第15話 予期せぬ衝撃
すでに日は落ちて、辺りには静寂が漂っていた。
うちに入るや否や、お姫様は私のベッドに寝転がりメイキングをしておいたシーツを手繰り寄せて蹲ってしまった。まぁ、放っておくのが一番なのだろうな。
「ふむ……じゃあ、お腹が空いたら冷蔵庫の中にある物は好きに食べていいから。冷凍の物はちゃんと温めてから食べる様に。あと……頭を整理するのには眠るのが一番だ。だけど、出来ればお風呂に入ってさっぱりしてからのほうが良い。疲れているだろうからね」
風呂の準備をして、冷蔵庫の中身を食べられそうな物から手前に移動して、再びベッドの前でしゃがみ込んで、はみ出ていた頭に手を置いた。
「私は、一度研究室に行ってくる。今日中には戻ってくるつもりだが、後処理とか――まぁ、いろいろあるから。何か食べて、お風呂に入ったら先に寝ていてくれ。じゃあ――」
立ち上がろうとしたとき、伸ばしていた腕の服の袖を掴まれた。
「…………」
お姫様は何も言わないが、その手がまだ微かに震えていることに気が付いた。
「大丈夫だ。私は突然いなくなったりしないし、拒絶したりもしない。安心していい。安心して――眠るといい」
頭を一撫ですると、渋々ながらも掴んでいた袖を放してくれた。
「それじゃあ、行ってくるよ」
家を出て、しっかりと鍵を閉めてから研究室へと足を進める。
……たった数日で、随分と変わってしまったものだ。
子供なんか嫌いで、面倒だと思っていたにも拘らず、すっかり可愛がってしまっている。どこの誰とも知らないあの子を……まったく。掌返しも過ぎるし、キャラがぶれ過ぎだ。私の本分は科学者で、それも重度なマッドサイエンティスト気質だったはず。
この先もずっと一緒なんて不可能だとわかっているのだから、あまり深入りをするべきではないぞ、私。
気合を入れ直して大学構内へ。さすがに夜だけあって学内のいくつかに明かりが見えるが、すれ違う生徒はいない。
研究室の前に着き、鍵を取り出したとき違和感を覚えた。
「……キズ?」
扉に見覚えのない傷が付いていたのだ。そもそもここを訪れる生徒など石鎚くんを除けば木崎さんくらいしかいないわけで、今となってはどちらもいないのだから、誰も来るはずがない。しかし、珍しく訪ねてきた生徒が、私の不在に機嫌を損ねて扉に怒りをぶつけた可能性も――覚えがあり過ぎて逆に怖いくらいだ。明日にでもまた訪ねてきてくれれば謝罪をしなければな。
「さて、と」
こんな時間に研究室に来た理由は一つ――いや、二つ。三つかな?
とりあえずは分析中の機材を停めて、データを削除することだ。人との関わりを否定するドラゴンの鱗のデータなど、百害あって一利なしだからね。そして、それに伴う諸々の処理を――と思い、扉を開けて明かりを点けたとき自分の目を疑う光景が、そこにはあった。
床に散乱する紙束と岩石関係の書物。私が集めた石もケースから出されて散らばっている。大型の機械まで壊されているが、スーツケースに入れていた小型で高級な器材は無事だ。
ああ、なるほど。扉が傷付いていたのはこのせいか。泥棒? だとすれば高い機材を盗まずに壊すのはおかしい。競合する研究者なんて国内にも数人しかいないし、仲が悪いわけでもなく情報交換はマメに行っている。
では――何が目的だ?
「……ん? ああ、パソコンは無事なのか」
床に転がっていたパソコンを拾い上げてみれば何事も無く起動した。
中身を確認してみれば、出ていく前に放っておいた分析が終了していた。が、今となってはどうでもいいこと。引き出しを開けると、やはり荒らされていたが、その中から完全消去ソフトの入ったUSBを見つけ出してパソコンに差し込んだ。
後処理どころか後片付けまで増えたわけだが、警察に通報するよりも先にデータは消しておいたほうが良い――と、データの消去を開始。
「じゃあ――まぁ、どうするかな」
こんな惨状にした理由は別にしても、少なくとも目的はあったはず。散乱している石なのか、研究データなのか……一つずつ確認しないことにはわからないな。お姫様には今日中に戻ると言ったが、これでは帰れそうにない。充分な準備をしてきたから大丈夫だとは思うが、夜更けと共に一度帰って顔を見ようか。
そうと決まれば、掃除だ。
「――っ!」
研究室の一番奥に置かれていた複数の大型機械の無事から確認しようと歩み寄っていたところ、背後から音がして振り返ると――そこには映画などでしか見たことがない、全身黒尽くめで銃で武装した二人が立っていた。頭に過ったのは二つの可能性。警察か、テロリストか、だ。
どちらにしても、冷静に対処しなければ。
「……なんの用でしょうか? 見ての通り、今はタイミングが悪いんですよね。なので、仕事の依頼でもしたいのなら、また今度にしてもらえると助かるのですが」
この二人は、体格からしておそらく共に男だろう。
その男たちは互いに顔を見合わせるだけで何も言わずに、ただ銃口をこちらに向けてくる。
「……わかりました。用が無いのなら――いや、用が有ったとしてもまずは手伝ってもらえます? 片付けないことにはどうにも――っ」
パツンッパツンッと乾いた音が聞こえたのと同時に、体にも衝撃を受けた。
視線を下げてみると、腹部と右胸の辺りから血が滲み出てきていた。痛みというよりも体に熱を帯びてきた。
「これは……な、にっ――」
全身から汗が噴き出してきたかと思えば、途端に脚に力が入らなくなり崩れ落ちる様に床に倒れ込んでしまった。そこで漸く、撃たれたのだと気が付いた。
撃たれた傷が熱いはずなのに、体から血の気が引いていくような妙な感覚を覚えていた。
ワケがわからない。テロリストが研究室を荒らし、私を撃った理由はなんだ? 探し物が見つからなかったのなら、殺さずに拘束するべきだろう? いや、何よりも私の研究に、そんな大それたものはないはずだから、そもそもの理由が不明瞭だ。
違う。もっと――もっと根本的に、そもそも、だ。
仮に、私の研究の何かが誰かの琴線に触れたのだとしても殺すまでではないだろう。
ただの一介の研究者を殺す理由なんて――そう易々と人を殺す理由なんて誰にもないはずだろう!
うつ伏せに倒れた状態から拳を握り締めて体を起き上がらせようとしたが、どうしても体に力が入らない。床を這うようにしてテーブルの下まで行くと、半開きになった引き出しに腕を引っ掛けて、やっと上半身を浮かせることに成功した。勢いをつけてぐるりと回ると、テーブルを背に床に座ることができた。
痛みと、寒気と、吐き気と、息苦しさに襲われる中、霞み始めた視界に捉えたのは言い合いをしているような男たちの姿だった。
「っ――――!」
「――――」
すでに声が聞こえない。
そうか。こういう時は、目よりも先に耳が聞こえなくなるものなのか。科学者としての性なのか、そんなことを考えていると、怒っているようだった一人の男が私に気が付いて近付いてきた。
「――――」
何かを言っているようだが聞こえないし、読唇術など体得していない。
だが、その男の瞳が後悔しているように揺れているのには気が付いた。
私のことを殺そうと――現に、今まさに死に向かっている原因を作ったグループの一人のはずなのに、何故だか無意識にポケットの中から取り出した物を渡そうと手を差し出していた。
男は、そんな私の手の動きに気が付くと力強く握り締めてきてくれた。私には――もう、握り返すだけの力が残っていない。
もう、何もわからない。
もはや、脳まで酸素が回っていないのだろう。考えることすら難しくなってきていたが、一つだけ――何を置いても、一つだけはこの男に伝えなければならない、と残っていた全神経全細胞が口元に集まっていた。
「っ――ひめ――イ、リア、を……の、み……す」
研究者として過ごしてきた人生の半分の中で、やはり少なくとも後悔はあった。心残りもあった。なのに――そのはずなのに、最後に頭に浮かんできたのは石のことでも研究のことでも、ましてや両親のことなどでもなく――お姫様、イリアのことだった。
まさか、こんなに早く人生の終わりを迎えることになるとか、撃たれて死ぬことになるとか、そんなことよりも最後に浮かぶ顔が、ここ一日二日で知り合った少女のものになるとは思いもよらなかった。
ああ、本当に――ままならないよね、人生ってやつは。
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