STAGE 5
荒波が飛沫をあげ、槍のように鋭く伸びた岩礁へと降りかかる。
空には禍々しく光る真紅の月。潮風は身を切るような冷気を伴い、粘っこく肌や髪を撫でていく。
ここは魔城の内部にぱっくりと切り開かれた船乗り場であった。
「通路を進んでいただけなのに、まさか船乗り場に到着するなんて」
赤髪を指で弄りながらモル=ロウは呟いた。
「沿岸部の城にはよくある構造だ。物資の補給も行えるし、攻められたときに船で脱出できるようになっているんだろう」
目つきを鋭くして、パトリックは船乗り場に泊められた船を見つめる。そこには朽ちかけた船。マストも折れ、波に揺られるたびぎしぎしと音を立てている。沈没していないのが不思議に思える、まさに幽霊船がそこにあった。
「用心しろ、これまでの例からして、エセリンドの手下が待ち構えている可能性が高い」
隠す気のない戦意を迸らせ、パトリックは船乗り場からさらに奥を目指す。
「あそこか……」
パトリックが顔を上げた。
船乗り場の奥には高く聳える尖塔があり、窓が煌々と輝いていた。パトリックは目星を付けたのだろう。あそこにエセリンドが待っていると。
「見つけたぞ、エセリンド。今すぐ滅ぼしてやる!」
石畳を蹴って猛進するパトリック。置いてけぼりを食らい、モル=ロウは叫んだ。
「ま、待ってよ~。モルを置いていかないで~!」
呆然としてモル=ロウが嘆息したときだった。
「クックック……」
「あ……このパターンは」
どこからともなく聞こえた声に、モル=ロウはぶるっと体を震わせる。くるりと振り返れば、そこには赤く燃える炎の塊が浮かんでいた。まるで炎の精霊。激しく燃える炎を見つめていると、時間や空間を忘れそうなほど引き込まれそうになる。
「ケネディの者よ、よくぞここまで辿り着いた! わしはウィル。エセリンド親衛隊の一人じゃ。ガハハ。貴様を焼き殺せばエセリンド様から……」
「ふーん、ウィルさんって言うんだ。残念だけど、モルはケネディ家とは関係ないわ。モルはモル=ロウ・ラフィー! ダンスが好きな女の子よ」
モル=ロウがふふっと子供らしく笑うと、相棒の鍋もかたかたと蓋を鳴らした。
「なぬっ。わしとしたことが、フェアリーハンターを素通りさせてしまったのか!」
がっくり顎を落としそうになるウィルである。
ぶるぶると顔を振ると、気を取り直し……。
「まあいい、奴が向かった塔にも親衛隊は待ち受けているからな。わしはお嬢ちゃんと遊ぶことにしよう。可愛らしいお嬢ちゃん、モルよ。その燃え滾る炎のような髪をわしは気に入った!」
ごうごうと炎を燃やしつつ、ウィルはにたあっと笑い、声を低めて語りかける。
「モル=ロウよ。わしと同じように鬼火にならんか? わしも元は人間だったのじゃ」
「うそ、全然見えないわ」
「遠い遠い昔のこと。わしはある聖人を助けたことで、願いを叶えてもらえることになったんじゃ。巨万の富を得て、悪魔をこき使ったんじゃが、そのことで聖人にも悪魔にも見放され、わしは天国にも地獄にも行けない体になってしまった。それがこの鬼火の姿なのじゃ」
「まあ、自業自得ね」
じっとりとウィルは語り続ける。
「しかし、この体になったことで楽しみも増えたぞ。旅人を迷わせたり、驚かせたり……人間のときにはできなかった悪戯が思いのままじゃ。空も飛べるし、何より寒い冬は暖炉いらず。どうじゃ、鬼火になりたくなっただろう?」
ゆらゆらと炎が揺れる。モル=ロウはその炎を見つめ続けた。まるで手招きしているようだ。こっちへおいでと、風船を配る道化師のように。
「モル……妖精の世界はいいぞ……。楽しいぞ、心地良いぞ……。さあ、来るんじゃ……モル=ロウ・ラフィー……」
かたかたと蓋が鳴る。微睡の中にいるようなモル=ロウの目を覚ます時計のごとく。
はっと身構え、モル=ロウは微笑んだ。
「ふふっ。確かに妖精には憧れるわ。だけどね、モルはまだ人間のままでいたいわ。覚えたいダンスがまだまだあるもの。地に足着けない鬼火の姿じゃ、それも叶わないでしょ?」
胸を張ってそう答えると、ウィルは残念そうに深く息を吐いた。
「やれやれ……しかたないのう。ならば、わしがその体を焼き焦がし、強制的に鬼火に変えてやるわい!」
火山が噴火するように炎が唸りをあげた。
ウィルは全身を燃え上がらせ、少女を煉獄の腕で抱き締めようと試みる。その両腕に締め付けられたが最後、魂ごと燃やし尽くされ、モル=ロウは鬼火の仲間入りをしてしまうことだろう。
「きゃー! モルがお魚みたいに料理されちゃうー」
迫りくる恐怖。足をがくがく震わせ、モル=ロウは口元を歪ませたが――
「と、油断させといて、おばかさんね!」
すかさず胸元に隠していた「小瓶」を取り出し、コルクの蓋を空けるとウィルに向けて散布した。ジュっと音を立て、鬼火の炎が一瞬弱まった。
「ぬっ、水か? だが、この程度、すぐに蒸発させて――」
ウィルは体に力を込め、再び炎の衣を纏おうとする。
しかし――彼の体に変化はなかった。
それどころか、炎の勢いは弱まっていく。ウィルの体は皮を剥かれるタマネギのように小さくなっているのだ。
「な、なんじゃ。わしの体……どうなって?」
「ふふっ。さっきパトリックお兄ちゃんからお守り代わりに聖水を分けてもらったの」
「なん……じゃと……」
驚愕している間にもウィルの体は小さくなり、抗うことも虚しくとうとうジャガイモのような大きさになってしまった。
「効果は覿面ね。これくらい小さくなったなら……。妖精くん、〈ポルカ〉!」
モル=ロウが体を弾ませると、鍋もまた動きに合わせてダンスする。その鍋の
「足踏み」に巻き込まれ、お喋りな鬼火は口を噤むこととなってしまった。
「いけないいけない。パトリックお兄ちゃんとはぐれちゃう。さっき、塔にも親衛隊がいるって言ってたわ。やっぱりあっちにエセリンドおばちゃんがいるのね。急がなきゃ!」
ウィルの誘惑に打ち勝ったモル=ロウ。鍋の相棒を伴うと、パトリックを追うべく船乗り場をあとにするのだった。
【妖精図鑑】
☆ウィル・オ・ザ・ウィスプ
旅人を迷わせる鬼火、人魂。
ランタンの灯りに化け、旅人を沼や湿地に誘い込み命を奪う。生前は鍛冶屋を営み、ウィリアムやビルと呼ばれていたという。聖人を助けたことで巨万の富を得たウィリアムは悪魔を召喚し、七年後に命を差し出すことを条件として悪魔をこき使う。しかし、命の期限が迫るごとにウィリアムは言葉巧みに悪魔を騙し、延命を続けた。最終的には悪魔をコインに化けさせ、ウィリアム以外には開くことのできない財布に閉じ込めたという。このことから、聖人と悪魔に嫌われ、天国にも地獄にも行けなくなり、永遠に現世を彷徨うこととなってしまった。
また、ハロウィンでおなじみの、カボチャをくり抜いたジャック・オ・ランタンもウィル・オ・ザ・ウィスプと同類の逸話を持つ鬼火である。ウィルと同じように悪魔を欺き、地獄に行けなくなったジャックは、自堕落な生活を送っていたため天国にも行けなくなってしまった。ジャックは自分の居場所を探すためにカブをくり抜いてランタンを作り、現世を彷徨うこととなる。アイルランド移民によってこの伝承はアメリカでも広まり、カブの代用品としてカボチャが使われることになった。これがカボチャのジャック・オ・ランタンの始まりである。
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