第145話 目的意識

 その日の晩、交代で見張りについてくれるという案内役の二人に任せてメネウ達は焚火を囲むようにして眠った。


 メネウは寝る前に、頭の中でセケルの名前を三回唱える。


 いつものように意識が引き上げられる感覚。気付けばそこは、いつもの不思議空間だった。


「や、セケル」


「こんばんは、メネウさん。……決意を固められたのですね」


「うん。それをちゃんと、明確にしておきたくて」


 微笑みながら応対するセケルに促されるまま、そこにあったソファに腰掛けて、メネウは話始めた。


「今までは、こう、俺が描きたいものを描く事が結果的にアペプを止める為に必要な手順になってたと思うんだ」


「そうですね。我々はメネウさんにそれ以上を望む気はありません」


「でも、違うなって思ったんだよ」


「違う……ですか」


 メネウは頭をかく。どう言葉にしていいか分からないが、自分がしたい事をするだけ、というのは違うと思った。もう事態はそういう段階を通り過ぎているのだと。


「セケルもホルスも、たぶんセトも優しいから……もしくは、神同士の事だからって思っているかもしれないけど、もうそういう事じゃないんだ」


「それは……あのオークに刺されたから、でしょうか」


「その前からかなぁ……トロメライの温泉街、あそこは意図的に恨みみたいなものを排除するような空間になってたと思う。居心地は良かったけど、保護された魔物たちは皆、物事は覚えているのにそれにまつわる感情だけがどこかに置き去りになっていたみたいで……、不安になった」


 たしかに保護された魔物が恨みを持ったままでは、自傷行為や喧嘩の絶えない事になっていただろうと思う。意図的にその悪感情を減らすというのは、保護の観点から言って正しい。


 だが、保護される状況がもはや問題なのだ。人間に蔓延る違法魔法薬。魔物の改造実験。その為の資金源となる奴隷商。今迄折に触れて目にしてきたが、ずっとそれは自分と関係のない事だとメネウは思っていた。思い込もうとしていた。


 だが違う。じわじわと自分の身の周りに毒のように浸透してきている。それらは既に、「俺には関係ない」という領域を超えている。


「俺は……大事な人たちができた。守りたい人たちだ。辛い目にあって欲しくないし、痛い思いもして欲しくない。閉じ込められたり、改造されたりして欲しくない。俺は守りたいんだ、セケル」


 メネウにしては精いっぱい分かりやすい言葉を選んだ発言だった。


 それは、今までとの目的意識の違い。明確な「守りたい」という気持ちの表れ。


 セケルは目を伏せてしばし考える。沈黙がその場を支配した。


「……本当は、あなたにはあの世界で好きに生きて欲しいと、願っていたのですが」


「そしたら大事な物がいっぱいできたんだ。セケルもホルスもセトも皆大事だよ」


「あなたの人間性を……侮っていました。申し訳ありません」


 セケルはそう言って頭を下げた。メネウが慌てて謝らないでと頭を上げさせると、ほろ苦く笑ったセケルが言う。


「改めて、あなたに依頼してもよろしいでしょうか。死者の書の完成と、その死者の書をどうすべきなのかを」


「あぁ、もちろん」


「それから、急ぐ必要は全くありません。あなたが身近に感じているのは、敵の動きが活発な場所に段々と近づいているからです。急激に事態が進展する事も無ければ、収束する事もない……、残酷ですが、今のあなたにできるのは死者の書を完成させる旅を続ける事だけです」


 まっすぐな目でセケルが言った言葉に、メネウは少なからず動揺したが、そうか、と呟いて自分を納得させた。


 たしかに、自分は一旅人にすぎない。それがいきなり奴隷解放の狼煙をあげたり、違法魔法薬について調べ上げた所で、それはもう、先手先手を取られている事だろう。


 自分にしかできない事を優先させろ、という事だ。悔しいが、いくら力を持っていようとメネウは一人だ。仲間がいたとしても、そんな簡単に事態を好転させることができるような力は持っていない。


「落ち込まないでください。あなたの落とした種は、いろんなところで芽吹き始めています。全てあなたがちゃんと生活してきたから……人とのかかわりをおろそかにしなかったからです」


 本当だろうか? セケルの言葉を疑う訳ではないが、メネウにはいまいちピンとくるものがなかった。


「さぁ、そろそろ時間です。あなたは死者の書を完成させる。我々は敵の動向を探り続ける。協力してやっていきましょう」


「わかった。セケルがそういうのなら、俺は俺にしかできない事をする」


「お願いします。……また来てくださいね。いつでも待っています」


「あぁ、また来る。ありがとう、セケル」


 メネウの意識が漆黒に落ちて行く。閉じた瞼にも届く程、朝日が差し込んでいた。


(やる事は変わらない。変わったのは俺の意識。俺は……必ず守る)


 まだ皆が寝ている中、一人起き上がったメネウはぐっと拳を握った。

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