ドラゴンの禍乱

化茶ぬき

第一章 そして彼らは業火に焼かれる

第1話 出会い

 年に一回、夏の終わりに行われる恒例イベントがある。名目上は富士樹海・青木ヶ原の清掃ボランティア。しかし、その実、目的の半分は事故や自殺で亡くなった遺体の捜索でもある。


 大学の掲示板で募集の張り紙を見たときは迷ったが、別の目的もあったので丁度良かった。


「お~い、みりん? どこにいるんだ?」


 木々の間を抜け、湿った土を踏みしめて進んでいくと、彼女は大木の下でしゃがみ込んで愛でるように幹を撫でていた。


「ん、そこに居たのか。収穫は?」


「あ~、きいちゃん。あんまり珍しいのは見当たらないかな。言われていた通り、大きさは想定外だけど……でも、まぁ、それなら屋久島とかのほうが上かな。そっちは?」


「こっちもイマイチ。もっと山の麓に近付かないとな……行くか」


「え~、も~、しょうがないな~」


 グチグチと言いながらも付いて来てくれるみりん。愛してるぜ。


 彼女のみりんは同い年で同じ大学に通っているが、専攻しているのは岩石学と植物学で正反対とも言える。なのに――いや、だからこそなのか、付き合ってもう三年になる。


 ボランティアの参加はお互いの意志で。普段は個人で入ることが憚られる樹海で俺は石を、みりんは植物を観察しにやって来た。ガイドでも雇えば入れるんだろうけど、団体でのボランティアならこっちが金を払うこともないし、それなりに自由も利くから有り難い。


 ゴミ袋を片手に約一時間。別動隊では首吊り死体が見つかったとの連絡があったけれど、今のところ、こっち方面に大きな問題はない。まぁ、こんなのに参加するのは夏の暑さでドロドロになった死体を見たいと思う変態か、本物の掃除好きくらいで、俺たちのような奴は少数派だから何も無いに越したことはない。


「ねぇ、きいちゃん。こんなに奥まで来て大丈夫なの? 帰り道とかさ~、ほら、樹海では磁石が使えないっていうじゃん?」


「ああ、それ都市伝説。携帯の電波が悪い場所はあるけど、ちゃんと繋がるし、磁石も使える。一説によると樹海にはマツタケが生えているから、そういうのを乱獲させないために流した噂だとか」


「へぇ~……じゃあ、ちゃんと帰れるの?」


「うん……うん、多分」


「え、多分? 多分なの? つまり帰れないかもしれないってこと?」


「いやいや、大丈夫。俺、どんな複雑な道でも迷ったことないから」


「え~、どうなのそれ。特技としては、まぁ……便利だね」


 そう意外と便利なのだ。理屈はわからないが、一度通った道は何も考えずとも同じ道を通って帰ることができる。唯一問題になるのは初めての場所に行く時だが、帰り道がわかるということは、その道を把握するということでもある。つまり、理論上は街中全てを歩き回れば、頭の中で完璧な地図が完成する。とはいっても、別にそれをするメリットも無いから、やらないんだけど。


 地面に浮き出た木の幹を飛び越えてから、徐々に地形が下っていることには気が付いていた。吹き上げるような冷たい風を感じながら、俺は地面に落ちている石を、みりんは木や草を見ながらだから進むペースは遅い。ああ、ついでにゴミも回収しているからか。


 やはり樹海だからといって漏れ出た溶岩石とかがそこら辺に落ちているわけではない。


「ほう、これは中々……この時期に実がなっているのは珍しい。地形と気候の問題かな」


 深いところまで這入ってきたおかげで植物のほうは思いの外に収穫があるらしく、みりんは興奮気味だが、とはいえ地図に場所を記入するのと写真を撮るだけで、大して時間を取られることなく進んでいく。


 それから、また三十分ほど歩くと、人の手が入っていない辺りに辿り着いた。木と木の間に蔦が這って真っ直ぐ歩くことすら困難になってきたが、だからこそ来た甲斐がある。未開の地には、それだけ未開の物が眠っているからね。


「ねぇ、きいちゃん。ここから先――なんか変だよ」


「ああ、土じゃなくなっているな。粘土質ではあるが……灰か?」


 しゃがみ込んで地面に触れてみれば、粘りがあるものの土ほどのしつこさは無い。溶かした火山灰のようにも思えるが、おそらくそれも違う。岩石が専門だから土のことまでは詳しくわからないが、それでも何かがおかしいことはわかる。


「ま、先に行ってみるしかないな」


「何か変わった植物があるかもしれないしね~」


 とは言ったものの、先に進むにつれて若干の不安も感じてきている。どれだけ広い富士の樹海・青木ヶ原といっても本当に人の手が入っていない場所などあるのか? 例えば私有地で立ち入り禁止になっている、とかならまだいいが、もしも、有害なガスが出ていて立ち入り禁止の看板を見落とした、となれば非常にマズい。


「ここら辺の植物は元気だね~。もう夏が終わるとは思えないほどに生い茂っているよ。なんだっけ? 火山灰って栄養豊富なんだっけ?」


「たしか、ミネラルが豊富に含まれているとか聞いたことがあるな。いや、というか植物の勉強をしているなら土の勉強だってするだろ? 普通は俺よりもみりんのほうが詳しくなきゃおかしい」


「ん~、ね。習った気はするけどね。興味がないことはさ、右から左じゃん?」


「おい、大学生。しっかりしろよ。留年なんて洒落にならないから――ん?」


 軽口を叩き合っていたところで、目の前に俺の求めていた物が――場所が現れた。


「やっと見つけたな。……洞窟だ」


 山の麓には必ずと言っていいほど複数の洞窟が点在している。地震の影響だったり、噴火した後の溶岩の影響だったり、地底の火山活動の影響だったりと理由は様々だが、岩石学からすれば洞窟イコール石だ。


 未開だとか危険だとかを差し引いても、是非とも中に入って石の一欠けらくらい持ち帰りたいところだ。


「みりん。地図にこの場所を記しといてくれ。樹海の入り口から……大体二時間ってところだな。これなら――っ!」


 年甲斐も無く、驚いた猫のように体をビクつかせて飛び退いてしまった。


「え、なに、どうしたの?」


 視線の先――地面に積もった緑の落ち葉の中に、俯せに倒れ込む人の体が見えた。否、見えている。しかも、銀髪の長髪で、どう見ても少女のような体格だった。まさか、そんな年の子が一人で、こんなところまで来て自殺するとは思えない。から、だから……とりあえずは助けないと。


 駆け寄り、体を覆った落ち葉を払えば、白いワンピースにその身を包んだ、まさに白い少女と形容すべき姿を現した。夏の終わりとはいえ、この場の肌寒さにはそぐわない格好で、どうやら靴も履いていないらしいが今はそんなことを気にしている余裕はない。


 首元に手を当てれば、元気に指を弾くくらいの脈があった。


「ふぅ、大丈夫だ。ちゃんと生きているよ」


 そう言うとみりんも安心したように肩を落とした。


 ……確かに脈はある。だが、どうにも呼吸が弱く起きる気配もない。場所のせいか? 寒いとは言わないまでも、こんなところでワンピース一枚では代謝も悪くなる。半冬眠状態、みたいな。今更ながらに気が付いたのだが、この子の体は尋常ではないほどに冷たい。まるで――まるで、死体のように。


「んん……仕方がない! みりん、本部に連絡を入れてくれ。要救助者を保護。準備をしておくように、と」


「うん、わかった。……仕方がないの?」


 みりんの疑問符には苦笑いで返して、少女を抱き上げた。俗に言うお姫様抱っこではあるが、想像以上に軽くて手近にあった石を片手に握ってポケットに仕舞うくらいの余裕はあった。


 自殺防止や救助はこのボランティアの一つの目的ではあると思うが、俺とみりんの本来の目的からするとそこに関わるのは厄介でしかない。とはいえ、見つけたものを放っておけるほど非情にはなれないし、二時間の道程を少女を抱いて帰るほどに偽善的ではある。


 偽善的ではあるが、偽善者ではない。というのが俺のアイデンティティの一種だったりするわけだが――状況だけを見れば完っ全にアイデンティティクライシス。


 意志を……石をクライシス、か。

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