第2話 幸運か不幸か

 つまらない考えが頭から離れず苦悩していたところで、漸く本部まで辿り着いて少女を担架に乗せられた。一応はボランティアに参加していた人が怪我や病気をしたときのためにと医師が付き添ってきていたし、事前にみりんとのやり取りで少女の容体が伝わっていたから大した騒ぎにもならずに用意されていた車の中へと大人たちは消えていった。


「これで俺たちに出来ることは終わったな。……もう時間も時間だし、また中に戻るのは無理だろうなぁ」


「まぁ、しょうがないよね。でも、私は結構写真が撮れたから満足かも。きいちゃんは?」


「俺は……みりんが満足だったならそれでいいよ。それなりに楽しかったしな。あとは、また今度の休みにでもあの洞窟の探索にでも来るさ」


 続々と戻ってくるボランティアを眺めながら小さく溜め息を吐くと、横に並んだみりんがあやすように俺の背中をポンポンと軽く叩いた。いや、別に悲しんでいるとか怒っているとかではないよ? たしかに洞窟内に入れなかったのは残念だけど、人命には代えられないからね。


 落ち着いたところで係の人が持ってきてくれたお茶を飲んでいると、少女が運ばれていった車の中が騒がしくなった。


「……なんだろうね? 目を覚ましたのかな?」


「かもな。でも、どうだかな」


 少女の顔は明らかに日本人では無かったわけで、仮に目を覚ましたとしても外国語だったら、それを話せる人を見つけない限りは何があったのかわからない。


 何があり、何故あんな場所で寝ていたのか。


「ま、そんなことよりも死体は見つかったのかな」


「あ~、さっき話しているの聞いたけど三人くらい見つかったって。首吊り二つと餓死一つ」


「へぇ、やっぱあるものなんだな。死体を見つけなかったこっちが幸運だったのか、それとも不運だったのか、って感じだが……」


 どっちもどっちだろうと思いながら、未だに騒がしい車のほうを盗み見れば、誰かを探しているような男性と目が合った。すると、その男性はずんずんとこちらに近寄ってくる。嫌な予感しかしない。嫌な予感、しかしない!


「え~っと、君があの子供を連れてきた人だよね? 名前は――」


石鎚いしづちです。石鎚紀乃きの。こっちは木崎みりん。お互いに大学三年生です」


「ああ、そうか。石鎚くんと木崎さんね。いやぁ、ちょっと厄介なことになっていてね。来てくれるかい?」


 名前を憶えられた上に、その厄介事を持ち込んだ本人にその問いは、最早否定の選択肢を用意してくれていない。一応、大学生と伝えて、学生だから迷惑は困ります~、ってのを暗に伝えたつもりだったんだけど、伝わっていないらしい。


 一向に名乗らない男性の後に付いて車の中に入ると、大きな青い眼を見開いた少女が、乗せられた担架の上で、周囲を警戒するように体を丸めて睨みを利かせていた。


 医師が少女に向かって手を伸ばすと、最小限の動きで最大限の力でその手を払う。


「厄介、ねぇ」


 まぁ、目を覚ましたら見たこともないおっさんに囲まれていた恐怖を思えばわからないこともない。まるで野犬……いや、むしろ何かを守る獰猛な番犬だな。こういうのは――


「少なくとも女同士のほうがいいでしょうね。みりん」


「はいは~い」


 そう言うや否や、少女は声に気が付いたのか、こちらに視線を向けると即座に立ち上がり一直線に駆け込んできた。


「わわっ」


「お、っと」


 少女に抱き付かれる大学生カップルの図。


 これは、確実に厄介事に巻き込まれているな。


「えっと、あの~、キミ?」


 そうだ、名前がわからない。


 顔を覗き込もうと見下ろしてみると、スンスンとにおいを嗅ぐような音が聞こえてきた。なんだろう、ある種のすり込みのようなものか? あまり懐かれても困るのだが。


「……みりんさん?」


 子供好きでしたよね? と視線で問い掛けると、それを理解したのか少女の頭を撫で始めた。


「初めまして。私は木崎みりん。あなたのお名前は?」


 抱き付かれていた片手を外すと、視線を合わせるようにしゃがみ込んで首を傾げた。そのおかげで俺の服が両手で掴まれているのだが、それは不可抗力としておこう。


「…………イリア」


 微かに呟いた言葉は、確かに俺の耳にも聞こえた。


「イリアちゃん? 日本語はわかる?」


 その問い、うんうんと小さく頷く姿からは年相応の幼さを感じさせた。しかし、まぁ、日本語がわかるのなら話は早い。


「それで、この子の保護はどなたが?」


「〝ん、ん~〟」


 その場に居る大人たち全員が口を噤んで苦い顔をした。……うん? 大人だよな? 悪さをした男子中学生が先生に叱られているわけじゃないんだぞ?


「あの、なんですか? もしかして――」


 と、そこで口を閉じた。一斉に目を逸らした姿を見れば、察するには充分すぎる。要は、誰も責任を負いたくないということだ。死体なら未だしも、生きている人間ともなれば話は別。この場に居る誰かが面倒を見るにしても、懐いてくれない触らせてもくれないんじゃあ、どうしようもない。そこに現れたのが、何故か懐かれてしまっている俺とみりんだ。


「……はぁ」


 こちとらこれでもしがない大学生なんだけどね。でも、放ってはおけないし、偽善的でいようとは思うから。


「じゃあ、俺とみりんが一時的にこの子を預かるので、その間に関係各所への連絡をお願いできますか? 一番いいのは両親を見つけることだと思うので……」


 それが駄目なら施設行きではあるが、最近ではそういう施設も養子縁組も整っていると聞くから、どちらが悪いとも言えない。むしろ、我が子を放っておくような親ならば、そちらのほうが数倍マシとも言える。


「そうかそうか、良かったよ! じゃあ、その子のことは君らに任せる! 大丈夫だ、困ったことがあればこっちでもちゃんとフォローするからな。よし、そうと決まれば連絡先の交換をしておこう」


 清々しいほどの掌返しだ。まぁ、ボランティア自体はほとんど無償でやるようなものだから、わからなくはないけれど。


「イリアちゃ~ん、こっちにおいで~」


 みりんが少女に手を伸ばして名前を呼ぶと、恐る恐る足を進めて抱き付いてくれた。


 とりあえず数人の大人と連絡先を交換し、医師に話を聞いた。


 どうやら、体温が低いのは問題ないらしく、体のどこにも異常はなかったらしい。裸足だったにも関わらず脚にも傷が無かった理由はよくわからないが、怪我も無く体調が悪くないのは良い事だ。とはいえ、後日精密検査を受けたほうがいい、ということで話がまとまった。


「みりん。お前の家は……無理だよな。俺の家でも構わないけど……」


 一人暮らしの大学生の部屋に少女を、ってのはどうなんだろうな。


「あ、じゃあ私も泊まるよ。イリアちゃんだって、子供とはいえ女の子なんだから私が居たほうがいいでしょ? 何かとね」


「そうもそうだな。じゃあ、帰りに必要になりそうな物だけ買って、今日はゆっくりと休ませよう」


「だねぇ……眠いのかな?」


 みりんに抱き付いたまま、少女はゆっくりと目を閉じた。


 厄介事? 確かにそうかもしれないが、この顔を見ても責任逃れを考えるような大人にだけはなりなくない、と決意した。


 清掃ボランティアで収穫したものは、ゴミや石だけでなく意識までも、ってことだな。

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