第68話 社畜が、しゃもじで、おたま

 最後の決戦。


 それは英雄たんのクライマックスに用意されている、英雄を英雄たらしめる栄光の物語。

 しかし俺にとっての最後の戦いは、それはもう見るも無残な代物だった。


 折れた日本刀クサナギと、同じく恐怖と絶望を前にぽっきりと折れてしまった俺の心。

 なにがなんでも戦い続けるという社畜マインドに溢れた『剣聖』は一人頑張ってくれているが、いかんせんこれでは孤軍奮闘もはなはだしい。


 心身ともに万全の状態で、さらにナイアと共闘してすら《神焉竜しんえんりゅう》には遠く及ばなかったのだ。

 こんな何もかもがボロボロの状態で、何より俺の戦意が完全に失われている状態では、そもそも勝負になるはずもなかった。


 しかも日本刀クサナギが折れたために、今までよりもさらに詰めた間合いで戦わざるを得ないのだ。

 当然、被弾率は格段に向上するし、疲労とダメージがどんどんとネズミ算式に蓄積していく。


「――――ぁぐぅっ!」

 《神焉竜しんえんりゅう》の振り下ろした叩きつけ攻撃――その巨大な爪先にひっかけられて、俺は地面に激しく叩きつけられた。


 そのまま10メートルほどゴロゴロと地面を転がっていくと――スッと全身を襲う痛みが和らいでいった。

 スポコン系S級チート『ネイマール・チャレンジ』が発動したのだ。


 天才サッカープレイヤーのダメージ回避術を模したこのS級チートは、地面を転がることにより、1/3の確率で転倒による致命的ダメージを無効化してくれる。


 でもまあ、こんなチートが発動したからといって、

「正直、焼け石に水だよな……」


 この瞬間をわずかに延命できたとして、待ち受ける絶望の先にいったい何があるというのだろうか――。


 目の前にはズシン、ズシンと地鳴りのような足音とともに近寄ってくる《神焉竜しんえんりゅう》。


 痛みと疲労ですっかり重たくなった身体をどうにか起こすと、俺は膝をついたままで、それでも折れた日本刀クサナギだけは心の頼りと握りしめた。

 そして王竜の誇る圧倒的な威容を、ただただ見上げる。


「でも、さすがにここまでか……」

 もはや逃れられない死の運命を前にして。


「ウヅキ――」


 俺が考えていたのは、ただ一人の女の子のことだった。


 もし俺が本物の英雄だったとしたのなら、ここでこんな女々しい気持ちにはならなかったのだろう。

 自らの力でもって《神焉竜しんえんりゅう》を撃破し、自らの手で己の進む道を切りひらいていくのだろう。


「でも、俺はそんなんじゃないんだよ……英雄なんかじゃなくて、流されるまま生きていた凡百の社畜の一人で。ただの、普通の、名前がちょっと珍しいだけの、チートがなければ何もできない、英雄のふりをしたチート頼みの冴えない一般人なんだよ……」


 そもそも論として、俺は別に異世界転生に「戦い」そのものを求めていたわけじゃなかったんだ。


 最強S級チート『剣聖』を使ってカッコいいところを女の子に見せて、いっぱいチヤホヤ賞賛されるために、戦闘なんてそのためのちょっとしたスパイスで良かったんだ。


 こんなSSダブルエス級の《神焉竜しんえんりゅう》なんていうケタ違い&手合い違いのバケモノと、苦労して痛い思いをして死にそうになって――実際に死んでまで戦うなんて。


 そんなのナンセンスの極みじゃないか……。


「ウヅキにもう一度会いたい……。笑う顔が見たい……。優しい声が聞きたい……。柔らかい身体を抱きしめたい……。さすがですセーヤさんって、また言ってもらいたい……」


 涙が一筋、ほほを伝ってこぼれ落ちた。


 その感触にふっとウヅキの泣き顔を思い出す。

 グンマさんが処刑されるのを知った時のことだ。


 わずか1時間か2時間前のことなのに、なんだかもうなんだかもうえらく昔のような気がして。


 あの時、悲嘆にくれるウヅキを励まして、絶対に帰るって約束して。


「ウヅキにとっておきのおまじないをしてもらったのに……必ず助けるって約束をしたのに――」


 約束と言えば、夜を照らす街灯の下で『夜デートをする』って約束もあったっけか。


「『夜デート』、かなり楽しみにしてたんだけどな……結局、あれもこれも、俺はなに一つろくに約束も守れなかったんだな……」


 キスおまじないをしてもらったところに、そっと指で触れた。

 不意をうたれた刹那のぬくもりと、はにかんだウヅキの笑顔が思い出されて。

 俺はどうしようもないほどに悲しくなったのだった。


 だから――、


「セーヤさんから離れてください!」


 その声が聞こえた時、俺は最初、空耳だと思った。

 俺の弱い心が、死の間際に走馬灯のごとく聞かせた、願望という名の幻聴だと思った。


 だってここは戦場だぞ?

 こんなところにウヅキがいるはずが無いじゃないか。


 でも、


「へやあーーっ!」


 場違いなほどに力の抜ける掛け声がしたかと思うと、遅れて何かが飛んできて。


 ものすごいスロー&山なりの軌道を描いた投擲とうてき物は、しかし《神焉竜しんえんりゅう》に当たることなく、その足下にポトリと落ちた。


「あわわ、外しちゃいました……や、やっぱりわたしってば運動神経があんまり……」

 よくよく見ると、その投げられた物は、


「しゃもじ……?」

 だった。

 ご飯をよそう時に使うアレだ。


「ううー! だったら――」

 そう言うや否や、お世辞にも速いとは言えない微妙な駆け足で駆け寄ってくると、俺を庇うように《神焉竜しんえんりゅう》の前に立ちふさがったのは――、


「ウヅキ――」


 俺が最後に一目会いたいと思い描いていた少女で――そして右手にはなぜか「おたま」を持っていた。


 もちろんお味噌汁をすくうアレである。

 武器――のつもりなのだろうか?

 ちょっと反応に困る。

 

「ち、ちち、近くで見ると漏らしちゃいそうです……! で、でもでも、わたし助けに来ました、セーヤさん! って、ひぃぃぃいいっ! ドラゴンさんにらまないで……」


 超が付くほどのへっぴり腰でおたま片手に《神焉竜しんえんりゅう》に向かい合うウヅキは、よく見ると――よく見なくても――膝ががくがくに震えていた。


「あの、ウヅキ、一体なんで、ここに……」

 それは当然の疑問だろう。

 確か「帰りを待ってます」→「ああ任せろ」みたいな約束をしたよな?


「実はあの後、やっぱり居ても立っても居られなくて追いかけてきちゃったんです! わたしってば走るのが遅くて、すごく時間かかっちゃいましたけど。それでようやく街まで来てみたら、門は開いてるし、住民の皆さんは壁の外に出てるし、何よりなんだかすごく大きいドラゴンが暴れまわってるしで」


「お、おう……」

 俺を振り返ってそう告げたウヅキは、無防備にも《神焉竜しんえんりゅう》に背中を向けていた。


 がしかし、戦闘力皆無の上に平然と背中を見せてのけたウヅキの乱入に、《神焉竜しんえんりゅう》もちょっと戸惑っているのか。

 じっと会話を見守るようにして動かないままでいてくれていた。


「《神焉竜しんえんりゅう》は意外と空気が読めるタイプなんだな……」

 だけれども、さすがにこの状況は危なすぎる。


「いやウヅキ、そこはすごく危ないから――」

 早く逃げてくれ――という俺の言葉は、


「きっとあそこにセーヤさんがいるって。セーヤさんが戦ってるんだって、わたしすぐに分かりました!」

 何かを期待する――俺の勝利を信じて止まないウヅキの言葉によって、風前の灯のごとくかき消されてしまった。


「でも良かったです、わたし、セーヤさんのピンチをお助けできて。さぁここから逆転です、ずっとセーヤさんのターンですよ!」

 そしてキラキラとした120%の期待と信頼がこもった瞳で、ウヅキは俺を見つめてくるのだ。

 

 その熱い視線を、強い思いを、これでもかと真っ直ぐに向けられて。


「もうやめてくれ――」

 耐えきれなくなった俺は力なくそうつぶやいたのだった――

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