86話 神狼の過去

 レヴィアタンの【暴雷大嵐ディザスターストーム】により発生した巨大な渦巻きにのまれ、イツキは意識を失ってしまった。海の藻屑となっていく前に、クーはイツキの影から飛び出て、イツキに【念話】で飛ばした。


『ご主人様っ!』


 起こそうとしても、起きる気配がない。イツキの顔色が、だんだんと青くなっている。


 だめだっ……このままでは死んじゃうっ!

 とにかく、早く上に行かないとっ!


 クーはイツキの服を噛んで、必死に引っ張っていく。

 海上から、やっと顔を出した。


 そこには水で出来た竜巻がなく、雷雨も雲もない。大渦も収まっているのか、海が穏やかになっていた。

 波もなくシンと静かな海であった。


 荒れた海から、こんなに変わるなんて……。これって、レヴィアタンが去ったということだよね。

 ボクたちは海の中で、どれだけ時間が経ったんだろう。


 周りを見渡すと、向こうに小さな島が見えた。


 あっ、島がある! 陸へ上がらなくちゃ!


 小柄なクーは、イツキの着ている漆黒のコートの袖を噛んだまま、小さな島へ向かって、犬泳ぎした。

 その時、レヴィアタンの【暴雷大嵐ディザスターストーム】から運良く逃れたクラーケンが、雄叫びを上げて海上から現れた。


「ギィオオォォォ────!」


 レヴィアタンに敵わなかったからなのか、怒りをあらわにするクラーケンが【突水大槍メガランス】を繰り出した。


 やばいっ!


 クーはイツキの服を咥えたまま、とっさに回避したが、避けきれなかった。イツキだけはダメージ受けてほしくないクーが、イツキをかばった。クーの背中に大きな槍によって、損傷を受けてしまった。


 いたいっ! くそー!


 クラーケンを目掛けて【凍てつく息吹フリーズブレス】で攻撃した。クーの口から噴きだし、氷のような息吹が広がった。クラーケンに直撃し、一瞬、身動きが止まる。


 やったかっ!


 だが、クラーケンは巨大なイカの怪物だ。クーの技が効かなかった。

 クラーケンの触手が、大きく振り上がり横から叩きつけられた。


「ガァッ!」


 モロに受けてしまったクーは、イツキと共に飛ばされた。それでも、イツキは意識を失ったままだった。


 だめだっ! 勝てないっ……!


 クーは陸に住む神獣だ。海の中では、思う通りに動けない。逃げたいのに逃げられず歯を噛みしめた。

 さらに、クラーケンの触手が伸びてきて、クーとイツキを同時に巻きつけた。

 

「オオオオオ――!」


 クラーケンの口が大きく開く。ギザギザとした歯が、びっしりと並んでいるのが見えた。おぞましい姿に、恐怖を感じた。

 どうやら、ボクたちを食べようとしている。


「ガウッ……! グルゥゥッ……!」


 触手を牙で噛みつけたりしても、必死に動こうとしても、拘束力が強すぎて抜け出しそうにもない。

 必死に暴れたのか、激しい痛みが頭を襲う。


 うっ、ズキンズキンとしてきた。

 こんな時に、頭が痛くなるなんて。


 だんだんと意識が遠のいて、色んな過去が蘇ってきた────


 ◆ ◆ ◆


 そこは雪山であった。

 雪が降り積もった静かな山奥に、2匹の狼が暮らしていた。


『我が子よ、お前は何しているの?』


 氷柱のようにサラサラとしたタテガミに、きらめく青い海のようで銀色に輝く体毛。空が隠れてしまいそうなほど、とても大きな狼が、ボクに言いかけた。

 そして、光を放ちながら、ボクの大きさに合わせて小さくなってくれた。


『お母さんっ……』


 目の前にいるお母さんは、神狼フェンリルと呼ばれ、六大精霊王と並ぶSSランクの神獣であった。

 ボクはお母さんに、恥ずかしそうに答えた。


『腹減ったんだ。木の実を食べようと思ってたんだ』

『ふふっ、大丈夫よ。食材は獲ってきたから』


 お母さんは、サラサラとしたタテガミで、ボクの顔にスリスリと触れた。気持ち良くてたまらない。

 お母さんは微笑んだ。


『元気なことは、素晴らしいことよ』


 共に食事したり、共に山登ったり、共に雪に覆われた銀の世界を歩いたりする日々が続いた。

 ボクは、お母さんと一緒に過ごせて、とても幸せだった。


 そんな日々が終わりを告げる。



 ────真っ白な雪が深々と降っている美しい銀の世界が、吹き荒れていき黒い世界へと変わっていく。

暗黒結界ダークネステリトリー】が展開され、原型を留めていない黒い影の中から緋の眼が光った。


「フェンリルよ。その力は偉大だ。私の為にいただくよ」 


『おのれ……! 氷塊巨礫ダイヤモンドダスト!』


 お母さんが数多の尖った大きな氷柱を、緋眼の黒い影に向けて放ったが、効かなかった。いや、吸収していた。

 緋眼の黒い影が、霧のように一面に広がっていく。

 お母さんの身体に、黒くて禍々しいものが巻き付かれた。


「グァッ! グルルッ…………!」


 ギリッと歯を噛み締めるお母さんが、黒くて禍々しいものを必死に解こうとしていた。


 ボクは、目の前にいる赤い瞳の黒い影が怖かった。冷たい闇に吸い込まれそうだった。

 お母さんは、誰よりも強いのに勝てない。


『グゥッ! 氷結世界ニヴルヘイム!』


 お母さんは神狼フェンリルの固有スキルである【氷結世界ニヴルヘイム】を唱えたが、【暗黒結界ダークネステリトリー】によってかき消された。

 緋眼の黒い影が、嘆じるように言った。


「あはは、いいスキルだ。さすがSSランク。 でも、私には効かないよ」


 ボクは、やっと思い出した。

 あの緋眼の黒い影は、トーステ大迷宮でご主人様が倒したカイムという大悪魔アークデーモンが言っていた主だったんだ! 魔力もケタ違いで、とても敵わない……!


 お母さんはボクを見て、何か決心した顔つきになっていた。


『愛する我が子よ。母として最期の戦いを! しっかりと目に焼き付けよ!』


 黒くて禍々しいものから、辛うじて脱出したお母さんは身を構えた。


 緋眼の黒い影と激突した!

 暗黒の世界なのか、火花を散らす激しい戦いが繰り広げられた。見えないほどのスピードでぶつかり合った。


 お母さんが、とどめをさそうと渾身の力を込める。


『邪悪な者めっ! 氷の爪アイシクルクロウ!』


 お母さんの鋭い爪が氷のように白く輝き、緋眼の黒い影に斬りつけようとした。


「私には効かないよ? 暗黒吸収ダークドレイン!」


 緋眼の黒い影が、お母さんが放った氷の爪を苦もなく受け止めた。続いて、魔力を吸収しては反撃する。


「倍にして返すね。氷の爪アイシクルクロウ!」

「ガァァァッ──!」


 お母さんが瞬く間に、鋭く尖った氷柱のような爪に斬られてしまった。致命的な損傷を受けたのか、立っているのが、やっとだ。


『ガハッ……。我が子よ……神狼の誇りを持って、強く生き抜いてくれ………』


 お母さんが、フェンリルが、苦しそうに血を吐いた。神狼の力を振り絞って、自分の子どもに転移魔法を唱えた。

 唱えたとたん、目を閉ざし、ふらついて倒れていった。

 お母さんの身体が粒子状になっていき、緋眼の黒い影へ吸い込まれていった。


「あははは、魔力がすごく増えたっ!」


 緋眼の黒い影が、勝ち誇ったように嗤い続けた。


『お母さんっ! おかあさーん!』


 ボクの叫びと同時に空間転移されていく瞬間、緋眼の黒い影がボクを見つめた。

暗黒結界ダークネステリトリー】がいつのまにか消えていて、雪が深々と降っている世界に戻っていた。


「うん? 逃げるの?」


 緋眼の黒い影が、ボクに言いかけてから周りを見渡すと、フロストウルフの数匹が萎縮するように怯えていた。


「あ、フロストウルフ6匹がいるね」


 それが、クーの耳にした最後の言葉だった。

 瞬く間に、花畑が広がっている場所に転移されていったが、何か大きな衝撃を受けてしまった。

 

「アグッ!」


 クーは、クラっと一瞬に意識を失いそうだったが、踏ん張った。だが、何か大切なことを失ったように小首を傾げる。


 あれ? ボクはここで何をしているんだろう。

 なんか、思い出せない……。


「グルルルッ!」


 唸り声の方を振り向くと、怯えていたはずのフロストウルフ6匹が狂ったような顔つきになっていて、目がただれていた。

 ボクは油断してしまったのか、フロストウルフの鋭い爪で斬りつけられた。


 いたいっ!


 他のフロストウルフが【ブリザードブレス】を吐き出した。花畑が一瞬で氷漬けになっていく。


 あぶなっ! このやろー!


 ひどい傷を受けたクーはふらつきながら、何とか避けきれた。クーは、【暗黒魔法:暗黒弾ダークボール】を唱えた。

 複数の黒い弾が、フロストウルフ6匹もろとも目掛けて吹き飛ばした。


「「ギャンッ!」」

「「「ガァッ!」」」


 前方にいたフロストウルフ2匹は絶命した。後ろにいた4匹は驚いたのか、我に返った。


「「「グルルル……」」」


 フロストウルフ4匹は、一歩後ずさりした。敵わないと感じたのか、遠くへ逃げていった。


 ううっ、いたい……。


 クーは、そのまま意識を失ってしまう。

 数日後に、イツキと初めて出会った場所となるのであった。


 ◆ ◆ ◆ 


 クーは過去を思い出した。


 そうだ!! ボクは神狼! フェンリルだ!

 ご主人様の眷属ではないっ! 守るんだっ! ボクはご主人様を守るんだ! そう決めたんだっ!


 どこからか、声が聞こえる。


『可愛い我が子よ、やっと見つけたのね。護るべき者を。お前に私の力を与えましょう』

『お母さんっ!』


 クーの耳元に、お母さんの声が聞こえた。

 その時、クーの身体が光った。みるみると大きくなっていく。鋭い爪に牙が、銀色に輝きはじまる。


 クーの目の前に、ステータスプレートが表示された。


【進化しました。イツキの守護獣の称号を得ました】


 クーが吠えた。


「グォォォォォ――!」

「ギィッ!?」


 クラーケンは驚いたのか、触手が一瞬、緩くなった。その隙を逃さないクーが、魔力を込めて放った。


『くらえっ! 氷結世界ニヴルヘイム!』


 海のあたり一面が、氷の世界になっていった。クラーケンの周りに、棘ついた氷の鎖が数多に出現した。氷の牢獄のように、逃げも攻撃もできない姿になっていた。

 数多の氷の鎖がクラーケンをがんじがらめに縛りつけ、瞬く間にちぎられた。


「ギィオォォォ──…………」


 クラーケンはバラバラの肉塊になり、海の底へ沈んでいった。


 進化したクーは、海の上を歩く。

 過去を、母からの大きな愛を心に刻んで空を見つめた。クーの大きな背中に、意識不明のイツキを乗せて、小さな島へ向かって走り出す。


 お母さんは、ボクをかばってくれた。

 原型を留めていない緋眼の黒い影が、お母さんの魔力を奪おうとしていたんだ……。でも、圧倒的に強くて、殺されてしまった。

 それでも、それでも……。

 お母さん、最期までボクを見てくれたんだ……。


 母の想いを受け紡ぎ、進化を果たしたクー。

 そうして、神狼フェンリルがここに誕生したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る