第125話 カプリチオ

 メネウは夢中で筆を走らせた。


 海そのもののような豊かに渦潮を描く髪。


 河の流れのように穏やかな肢体。


 触れた感触は水そのもので、どこか温かく、芯は冷たい。


 深い海の底に潜るように、穏やかに山頂から湧き出るように、筆が形を描く間メネウは確かにカプリチオと共にあり、世界を巡って旅をしていた。


 1枚目にはその雄大な恵みを纏った姿を堂々と、繊細に描き、装飾で囲う。


 2枚目には母たる海の如し穏やかな横顔を描き、波を象った意匠で仕上げた。


 スケッチブックとカプリチオの姿を幾度か見比べて、満足したようにメネウは頷いた。


「……できた!」


「見せてくれますか?兄弟」


 カプリチオは大人しくクヴェレの隣に控えていたが、メネウの言葉に目元を緩めるとそっと近づいてきた。


 巨人のような姿が近づくに連れて普通の人のような大きさになる。カノンと同じく変幻自在なのだろう。


 美しい水の人は、描かれた自分の姿を見て嬉しげに微笑んだ。


「なんと美しい……、あなたの目には私がこう見えているのですね」


「カプリチオ、君を描く間君を旅したよ。やがて雄大な河になる湧き水も、大いなる海も、みんな君につながっている」


「えぇ、そうです。大気にある水すら全て、それが私です。……そう、それが伝わってくるような、素晴らしい絵です」


 そう言ってカプリチオがスケッチブックに触れると、周囲の元素が光って収束していった。


 この絵は消えない。いついかなる時でも、メネウが求めればカプリチオは現れてくれる。


 と、メネウは不意にステータスを開いた。何か予感が働いたのだ。


「……描画術師?」


 今まで召喚術師の後ろにあった???の場所に、新たな職業が追加されている。


「描画術師、か。なるほど、俺にはぴったりの職業だな」


 メネウの真髄は体技でも魔法でもない。描くことに魂が震えるのだ。


 恐らくカプリチオを描いたことで、それが明確になった。だからちゃんと表示されるようになったのだろう。


 ステータスを閉じたメネウは、そっとカプリチオの肩に触れた。温かい流れが指の間を滑ってゆく。


「何かあった時には、力を貸して欲しい」


「喜んで。兄弟のためならば、恵みの水でも、厄災の雨でも、いつでも届けましょう」


 こうしてカプリチオとの契約は成った。


 メネウはスケッチブックを持ってゆったりとお茶を飲んでいる面々に、見て見て、と近付いてゆく。


 ラルフの目には賞賛が浮かび、トットの目は瓶底眼鏡の後ろで輝き、モフセンは楽しげに笑い、いまいち事情が理解できていないセティも「こりゃすごい」と目を見張った。


 完成度の高い絵なのに、どこか荒削りであり、それがまた水の揺蕩う様子を表していて、触れたら揺らいでしまいそうだと思わせる。


「アンタは本当に絵がうまいねぇ。画家にでもなればよかったのに」


「そしたらこうして冒険できないじゃないか。俺は全部描きたいんだ」


 セティのからかい半分の言葉にも、メネウは意気込んで答えた。


 全部描きたい。


 この世を満たす元素の全てを。


「これで死者の書にまたひとつ近付かれましたね。しかし、兄弟よ。全ての精霊が貴方の味方とは限りません。今回のように、竜をもって貴方に牙を剥く可能性もあります」


「気にしないよ」


 カプリチオの言葉に、一言で返したメネウであった。


 そう、気にしない。絵は自由だ。敵意を向けられていたとしても、それをそのまま描けばいい。


 メネウの魂はどこまでも描くことに貪欲で、それが根源で、彼の芯なのだ。


「ありがとう、カプリチオ。クヴェレも。……この場所はダンジョンに戻るのかな?」


 さっきセティには戻ると言ってしまったが、果たしてカプリチオの答えは少し曖昧なものだった。


「ダンジョンとしての機能は戻します。ただ、私とクヴェレはここを空にしようと思います。ひとところに留まるとまた災厄を呼び寄せかねませんが、常に流れ続けるのが水ならばそれを捉える事は難しいかと思うのです」


 だってさ、という目をセティに向けると、彼女は両手を開いて肩を竦めた。


「構わないよ。アタシの探しているダンジョンでは無かったしね」


「そっか。セティには行きたいダンジョンがあるんだもんね」


「そういうこと。ここでの収穫は……ほんと、記憶をなくすなんて、骨折り損じゃないか。まぁ命あっての物種だ」


 その言葉にはメネウ含め一同沈黙を返すしかない。


 セティの中にセトが居ること、そしてそのセトに助けられたことは、セティには内緒だからだ。


「でしたら、海の恵みをお持ちになられますか?貴女は試練を乗り越えたお方、少しばかりですが……」


 カプリチオはそう言って両腕を広げた。


 豊かな胸元からキラキラと光る石が幾つも現れる。


 それは川の流れに幾年にもよって磨かれた天然の宝石の数々だ。


 セティの掌の上に溢れるほどの宝石を落としたカプリチオは、如何でしょう?と首を傾げている。


 セティは目を丸くして両掌いっぱいに溢れた宝石を見ていた。こんなに?!という驚きが顔を引きつらせている。


「……足りませんでしょうか?」


「いや!そんな事はないよ!むしろ何もしてないのに貰いすぎじゃないかと……!」


 とんでもない、立役者である。とは、誰も言わないが当然の報酬だとばかりにセティを見ていた。


「貴女は試練を乗り越えたのですから、当然の報酬です。以後の旅にお役立てください」


 カプリチオの丁寧な言葉と態度に、セティはいそいそと宝石を袋にしまった。貰えるものは貰っておくのが身上である。


「メネウたちには無いのかい?」


「俺は絵が描けたから満足」


「金には困っていない」


「貴重な体験ができましたし」


「試練とやらも楽しめたしのう」


 上からメネウ、ラルフ、トット、モフセンである。たしかに懐に余裕がある彼らはそこまで物に拘らないだろうが、セティからしてみれば何が楽しくてダンジョンに来ているのか分からないものである。


「旅の思い出に、おひとつずつお持ちください」


 カプリチオは物欲のない彼ら4人に、先ほどと同じ宝石を一つずつ手の中に落とした。


 セティを見ると、仕方ないねと一粒袋から出している。


 このカプリチオを抜けた証として、5人はそれぞれ、海のように揺らめく青の宝石を握った。


「それでは出口までお送りします。また何れ、平和な世になった時には、どうぞお越しください。その時は私もきっと、ここにいるでしょう」


 カプリチオが告げると、部屋が白く発光した。


 まるで上下左右の感覚が無くなるような白の中、クヴェレとカプリチオが遠くなって行く。


 気づくとカプリチオの入り口に5人は立っていた。


 目の前の桟橋にはアーティの船が泊まっている。


「早かったな?3日はかかると思ったが2日で帰ってくるとは。中はどうなってた?」


 2日も経っていたのか、とメネウたちは驚いた。中では半日ほどしか時間は進んでいなかった筈である。


 しかし、現実に戻った時に時間が進んだのか、メネウはお腹を抑えてアーティに告げた。


「とりあえず、ご飯食べてもいいかな?」


 アーティは快く承諾すると、メネウたちに混ざってダンジョン前でバーベキューの用意をした。

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