第14話 邂逅
……そうか。どうやら私は選択を誤ったらしい。まず、すべきことはこの子の願いを訊くことでは無く児童養護施設かどこかの専門機関で心を診てもらうことだった。岩の擬人化――別段、何かを擬人化することが問題なのではなく、今回の場合は岩を父親と思い込んだ上で、そのおかげでこれまで生きてきたであろう事実が問題なのだ。とはいえ、明確に何が、と問われれば答えられないのも事実なのだが。
「ふむ……じゃあ、私はちょっと一周してくるから。お姫様はここで……その、お父さんに抱き付いていてね」
懐中電灯で左右の道を照らして、特に意図することなく左の道を選んで進み出した。
私の読みが正しければ、この先にもう一つ道があるはずなのだが――それよりも暑さが和らいだことにも違和感を覚えている。考えようによっては広い空間に出た分だけ空気が散ったおかげで熱が逃げたのかもしれないが、おかしいのは体感では暑さを感じているのに壁や岩に触れても熱を感じないことだ。
地熱ではないすると――この熱はどこから来ている?
「おっ――!」
疑問符を浮かべたとき、昨日と同じような地鳴りを感じて、しゃがみ込んだ。その時、地面に手を着いたのだが、やはり熱は感じずに首を傾げずにはいられなかった。が、今はそれどころではない。
「お姫様! 無事か!?」
いや、離れたところから声を掛けても、大声を出すような子でないことはわかっている。
来た道を引き返そうと隆起した岩に手を当てたとき、脈打つ鼓動を感じて全身の血の気が引いた。
「岩が――生きている?」
急いでお姫様の下まで戻ると、岩から離れたところで上を見上げ、笑顔で腕を広げていた。
「ぱぱ!」
未だに地面が揺れ続けている中で状況を把握できるはずもなく、お姫様の少し後ろに立って一度二度深呼吸を繰り返すと、同じように上を見上げてみた。
「っ――!」
筆舌に尽し難いとはこのことか。
動く、岩。擬人化だなんだと思っていた直後にこれとは、まさしくシュールだ。
しかし……これは、なんだ? 岩が動いているのだとは思うが、地震が起きて岩がより隆起してきている感じでもない。何よりも先ほど感じた心臓の鼓動のようなものはいったい――ん?
俯きながら考えていると、微かに入り込んできていた明かりが遮られたことに気が付いて、視線を上げてみると、今日何度目かわからない衝撃を感じた。
高くまで上がった岩に付いた二つの瞳がこちらを見下ろしてくる。
「ぱぱ! ただいま!」
「…………なるほど」
別に納得したわけではないが、口を吐いて出た言葉が『なるほど』だった。ここまで来たら多少のことでは驚かないさ。一先ずは、状況の確認をしよう。
「え~っと、お姫様。ぱぱっていうのは……この……なんだ、これが父親ってことかい?」
「そう!」
「そう――そうか。うん……どうしようかね。いろいろとキャパ越えしている部分も否めないわけだが……一応は自己紹介を。どうも、岩国飛礫と申します。以後、お見知りおきを」
以後、ね。末永くお付き合いするつもりもないくせに、大人としての社交辞令が出てしまった。とは言っても、岩なのかなんなのかわからない相手に言っても詮無いことか。
「イリアよ。何故戻ってきた?」
聞こえてきた声は直接頭の中に響いているようだった。
「なぜ? ぱぱに会うため!」
親しげに話すお姫様は違和感を覚えていないようだが、私のほうは頭の中に直接響く声に若干の吐き気を感じていた。
「……その人間は?」
「この人は――きょうじゅ!」
「きょうじゅ? 岩国飛礫ではないのか?」
「ん~……?」
頭を振って吐き気に慣れてきた頃、話している内容が私に関することだと気がついた。
「人間よ。お前は、なんだ?」
「私は、岩国飛礫。大学の教授なので、どちらも正解ですね」
「そうか。では、岩国飛礫よ。我は岩ではない。本来、名などに意味はないが、人の言葉でいうところの――ドラゴンや竜、といったところであろうな」
「ほう。なるほどなるほど。興味深いですね」
ゴーグルを外してまじまじとその岩肌を眺めていると、真上から息遣いのような吐息を感じて見上げると、見下ろしてくる二つの瞳のすぐ下が割れて呼吸するように息を吐いていた。つまり、少なくとも呼吸をする生き物だということか。
「岩国飛礫よ。おかしな人間だな、お前は。これまで出会ってきた人間のどれとも違う反応を見せている。普通ならば畏怖し恐怖し、慄き恐れてすぐに逃げ惑うのだがな」
「あ~……まぁ、普通ならそうなのかもしれませんが、少なくとも私は科学者ですから。どちらかというと探求心のほうが強いんですよ」
言いながら、その体に触れ、掌で鼓動を受けて、生命を感じた。
「ふむ……やはり分析は正しかったか。岩石では無く、生物の鱗だったとは。驚きではあるが、納得のいく答えではあるな。もし、え~っと、ドラゴンさん? いくつか質問してもいいですか?」
見上げながら問い掛けると、ドラゴンの視線は戸惑ったように笑顔のお姫様に向かった。
「ふんっ――いいだろう。お前の探求心とやらを買って、質問に答えてやる」
「じゃあ、まず栄養源はなんですか? 人なら空気や水などですが、生命維持に必要不可欠なものは?」
「どれだけの栄養を取ろうと、人の寿命は百年も持たないのであろう? 我は空気さえあれば永遠に生き続けることができる」
「つまり、体内にある器官や臓器などだけで循環できているということですか」
スケールが違い過ぎて、おそらくはどんな研究者であろうと人類に反映することは不可能だろうな。要は常に細胞分裂が起きていて、上限も際限もないということか。
「ちなみに今、何歳ですか?」
「我が生まれてどれほどなのか、など考えたことも無い。しかし、強いて言えるのであればこの大陸が今の形になる以前からであろうな」
紀元前? 恐竜時代の終わりに隕石が落ちてくる以前からということだろう。
「では、その時からずっとここに? 何か目的があるんですか?」
「永遠の命がある者の生き続ける理由など、生き続けること以外に何があるという? この場にいるのは、地から湧き上がるような熱が心地良いからというだけ。それ以外には何もない」
……ん? ドラゴンの主食は空気であって、この場で熱を吸収していたということは、もしかしなくても富士山の噴火を停めていたのは、このドラゴンなんじゃないか?
この事実を学会で発表すれば――誰も信じてはくれないだろうな。
「じゃあ、あとは――」
「いいや。ここまでだ」
そう言って、ドラゴンがグルルッと鼻を鳴らすと吹き出された空気で体が押され後退した。
私に向いていた顔をお姫様のほうへ移すと、何やら嫌な雰囲気を感じた。二つの瞳に見詰められたお姫様は徐々に笑顔を失っていき、察したように生唾を呑み込んだ。
「……ぱぱ? どうしたの?」
「イリアよ。お前は、酷く臭う。そこまで人の臭いを漂わせては、もう共に過ごすことは難しい」
「じゃあ――じゃあ、おふろにはいる。一緒に居たい。ぱぱと……一緒に居たい!」
ドラゴンに育てられ、共に過ごしてきたのなら私も一緒に居るべきだと思う。しかし、ドラゴンは首を振る。
「去れ。そして、もう二度と戻ってくるな。さもなくば、たとえお前であろうとも――この前に来た人間どもと同じように食い殺してしまう」
「ちょ、と……待て。ちょっと待て。ドラゴンさん。私たちの前の来た人間を……食い殺した、のか? それは若い男と女だったか?」
「ふん――人間などどれも同じだ。若かろうと年を取っていようと等しく同じこと。岩国飛礫、お前も同じだ。もう、この場に来ることは許さない。我は――我と人は相容れない。共存することなど不可能なのだ」
「っ――」
肩を震わせるお姫様に歩み寄り、頭を撫でる様に手を置いた。
「…………ふむ。まぁ、石鎚くんと木崎さんについてはこれ以上何を言っても仕方がない。だが、人と共存できないかどうかはやってみなければわからないのではないですか? 確かに、人は自分よりも力を持っている者を排除しようとする。恐怖もするし、否定もする。蔑むこともあるだろう。しかし、全員が全員そうというわけではない。私のように気にしない者も大勢いるはずです!」
「わかっていないようだな、人間よ。相容れないというのは考えや知性、姿形の問題では無いのだ。もっと根本的な生物としての関係性の話だ。植物は草食獣に食われ、草食獣は肉食獣に食われる。人は、植物を食い草食獣を食い肉食獣まで食らう」
「それはそうだが、ドラゴンは何も食わないんだろう? それならなんの問題が――人は、ドラゴンを取って食おうなんて思わないぞ?」
「そこではない。人は、食うためでもないのに生物を殺す。小動物を殺し、虫も殺す。何故か? 理由などないだろう? そこに虫がいたから、殺すのであろう? 人にとっての虫が、我にとっての人なのだ。意味などない。たまたま言葉が通じるというだけ――単なる気紛れと言うだけでお前とは話しているが、そうでなければ見つけた瞬間に捻り潰していてもおかしくはないのだ。運が良かったな、岩国飛礫よ。お前がイリアと共に行動してしていなければ……いや、まだ辛うじてにおいが残っているイリアと一緒でなければ、すでに死んでいたはずだ」
嘘でも冗談でもないのはわかる。だが、私は学者で、学者というのは頑固な生き物なんだ。
「わかった。それは感謝します。殺さずにいてくれてありがとう。しかし、私のことはどうでもいいが、イリアは違う。あんたが育てて、あんたの娘も同然だろう? 違うのか?」
「……確かにな。イリアは、我の娘だ。……良い娘であったが、今は違う。人の悪臭を漂わせる害虫に成り下がってしまった」
「ふざけるな! ――と、言いたいところですが生物としての種が違う以上、私に言うことはありません。でも、本当にいいんですか? 私の見たところ、お姫様は――イリアは、あんたの命令なら絶対に聞く。守ろうとする。つまりは、二度と娘に会えないということですよ?」
「……わかってくれ。我は、自らの娘を手に掛けたくないのだ」
娘を愛している、けれど殺したくて仕方がない、か。ジレンマだね。
当のお姫様は何を考えているのか呆然と立ち尽くしたまま、口をへの字にして佇んでいる。
自分の立場――掛けるべき言葉――おそらくは正解などないのだろう。私に果たすべき責任があるとすれば、一つだけ。
「お姫様、彼の話を聞いていたね? 理解も出来たと思う。だから、どうするかは自分で決めるんだ。この場に残るというのなら、何も言うつもりは無い。私は一人でここを出ていく。だが、去るというのなら、その先のことは私も一緒に考える。さて――どうしたい?」
「…………」
すぐに答えが出せるとは思えないけれど、それほど悠々と考える時間を与えてくれるとも思えない。
しゃがみ込んでお姫様のヘルメットを外し視線を合わせると、伸ばしてきた手が私の襟元を掴んだ。
「っ――んん」
耐える様に下唇を噛み締めて、何も言わない。
何かを発してしまえば、その時点で涙が止めどなく流れ出るのをわかっているのだろう。そうなってしまえば、自らの意志で止めることは難しく、決心が鈍ってしまう。少なくとも、私の経験上はそうだった。だから、仮にどちらの選択肢を選んでいたとしても――私は。
「わかった。それじゃあ、ここを出よう。今すぐに答えを出す必要は無いし、ここに戻ってきたくなったら、また付き合ってあげるから」
「……んっ」
力強く頷いたお姫様を見て、視線をドラゴンに向けた。
「あんたの望みとは違うかもしれないが、これでいいか? お姫様が望めばまたここに来るだろうが、そうでなければ来ない。……どうだ?」
「…………」
ドラゴンは何も言わず、グルルッと鼻を鳴らして伸ばしていた首を元の位置へと戻した。納得はできないが、容認する。折衷案といったところか。人外にしては譲ってくれたほうなのだろう。気が変わる前に、去るとするか。
「行こう、お姫様」
差し出した手を握ってきたお姫様の手が、予想以上に弱弱しく体温を感じなかった。
そこから洞窟を出て、樹海を抜け、タクシーを呼び乗り込んで、家まで帰るのに一度も会話を交わすことはなかった。
何故なら――繋がれていた手が、ずっと震えていたからだ。
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