第3話 イリア=フィニクス

 少女の名は、イリア=フィニクス。


 年齢不詳。国籍不明。日本語は理解できるようだが、答えられる質問には片言で答えて、それ以外では口を噤んでいる姿を見ると、話すのは苦手なのだと思う。


 聞いている限り外国訛りの日本語では無いが、どこで習ったのかという質問には答えないし、日本生まれなのか、日本育ちかなのか、という質問にも答えない。もしくは、答えられない、か。


 名前や銀の髪、それに青い瞳から考えるにロシア系の可能性が高そうだが、そもそも名前が本名かどうかもわからない状況では調べようが無い。年齢は、見た目から推測するに中学生くらいだから……十四、五歳ってところか。


 痩せ形の体型ではあるが、だからといって栄養不足では無い、と医師は言っていた。


 いやはや、どうにも不可解な点が多過ぎて、完全に俺のキャパシティを超えた。


 後部座席で寝ている二人を置いといて、コンビニで歯ブラシやら飲み物を買った。さすがに靴は無かったし、女の子用の下着類などを俺が買うわけにはいかないので、そこら辺は家に置いてあるみりんの物で代用してもらおう。


「ん~……」


 一通りの料理が出来るほどの食材は家にあるが、念のためにレトルトのおかゆを買っていくことにしよう。何が好きなのか、というよりも、何を食べられるのかが重要だからな。


 安い買い物だが、後日、大人たちに請求するとしよう。


 そこから一人暮らしをしているマンションまで十五分ほど運転して、着く直前に二人を起こすと、マンションの前に車を停めさせられて駐車を待つことなくさっさと行ってしまった。ま、合鍵は渡してあるし、別に構わないけどね。


 遅れること数分。コンビニ袋を片手に部屋に入ると、イリアを抱き締めながらソファーに沈み込むみりんが見えた。眠ってはいないようだが、慣れさせるためには匂いと空気を慣れさせるのが一番だからな。


 一先ず俺は、買ってきたものをキッチンに持っていくついでに風呂を沸かすボタンを押した。


「なぁ、みりん。その子に何か食べたいものがあるか訊いてくれ。大抵の料理なら作れるから」


「わかった~」


 とはいえ、時刻は夕方の五時を過ぎたところだから夕食にはまだ早い。まぁ、料理をしたり、風呂に入ったりで時間は潰れるだろうが問題は夜の寝床……まさか、親の金で2DKに住んでいることがこんな形で役に立つとは思わなかった。割り振りは、またその時に考えよう。


「きいちゃ~ん、イリアちゃん、何でもいいって」


「いや、何でもいいが一番困るんだがな……じゃあ、子供が好きそうな物をいくつか作ってみるか」


 それと並行して、一応ロシア料理も。


 出自不明の少女についてはみりんに任せておくとして、これからのことも考えなければならない。とりあえず大学の夏休みはまだあるからいいとしても、可能な限り早くどこかの施設に入れたほうが良いだろう。集団に馴染むかどうかってのもあるが、そういうノウハウは施設のほうがあるのは当然として、例えば親が見つかった時などは、そっちのほうが動き易い。諸々の対処についても、ね。


 しかし、わからないのはどうして俺たちに懐いてしまったかってことだ。発見したのも連れてきたのも俺たちだが、だからといって目が覚めたとき近くに居たのは別の人たちだったわけだし。年齢や見た目の問題か? いや、ボランティアに参加していた半数は大学生だったし、他に童顔の奴も居た。そうなると雰囲気がどうだとかいうのも違う気がする。


「……まぁ、考えてわかることでもないか」


「なにが?」


「うおっ、と――包丁持ってるときにいきなり後ろに現れるなよ」


「や~、ごめんごめん」


「あの子は?」


「テレビに夢中です!」


 振り返ってみれば敬礼をするみりんの姿が。くそ可愛いな、おい。


 イリアのほうに覗き込むよう視線を送ってみれば、ソファーに座ったまま、前のめりになってテレビ画面を見詰めていた。……?


「で、なにが考えてもわからないの?」


「ああ……まぁ、いろいろとな。なぁ、みりん。この部屋に入った時、あの子――イリアはどんな反応をしてた?」


「どう、って……普通かな? 私が友達の家に始めて行ったときみたいな反応、だと思うけど」


 つまり、警戒よりも興味のほうが強いということか。だとすれば、尚のことよくわからなくなった。ソファーの柔らかさを確かめるような仕草や、テレビに夢中な様子から窺うに、まるですべてに対して初めて接するような態度なのに、そこに恐怖心がない。人であるならば、初めて見るもの、初めて触れるものは恐れを持って接するのが至極真っ当。強いて言えば、自我や感情が発達してない赤ん坊などなら恐怖を感じないのだろうが……そこにいる少女は怖がるし、威嚇するし、笑う。何よりも、言葉が理解できて自分自身を認識できているのならば――


「な~に~、困ったような顔して! 考え事?」


「……考え事っつーか、考え過ぎだな」


 包丁を置いて、みりんの頭を撫でれば気持ちよさそうに目を閉じた。


 別に、今すぐに全ての疑問に答えを出す必要はない。少なくとも一日か二日の猶予はあるんだ。ゆっくりいくさ、のんびりとね。


「あと数分で風呂が沸くだろうから、イリアと一緒に入ってくるといい。疲れているだろうし、ゆっくりとね。その間に夕飯の準備はしておくから。……一人で大丈夫か?」


「うふふ~、今日はいろいろオアズケだね。一人で大丈夫。むしろ中学生くらいの子ときいちゃんが一緒にお風呂に入るのは……どうなの?」


「いや、どうもないだろ。そもそもロリコンじゃないし、俺はみりんにしか……まぁ、そういうことだ。ほら、さっさと入って来い」


「はいはーい。イリアちゃ~ん、お風呂に入りましょ~」


 みりんが駆け寄っていくと、、イリアはリモコンでテレビを消して立ち上がった。抱き合う美女と美少女を見るのは眼福である。が、それはそれとして――リモコンを使う順応性や、風呂が何かはわかっているようだった。


 ううむ……岩石学専攻ではあるが、学者としての性なのかどうしても分析しようとしてしまう。忘れよう。あの子は樹海で見つけた稀有な少女ではなく、イリア=フィニクスという一人の少女だ。親戚の女の子のように、姪っ子のように接しよう。愛らしくて可愛らしくて、甘やかさずにはいられない――そんな子だ。


 だから、今の俺に出来るのは最高に美味しい料理を作ること。普段のみりんは一時間ほど風呂に入るから、二人ならもう少し長いだろう。


 およそ九十分。頭に思い描いている食卓を準備するのには充分過ぎる時間だね。

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