……その、パパがいるの?」


「うん、居る。パパもイリアのことに気が付いている。だから、これから先に進んでも熱の影響を受ける可能性は低いと思う」


 二、三分歩いたところでイリアちゃんは足を止めた。


「……こっち」


 左右に分かれた道を前に、何度も迷ったように視線を行ったり来たりとさせているイリアちゃんは、何かを感じ取ったのか進み出し、私と翔はそれに付いていくしかない。信じられるのは、頼れるのはイリアちゃん以外に何もないのだから。


 前を進むイリアちゃんが不意に立ち止まると、大きく深呼吸を繰り返して、ゆっくりと振り返った。背中で感じている翔の鼓動からは、もうそんなに余裕も無いのだけれど。


「たぶん……パパは怒ってる。だから、まずはイリアに話をさせて。時間が無いことは、わかってるから」


 震えながら頼み込んでくる姿を見て、断れるはずもない。それに可能性だけの話をしても、私や翔が直接お願いするよりかは圧倒的に頼りになる。


「うん、お願いね」


 洞窟を進んでいくにつれて酸素が薄くなっている気がする。熱で殺される心配はないとも言われたけれど、肌に触れる空気がどんどんと熱くなっていくのがわかる。つまりは――近付いているのだ。


「っ……」


 体温が高いせいか足の出血は未だに止まっていないし、二人分の重みを支えているせいか痛みも強い。けれど、こんな痛みなど翔に比べれば……?


「……翔? ねぇ、翔? ちょっと、ねぇ……冗談はやめてよ。ねぇ……ねぇ、翔!」


 自分の痛みに耐えていたせいか、翔の息遣いと鼓動に意識が向いていなかった。


 ……何も聞こえない。何も、感じない。


「翔、起きて。ねぇ――起きてよ。しょ、う……イリアちゃん! ドラゴンはどこに居るの!?」


「もう――もうすぐそこ! 急ごう!」


 焦りのせいか溢れ出てきた涙を拭うと、前を進んでいたイリアちゃんが戻って来て、空いていた翔の反対の肩に体を滑り込ませた。


 居場所がわかったのなら捜すことに集中する必要がなくなったということだろう。良かった。私の足にもそろそろ限界がきそうだったから。


「そこ……次の分かれ道を左に……」


 二倍速とまではいかないにしても、先程までと比べて圧倒的な速さで進んでいく。


 そして、角を曲がった瞬間――目の前の光景に息が詰まった。同時に、疑問にすら思っていなかった洞窟内を照らしていく明かりに説明が付いた。空気が暖かいとか熱を感じるとか、そういう次元の話ではない。最早、熱そのものがその場に存在している。燃え盛る炎が、燃える血潮が、大きな塊となって私を見下ろしている。


「パパ……お願いが、あるの」


 気が付けば、いつの間にかドラゴンの眼前にまで迫っていたらしいイリアちゃんが握った拳を震わせながら声を出した。

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