大空からの使者

第2話

 それは桜の花びらが吹雪のように舞い散る、新学期初日の事だった。


「辰星 紗菜(たつぼし しゃな)です。宜しくお願いします」


 県立雁の巣航空高校の二年A組の教室に転入生が来た。


 美しく輝くラセットブラウン色の髪をポニーテールでまとめ、同じ色の瞳。背丈は同年代の平均身長より若干高め。今まで礼儀と作法を重んじるスポーツをしていたのか、姿勢がとても真っ直ぐなのがクラスメイトの誰にも強い印象を残す。


(二年生で転校か……)


 そしてクラスメイトの誰もが、高校での中途の転校に驚いていた。


 親の都合なのか、前の学校で何か大きな問題を起こして居られなくなったのか、はたまたイジメにでも遭っていたのか。


 様々な噂が乱れ飛んだが、常に物腰が柔らかく、あまりにも高校二年生とは思えないほど落ち着いていている様子の彼女を見て、本人の素行説だけはすぐに霧散してしまった。


 紗菜の席は窓際の一番後ろ。窓の外には湾内の海原と大空が広がっている。逆に廊下側の窓からは湾外の海原が広がっていた。


 彼女は授業中は黙々と生真面目に受けていたが、時折外からエンジン音が聞こえてくると余裕があるときは物珍しげに窓から空を眺めていた。


「辰星さん、知ってて転校してきたと思うけど、この学校は選択授業で飛行機に乗るのよ」


「は、はい。そう聞いてます」


 休み時間にクラスの委員長、笹井純は紗菜に優しく話しかける。


「まあ、飛行機の授業は一年生の時がメインだから、二年生の私たちはおさらい程度なんだけどね……」


 この学校は金印発見で知られる志賀島と九州本島を結ぶ海の中道の途中にある県立の高校。


 かつては日本最大の民間国際空港“福岡第一飛行場”だったのだが、戦後は飛行場としての主な機能を板付に集約したため、その役目を終えていた。


 だがその敷地は航空機関係を維持したいという当時の地元の要請もあったことから、雁の巣航空高校が設立されることになって、航空機のパイロットや整備員を養成していた。


 しかし近年は滑走路が手狭になってきた雁の巣よりも敷地が広大な県中南部の大刀洗に操縦士を目指す者たちが集中するようになったため、ついに十年前に操縦科は廃止されてしまったのだった。


 そして現在は航空整備科と、航空関係は触りだけで、大半はごく一般的な授業を行う普通科に絞り、飛行機の操縦は選択授業で行う程度になっていた。


 そのため現在は授業での実習で練習専用機の“赤とんぼ”が空を舞う程度。部活用に競技用の機体があるというが、この学校での“航空戦競技”は盛んとは言えず、放課後に時々見慣れぬ機体が離着陸する程度だった。


(すごい……。本当に飛行機が飛んでる……)


 グラウンド兼滑走路から、橙色の複葉機がふわりと空に浮かび上がる。他の生徒たちは見慣れているからか一年生の一部以外は誰も注目していないが、紗菜にとっては初めて目にするとても新鮮な光景だった。


(なお、彼女がこの機種の名前を知ったのは後日だが、旧海軍の九三式中間練習機であった)



 迎えた転校二日目の朝。床ですでに目を覚ましていた紗菜は、床に横たわったまま真横に置かれていた目覚まし時計の数字をじっと見つめていた。時刻は午前五時半を過ぎたところ。


「まだ寝てていい時間だけど……」


 午前五時前に起床する生活を長年続けていた彼女にとって、いくら学校に近いからといってこの時間まで床で横になっていられるというのは不思議な感覚であった。


「もう、コメットのお世話はしなくても……、ううん、もうできないんだ……」


 机に置かれていた写真には、現代風の防護アーマーを着込んだ紗菜と同じくアーマーを着込んだ馬が写っていた。


 朝食を終えて朝一で学校に向かう紗菜。この日はこの地域の高校では大抵の学校で行われている朝の課外授業がある訳ではないのだが、今までの生活習慣の影響なのか、部活生以外は誰も登校していない時間帯に学校に登校していた。


(やっぱり早すぎたんだ……)


 来ては見たものの特にやることも無い事に気がついた紗菜は、鞄を教室に置くと時間を潰そうと何気なく廊下を歩いていた。


“求む、航空戦競技部員!”


 廊下に貼り出されていたのは手製の勧誘ポスター。可愛らしい複葉機のイラストの上部に異質なほど達筆の筆書き文字という組み合わせが強く印象に残る。


(航空戦競技部……)


 紗菜は不思議な力に絡め取られたように、そのポスターをしばらくの間、立ち止まって眺め続けていた。


 それから午前中の授業を終えて迎えた昼休み。この日も紗菜は一人で学食での食後から席に戻ると、昼休みの間、ぼんやりと窓辺から空を見ていた。この日は飛行機が空に上がってはいなかったが、青い海の見える空の景色を吸い込まれるように眺めていた。


「なあ、転校生。空に興味があるのか?」


「ひゃ、ひゃい!?」


 ふいに紗菜に声を掛けてきたのは、同じクラスの前の席の男子。名は岩橋隼人という。


 昨日から彼の自然に背中が視界に入ってくるが、授業中時々顔の向きが窓の外で、何を見ているのか気になったから紗菜も外を見るようになった事を思い出す。


「いやさ、休み時間とか時々飛行機見てるだろ」


「は、はい……」


 背後の動きを察知されていた事に気が付いて、無言で驚いてしまう紗菜。その直後、驚くべき提案が少年の口から飛び出してきた。


「なあ、俺と一緒に空を飛ばないか?」


「ふ、ふぇ?!」


 元々男子に慣れていない紗菜は、体と頭を硬直させて混乱していた。


(こ、これって……、も、もしかして、な、ナンパなのかな……)


 紗菜の頭の中をぐるぐるとキラキラ星がめまぐるしく駆け回る。すると隼人はカバンから一枚のビラを見せた。


「こ、航空戦競技部……」


「ああ。航空戦競技は個人競技も盛んだけど、俺がやりたいのは団体総合なんだ」


 ようやく紗菜の頭が落ち着いて冷静に機能しはじめた。つまり自分は交際相手としてナンパされたのではなく、部員として勧誘されているのだ。


「もちろん、いきなり初心者に飛行機を操縦してくれなんて言わないよ。例えば偵察機の見張り員とか、爆撃機の機銃手とかお願いしたくてさ……」


「う~ん」


 紗菜は少し考えた。程なく飛行機に乗って空を飛んでみるのも悪く無いかもと思い至る。


「わ、わかりました。私、飛行機のこともまだ良く分からないから、まず見学させてもらっていいですか?!」


「ありがとう転校生!じゃあ放課後、あそこの格納庫まで来てくれ。ああ、それと今のところ部員はほとんど女子だからさ、変な心配はしなくていいよ」


「わ、わかりました!あと私は……」


「?」


「私は“転校生”じゃなくて、“辰星 紗菜(たつぼし しゃな)”です!」


 少し間を開けて、隼太は頭を下げた。


「あ、悪い。それは申し訳なかったよ紗菜。俺の事は隼人って呼んでくれ!」


「わ、わかりました、は、隼人くん……」


 少し戸惑いながら紗菜は隼人の名を口にした。これはこれまで男子と殆ど無縁で過ごして来た彼女が、初めて下の名前で男子を、転校してきて初めて同じ学校の生徒を下の名前で呼んだ出来事だった。

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