9日目 センパイを追う。そして、書店を巡る
寮に備え付けられた薄っぺらいスリッパをベッドに寝転びながら放り投げてみる。こんっ、と単純な音が鳴って壁から床へ落ちていき、あたしの視野外へ。拾いに行くのも面倒だし、もう片方も投げてみてから回収することにする。
ほいっ。こんっ。ぺたっ。
スリッパを失って、足の裏がさっきまでより寒さを感じるようになる。しかし、そんなことは正直どうでもいいのだ。
センパイがあたしを置いて駅前に行ってしまった。
昨日のことだ。仮免試験に落ちたというセンパイを慰めて、明日は駅前でデートしようとあたしの胸の中で持ちかけるまでは良かった。
こうすれば今度こそ必ずセンパイはあたしの方を向いてくれる。なんとかとかいう女に好意を寄せていたのは幻想だったんだって思ってくれるはず。これまでの何十回何十回も重ねたトラウマを乗り越えてもまだ恋なんてものを不毛に新たな女に続けていく必要はないって気付くはずだったのだ。
でも、センパイはあたしを気遣って「お前もずっと大変だろうし。何回もカクヨム任せたりもしたし。今日は俺から離れてどこか行ってリフレッシュしてくれ」とか言い残して駅前に一人で行ってしまった。
気遣いとかするんだったら、あたしと一緒に行ってくれればよかったんだ。それがあたしの望むことだったっていうのに。こういうときだけそういう先輩面するんだ。そういうところもいいんだけど、昨日見せてくれた泣き面ももう一度みたい。あたしに甘えて欲しい。そしてあたしの方を向いて欲しい。
そんな願いは朝早くから打ち砕かれて、寮の部屋で一人ぼーっとしているのが今のあたし、後輩ライターのあげむらえちかの姿なのだった。
よし、スリッパ取りに行って、センパイの尾行にでも行こうかな。
どうせあの人のことだし、書店にしか行ってないはずだから。
※ ※ ※ ※ ※
「うわ、本当にいたよ……」
センパイから遅れること一時間。昼前の駅前にも関わらず閑散としていたこの街で、大きな書店といえば数軒しかないということだけは既にスマホで検索したので知っていた。その中でも地域最大級となるビルのワンフロアを書店と併設型のカフェだけが占有したという店に足を踏み入れ、文庫コーナーを覗くとセンパイの姿を確認することが出来た。
あたしは遠くの経済書コーナーから隠れつつセンパイの姿をチラ見する。カモフラージュ用に手に取ったどこかの会計士がファイナンシャルプランナーについて紹介する本の内容は全く頭に入ってこない。
何分か経って何も手に取らず移動したセンパイが向かったのは、ライトノベルコーナーだ。いつも通りならば気になっていた既刊を手に取るか、推しているシリーズが配本されているかを調べるだけだからどうせそんなに時間は掛からない。近くの少女マンガコーナーの脇から確認するだけにここは留めておこう。
数分後に数冊持って出てきたセンパイはそのままレジに並ぶ。何を買ったのかは目視できないが、青色でも緑色でもなさそうだからあのレーベルではない。となるとどこのラノベを購入したのか。あの人が最近気になっていたタイトルを脳内検索するが、そんなにひっかからない。ビートで侍なアレか。いやいや、数学で救う方かもしれない。それともここで数冊目の冴えないアレか。もう五冊くらい買ってるからそろそろいいでしょとか思うところだが、それは黙っておく。
その後も尾行を続けるが、一人でパフェに行くこともなく昼ご飯はマクドナルドでセットを頼み、およそ寮では出ないようなファストフードを摂取。そしてもう一回同じ書店に行って寮の方向に出るバスへまた乗っていった。あたしは一便遅らせることにする。
それにしても、ただの書店巡りの風景見せられたあたしはなんだったんだろう。いや、尾行したのはあたしの勝手なのだから仕方がないのだけれども。これだけならばあたしがいても変わらなかったのではないだろうか、という疑問も湧くがどうせあの人のことだからたまには一人になりたかったとかそういうアレだろう。あたしに気を遣ったというのはあまり信用してはならない。
ちょっともやもやしたので、あたしは先程の書店で気になるマンガの新刊だけ買ってバスで戻ることにします。
※ ※ ※ ※ ※
「あ、どっか行ってたの? おかえり」
「ただいまです、センパイ」
寮の部屋に戻るとほくほくした顔で買ってきたラノベを読んでいるセンパイの姿があった。昼過ぎからベッドの上でラノベを読みつつニコ動もたまに開き、仕事も平行するというのはまぁセンパイの日常的な行動ではあるが、この免許合宿中にまでできるんだったらメンタル弱らせなくてもいいじゃないのさとも思う。
とはいえ、メンタル面に重要なのは自由になれる心や場所だったりするから、やはり合宿というものは悪だ。早く帰らねばなるまい。そこにおいてはあたしとセンパイの想いは共通していた。
「そうそう。これ買ってきたよ。俺が乗ってる間とかに読んでて欲しいなと思って」
「なんですか、仕事の本とかならいやですよ」
渡されてきたのは一冊の文庫本。センパイが懇意にしているしめさば先生の『ひげを剃る。そして女子高生を拾う』だった。家にもあるはあずではないか、この本は。
「確かお前読んでなかっただろ? 面白い本だったし読んで欲しいと思って。心温まるストーリーなのが良いんだよね。別にしめさば先生だから推してるとかじゃなくて、ストーリーが普通に好きなだけだけど。どう、読む?」
好きなものを語るときのオタク特有の早口があたしは苦手だ。特にセンパイの場合、本当に何も忖度せず好きなものは好きなだけ語ることをここ二年で再認識した分、タチが悪い。
そんな顔で語られたらあたしは読むしか無いじゃないか。
「読みますよ」
「やったぜ! 免許合宿開けたら本山らのちゃんの読書会でも取り上げられるみたいだし、お前も絶対はまれるからさ。明日の試験で絶対合格してやるからその試験時間、読んで待ってろ」
「はいはい」
明日の試験時間、落ちたらすぐに抱擁してあげるけどそんな必要はないってあたし信じてるから。
今度こそ、受かって。
あたしとハイタッチしてほしいな。
なんて、とても軽い欲望だなとか思っちゃうけど。
結局のところ、この人はあたしだけを見ていて欲しいから他の女から必ず失恋させるけど、どうせあたしの方は向いてもらえない。
あたしは今回の免許合宿では女に寄りついてほしくないし、大学にも行かなくていいようにしたし、仕事に注力をして欲しいって思った、とセンパイに伝えただけ。それを聞いて、男子寮にぼっちで行くことにして、講義を全部取り下げて、仕事も請けているのはセンパイがあくまで自主的に決めたこと。
それが結果的にあたしの理想に近づいているだけの話で。
明日は仮免試験の二回目。
さすがに受かって欲しいけれど、どちらにしろその感情を共有できる唯一の相手はあたしだけだ。
その唯一の相手になれただけでも嬉しいなって思っちゃうくらいあたしもチョロいんだけど。
それでも、大好きな人には笑顔でいて欲しいと思うのは、恋する乙女の特権じゃないだろうか。
ファイトだよ、センパイ。
※ ※ ※ ※ ※
で、『ひげを剃る。そして、女子高生を拾う』を何故今チョイスしてきたんだろう……まぁ、良い機会だから読むけど。センパイのチョイスだからあたしの趣味と合致するだろうし。
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