第61話 恐怖のアルカッツェ

「や、やっと解放された……」


 フラフラと冒険者ギルドからメネウが出てきたのは、すっかり日も暮れ夜の繁華街が賑わう頃である。


(人、多いな……)


 ダンジョンという閉塞的な空間では感じなかった息苦しさを覚えて、メネウはシャツのボタンを一つ緩めた。


 一週間ほど前の出来事が、今もメネウの心に深い傷跡を残している。


 人混みに入るのが怖い。またあぁなったら……、そうならないと神が約束してくれたのに不安感は拭えなかった。


 ギルドに面した大通りが交差する場所は広場になっている。しかし、そこから南側の道に入ろうと思うとどうしても人波をかき分けて進まなければならない。


「う……」


 こみ上げる吐き気に口を押さえて広場の真ん中にある階段に人を避けて腰掛けた。


 一段高い位置に作られた石造りのプランターに寄りかかり、もう少し人が減るのを待とうと思った。


 座っているとひどく眠くなった。


 思えば、今日は竜と契約したり、神獣を描いたり、ヴァルさんを造ったり召喚したりと忙しくしていたのだ。


(魔力足りねー、って感じデスかね)


 メネウの魔力は今や2桁まで減っている。


 倦怠感に抗いながら考えるも、特に何ができるわけでもない。


 幸い、今は秋の初め頃の気候だ。冬ではないし凍死する事は無いだろう。


(ラルフに連絡……スマホねぇの不便だな……)


 目の前がぼやける。ぐらぐらと頭が揺れて、メネウはその場で眠ってしまった。


 ……朝、まだ人気のない中で目を覚ますと、全身が何かモフモフしたものに包まれていた。


(え……?)


 狭い視界から見るに、また前のように戻されたという訳でもなさそうだ。見知った町並みである。


 と、するとこれは何の冗談のような状況なのだろうか。


 やたら暖かい。時折ゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえる。


 石畳の階段に座って寝ていたものだから体はバキバキに痛いのだが、体の上は暖かいし柔らかい。


(この毛並みは……猫?)


 柔らかく艶やかな短毛は触ったことがあるものだ。一匹じゃきかない、十匹以上の猫に群がられている。


「メネウ、何してるんだ」


「大丈夫ですか、メネウさん」


 顔に張り付いている一匹を猫掴みして横に退けると、声の方に頭を向けた。


 2人の姿に安心したメネウはへらへらと笑って応じた。


「あー、おはようラルフ、トット」


「帰って来ないから心配して迎えに来てみれば……なんだ、その魔物の山は」


「魔物?」


 体に張り付いた色とりどりの猫の尾を見れば確かに二又に割れている。


 ただの猫では無いのだろう。


「アルカッツェという、引っ掻き猫、という名前の魔物で……まぁ無害な魔物なんだが……いや、無害と言っていいかはわからんが」


 町中で見かけても誰も怖がらない魔物なのだろう。これだけ人懐こいなら魔物と言わずとも良い気がするが、とりあえずメネウは体の上のアルカッツェに向かって声をかけた。


「あのー、そろそろ退いてもらえますか……、暖かくて助かったよ」


 メネウの声に応じて各々伸びをすると体の上から退いていく。しかし、立ち去らずにメネウやトット、ラルフの足にまとわりついて愛くるしい声を上げた。


「すごく懐っこいんですね!」


 トットが嬉しそうにしゃがんで抱き上げようとする。しかし、アルカッツェはそれを良しとしない。


 トットの腕に服の上から爪を立てると、ニタリと笑って低く鳴いて去っていった。こんな邪悪な生き物がいるのかというほど醜悪な笑みだ。


「え……」


「うわぁ、これは……」


「うむ……」


 トットはただ茫然と見送るしか無かった。


 周りにはまだ愛想よくじゃれてくるアルカッツェの集団がいる。


「愛くるしさに騙されて撫でたり抱いたりしようとすると、爪を立ててくるんだ……」


 そしてその騙される様に喜んで満足し去っていくという。


 恐るべき魔物である。主に精神に傷を作る類の。猫が嫌いになりそうな気もするが、逆に懐いた猫を大事にするようになるらしい。


「どーーすんのこの集団……」


「トットは再起不能だな……少し待つか。飽きて去っていくはずだ」


 そういうラルフの足元から、実に可愛らしい声でアルカッツェが鳴き声をあげる。「にゃぁお」と甘える声は甲高くも柔らかい。その上、暖かい身体をくねらせて擦り寄ってくる。これでもかとすりすりしてくる。


「くっ……!」


「耐えろ、耐えるんだラルフ……!」


 負けて腕を伸ばしそうになっているラルフをメネウは本気で励ました。


 朝一番に引っかかってしまったら今日一日ブルーな気分で過ごすこと請け合いである。


「すまん……!」


「ラ、ラルフーー!」


 ラルフはメネウの励ましも虚しくアルカッツェを抱き上げようとしてしまった。


 ちょうど腕甲の結び目になっている布部分に『かり』と爪を立てて、そのアルカッツェは「にゃぁぁぁあ」と低く鳴いて身体をひねり、醜悪な笑みを浮かべて去っていった。


 ラルフは当然ながら相当落ち込んでいる。


 背後であまりのショックに石像の如く固まっていたトットがはっと意識を取り戻すと、まだメネウに集っているアルカッツェの集団を、ラルフとお化けか幽霊でも見るような目で見た。2人とも顔が青い気がする。


「これ、俺も引っかかっておくべきなんだろうな」


 メネウは足元に戯れている猫に手を伸ばして顎下を撫でた。……撫でれてしまった。


 ほかのアルカッツェもどんどんと手によっていく。撫でれ撫でれと寄ってくる。


「え、え?」


 とりあえず一通り撫でてやれば満足して去っていくので、残っていた5匹程を撫で回して見送った。


「……メネウさんなんかスカラベに蹴られればいいのに」


「トット?!」


「一日突っ立ってたら10匹は寄ってくるんじゃ無いか? スカラベが」


「ラルフさん?!」


 何故か物凄く不興を買ってしまった。


 バキバキの身体を伸ばして、メネウは空を見上げた。快晴だ。


 体にはまだアルカッツェの温もりが残っている。


 朝ごはん奢るから許して、と2人の機嫌を取りながらメネウたちはやっと人が集まり始めた市に向かった。


 身体中に集られたからか、人混みも気にならなくなっていた。

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