第144話 下山
案内役のマルコとザッハがいるキャンプ地に着いたのは、それからほどなくしてだった。
時刻は夕暮れ時、メネウの衣服が破れて血が染みているのを見た二人は、一晩ここで休んでから下山する事を勧めた。メネウも素直にそれに従う。
傷はもう治ったが、血が足りない。何か食べた方がいいのは分かっている。
そしてポーチの中から取り出したワイバーンの肉を使って、その日は煮込み料理を口にした。すっかり日本食らしきものに慣れていたので、久しぶりのワイルドな食事は新鮮で美味しかった。
「なんか知らんが、急にこの辺の魔物が沈静化してな」
「あぁ、貰った退魔薬のおかげかと思ったんだが、とんと魔物の気配がしなくなった」
「そうなんですか。じゃあ帰りは安全に降りられそうですね」
メネウは素知らぬ顔で話を合わせる。というのも、たぶん安全に感じるのはメネウ達がここにいるからであって、自分たちが下山したらまた元通り危ない道に戻る事が安易に予想されるからだ。
人間にさらわれた魔物の保護、ならば、人間が近づかない方が本当はいい。
近付かない方がいいならば、近付けなければいい。トロメライがその為に強力な魔物を配置しているのは明らかだ。
「でも油断しない方がいいと思いますよ。俺らが下山したら、一応様子見してください。長い間キメラがうじゃうじゃいたのに、急にいなくなるなんて事ないですから」
「そうだな。一度帰って報告はするが、安全確認はまた別の話だ」
食事を摂った後、メネウは予備のシャツに着替えた。ローブにまで穴が開かなくてよかった、と思いながら、あのオークの事を思い出す。
生かしておいたのは間違いだったろうか。
魔物が人間を襲うのは、人間から元素を取り込むためだ。だが、あのオークは違う。恨みから人間を襲った。人間という種族だったら誰でもよかったのだろう。オークの仲間が魔物だったら何でもいいというように攫われたように。
魔物がやっかいなのは、人間より元素を多く含み、必要とする強靭な体にある。冒険者なら倒す術も力も持っているが、一般人は低レベルのゴブリンでも驚異だろう。
そんな魔物が意思をもって、人間に恨みを抱いて復讐したいと考えている。
(でも、殺せなかったんだよなぁ……)
腹に刃が刺さった状態であっても、メネウは杖を片手で取り出し仕込みの刃でオークの首を飛ばすのは造作もない事だった。
今は傷跡も残って居ない腹部をさすりながら、自分の行動は間違っていただろうか、と思い悩む。
大元を叩いてオークの仲間を開放……たぶん、もう無理だろうが……したとしても、人に恨みを持つ知能を持つ魔物、が徘徊するダンジョンなどというのは、恐ろしいものだ。
ギルドに戻ったらダンジョンの適正レベルを上げてもらおう。事情は詳らかに説明するが、それを公にするかどうかはギルドマスターに任せよう。
今一度、メネウはやるべきことを整理する必要があるのかもしれない、と思った。
流されるまま、自分がやりたい事……つまりは精霊を描く事と、死者の書を造り混沌の神アペプに対峙する事が混同してきてしまっている。
アペプがやっている事も、もう一度整理した方がいいかもしれない。
こういう難しい話はメネウには苦手分野だ。情報を整理して目的を明確にする、そういうのはお勉強ができる人にお任せしたい。
(セケルに相談してみるか……)
着替え終わったメネウは、傷のついた服を捨てる事が出来ずにポーチにしまった。
自分がより魔物や精霊に近い存在だと知ったからか、ただの同情かは分からないが……この傷を受けたのが自分でよかったと思うし、もし仲間の誰かが同じ傷を負っていたらメネウは容赦なくオークを殺しただろうと思う。
ラルフが、トットが、モフセンが、セティが、あの傷を負っていたら。
ぞわ、と背筋が粟だった。
今回は遠回しに、人間に恨みを持ったオークに自分が襲われた、だけだったが。
問題はもっと根本的だ。人間に恨みを持つ魔物が増えたら? 冗談じゃない、それで万が一にも自分の大事な人たちが傷つけられたらと思うと、もはや大元を叩く事は流されてやっていい事では無い。
(もしかして、本当はもっと、緊急事態なんじゃないだろうか……?)
自分が焦っているだけなのか、事態がそこまで切迫しているのか。それを判断するには、メネウには情報が少なすぎた。
やはりセケルと話をしなければならない。もっと、死者の書について、自分がやるべき本当の目的について、話し合わなければ。
(誰も失いたくない、なんて……思う日が来るとは、思ってなかったなぁ)
メネウの前世は、母と二人の母子家庭であった。父親はメネウが腹の中に居たときに蒸発、母と二人で貧乏ながらも暮らしていた。
修学旅行には行けなかったが、母と一緒に空想の世界に浸るのは大好きだった。絵を描いたり、絵本を読んだり。
高校時代にアルバイトをして学費を貯めて、アニメーターになる為に専門学校に通って、生活費を入れるのにまたバイトをして……忙しかったけれど、楽しかった。
アニメーターになると同時にメネウは母親の元を去った。職場に近い部屋に引っ越したのだ。学生時代の成績や作品が評価されて、賞でとった賞金を元手に引っ越した。母は少し寂しそうに笑って、送り出してくれた。
それから、連絡を取る事はなかった。母が電話をかけて来た時に手が空いていれば電話をとったくらいで……。友達はいなかった。絵だけが自分にとって大事だった。
(変わるもんだなぁ……。母さん、泣いてるかな。異世界で元気にやってるよ、なんて伝えられないしなぁ)
この世界で、自分は本当に色々と学んできたと思う。これからも学んでいく。前世で絵を描く事だけはやり尽くした。今は、絵を描きながら、もっと他にも大事な物が持てるようになった。
でもそれがいい事なんだろうか、とは思う。大事な物が増えて、感情の起伏が増えて……ラルフと対峙した時も、トットの為に領主を失墜させたときも、自分は感情のままに怒りを露わにしたのではないだろうか。
「まだか?」
「あ、ごめん。もう戻るよ」
着替えがなかなか終わらないのでラルフが様子を見に来た。メネウは慌てて衣服を正すと、皆が待つ焚火の周りへと戻った。
全部、一度、考え直さなければいけない。山本和也ではなく、メネウになったのだから。
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