80話 グリンブル亭

 向かった矢先の宿屋は、ひっそりと佇む隠れた料亭のようだった。

 宿屋だとは思えないほど、こぢんまりした隠れ家のような小さな入り口がある。辺りは影に隠れた白い塗り壁の外壁だった。

 入り口の扉をくぐると、2つの月の明かりに照らされて輝く紫色の花が揺らめいて、幻想的で美しい庭園が広がっている。

 目の前の方には、庭園に面して建っている塔状の大きな建物がある。あれが宿だという。


 庭園の細道を少し歩き進んだところ、入り口手前に着く。


「こちらが、グリンブル亭という宿よ」


 誇らしげに語るフードコート姿の女性に、俺たちは不安げになった。


 宿の扉は、黄金の木の枝が曲線状に広がるような装飾が隅々までにかつ、緻密に施されていて、荘厳に感じられた。

 いや、宿としては派手過ぎるような。こんなに立派なところだと、宿泊料も高いのではと……。


 俺は、その謎めいた女性に尋ねた。


「ありがとうございます。すみませんが、ここは一泊おいくらでしょうか?」

「うふふ、金貨3枚ね。本当は金貨30枚ですけどね、泊まる先もないあなたたちには、特別にまけるわ」


 1泊で金貨30枚だって!? ここは、貴族御用の宿ということか……。


 謎めいた女性が、俺たちを建物内へ案内してくれた。

 ホールは青い柱が並び建ち、広い吹き抜けの空間だった。壁面には黄金の葉の装飾が施され、ホールの両端それぞれには白い大理石の階段が見えた。赤い絨毯じゅうたんが敷かれていた。

 ホールの天井には、大きなシャンデリアが吊るされている。

 趣向を凝らしたきらびやかな洋館のようで、豪奢に感じられた。


 謎めいた女性が、フードを脱ぐ。

 腰まで流れる金髪に、グリーンエメラルド色の瞳をした背の高い女性だった。

 そんな女性は俺たちを見て、にこやかに挨拶する。


「私の名はフレイヤ。あなたたちは、静寂の青狼でしょう?

 結構、有名になっているわよ。トーステ大迷宮でヒュドラを倒したと聞いてるわ」


 そして、ホールのソファに案内され、皆で、もたれかかる。

 フレイヤが手配の準備している少しの間に休息したのちに、国の状況を教えてくれた。


 フレイ帝国はどうやら、今は海神国と戦争中らしい。

 理由は分からないけど、皇帝フレイは支配を広げるために都合のよい航路とめをつけたらしく、帝国から仕掛けているそうだ。


 俺はフレイヤに尋ねた。


「フレイ帝国はなぜ、戦争をしたがるのですか?」

「それは私もわからないわ。

 グロモア連合国までも警戒態勢でしょうし、皇帝への批判を口に出したり、うかつに情報をさらけ出すことはできないのよ」


 フレイヤは申し訳なさそうに頭を小さく横に振った。続いて、向こうの部屋へ手を差し向ける。


「お腹が空いてるでしょう? ご自慢の料理を用意しておきましたので、食の間にいらしてください」


 クーの耳がピクンと動いた。尻尾がフリフリと、揺れていて舌を出していた。


 クー……。まぁ、ここは安全なので、大丈夫だろう。

 イツキは、そんなクーをポンポンと頭を撫でた。


 長い食卓には、真っ白なクロスが敷かれている。その上には新鮮なサラダ、牛肉のステーキ、鴨肉のソテー、海鮮の料理が並んでいる。

 じっくりと焼いた牛肉はやわらかく、濃厚な旨味が口いっぱいに広がった。

 焼き魚も、ハーブの香りが広がり、コクのあるまろやかな味わいで、ワインとは絶妙なハーモニーを奏でる感じだ。


 ユアは聖女であり、神官でもある。リフェルは王族出身。2人とも、当たり前のように優雅に食事をたしなんでいる。

 俺は貧乏性なのか、美味しく感じられ興奮してしまった。クーと一緒にたらふく食べて、腹が結構ふくれた。


 ◆ ◆ ◆ 


 フレイヤのおかげで、俺たちは無事に宿泊できた。


 案内された客室には、花びら模様の絨毯じゅうたんが敷かれている。

 木で出来たベッド台の上に、ふかふかとした布団が4台がある。ゆったりとしたひじ掛け椅子が、4脚も置かれていた。

 甘い木の香りが漂っていて、まったりと満喫できる。旅の疲れが癒されるほどの部屋。

 

 俺たちは客室にて、【共有念話】で話し合っては、のんびりと過ごす。


『フレイヤさんって、すごく綺麗な人だったね』


 俺がそう告げると、ユアはうなずいた。


『ええ、帝国の中にも、良い人がいるのですね』

『あたし、どっかで見たことあるような気がするんだよね……』


 リフェルは、アローン王国の第二王女である。

 王族として社交界のパーティや外交などで、貴族や商人などの色んな人と会っているからなのか、記憶が曖昧のようで、うーんと唸った。


 確かに、全ての人を覚えるのは、さすがに無理だろうね。


 リフェルは、リフェルらしく、あっけらかんに、

「まぁ、後で思い出せばいいしっ!」と口にしたのだった。


 クーはボフンボフンとベッドの上で、飛び跳ね始まる。

 リフェルまでも追随し、クーと同じように、ベッドの上で飛び跳ねていった。

 ユアはのんびりするような椅子に座って、クーとリフェルを眺めては微笑んでいた。


 俺は個室専用の風呂にて、天井をボーっと見つめながら、ゆっくりと堪能している。大理石の湯船で、脚を伸ばしても全然届かないほどの広さだ。


 補聴器は、湿気に弱い。

 風呂に入る前は、必ず補聴器を耳から外し、【次元魔法:次元収納】へしまい込んでいる。前世界にいた時も、必ず乾燥剤の入れた箱に入れる習慣があったのだ。


 裸耳の今は、全く何も聞こえないけれど……。


 そんなことより、数ヶ月ぶりなのかこんな立派な風呂に浸かると、心が満たされたのか。


「はぁ~~満たされる……」


 と、思わずつぶやく。

 しかし、宿泊拒否されたあの時の記憶が甦ってしまう。

 フレイ帝国はどこの宿も、食堂でも拒否されたな。フレイ帝国は行き過ぎた実力至上主義だと聞くが、本当にそうだったとは……。

 剣聖フリードさんが言っていた通り、俺みたいな、何らのハンデだったり、一部が欠けたような人には冷たいのかもしれない。


 もしも、フレイヤさんが俺たちに案内してくれなかったら、野宿になり危険と隣り合わせになるところだった。または、奴隷がいるエリアに移されたかもしれない。


 目を閉じて、風呂に浸かった。悔しさを噛み締めた気持ちから忘れようとしたところ──


 ────パシャ……。


 ん? 湯船に貯まっているお湯が、ゆらゆらと揺れてきたぞ。

 今は、俺1人だけなのに……。ああ、クーが勝手に入ってきたんだろう。


 そう思った俺は、真横に振り返ると、小さくなったクーを抱いてるユアとリフェルの足元が風呂に浸かっていた。

 ユアとリフェルは、胸から腰まで覆うように白い布で巻いていた。肌が透き通っていて、胸の膨らみが見えてしまった。


 ユアが微笑んだ。


「イツキさん、一緒に入ってもいいですか?」


 いやいや、すでに入ってますが──?


 それより、【共有念話】も発動させないで、俺に気づかれないよう入ってくるなんて、油断してしまった。

 いや、これは俺のせいだな。

 風呂の至福を味わいすぎて、【気配感知】を発動することを忘れていた。


 ──とにかく、上がらなくちゃ。


 そう思ったとたん、クーが勢い良く飛びかかり阻止された。


「うわっ!」


 大しぶきが顔にかかり、慌てて手で顔を拭いた。

 ユア、リフェル、クーが言った。


「ふふっ、ダメですよ。勝手に上がっては、私たちが困ります」

「うんうん! イツキって、結構ウブだよね!」

『ボク、ご主人様と、みんなで一緒に入りたかったんだ! だから、まだあがらないで!』


 どうやら、この展開にさせた発端はクーだ。

 クーが考えたことらしい。


 ちょっとぉ──!

 叡智様! 助言を、お願いします!


〈一緒に浸かってください〉


 ちょっと! 丸投げじゃないですか!


〈離れると、友好度が下がります〉


 なんども聞いてるよっ!

 悶々としている最中、ユアが励ましてくれた。


「イツキさん、今日、断られた宿屋のことは気にしないでください。私たちがいます。イツキさんは、1人じゃないですよ」


 リフェルも可愛らしくウインクしてくる。


「イツキ! あたしもユアも、クーもみんな一緒だから!」


 クーまでも俺のそばに寄って、スリスリとしてきた。


 みんな……ありがとう。俺は幸せだ。

 

 結局、みんなで一緒に浸かった。

 俺だけ冷静になりつつ、お風呂タイムを満喫したのだった。

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