いけ、ピーター! フック船長をやっつけろ!
「ビルがいなくなったんだ」
ピーターが言った。ああ、そうかい、とおれはなんてことなさそうに言った。
「きっとはしゃいでかくれんぼでもしてるのさ」
「ちがうよ。落ちたんだ。テムズ川に」
おれは息を止めた。
一瞬、このクソガキがなにを言っているのか、本気でわからなかった。
「……は?」
「落ちたんだ、ビルのやつ。たぶん『信じる心』が足らなかったんだろうなあ。突然飛べなくなっちゃったみたいでさ。でも、それでよかったかもな。あいつ、いちばんチビのくせして、なんか妙に大人びててさ。気持ち悪かったんだ」
ピーターはおれに笑いかけた。
悪魔が笑っているのかと思った。
「ケビンも、ジョーも、トムも。みんな落ちちゃった」
あーあ、とピーターは頭の後ろで手を組み、地面をけった。
「あとはおれたちだけになっちゃったよ。つまんないね」
「ちょっと待て……」
信じられなかった。
だって、ほかの連中は、まだ。
「いいんだ、また新しい迷子を探すから。子どもはいくらでもいるんだ。探そうと思えば、いくらでも」
ピーターはにっと笑い、腰の短剣を引き抜いた。
背筋が凍りつく。
そうだ。わかっていたじゃないか。
空を飛ぶのに「信じる心」なんか必要ない。必要なのは「ピーターのお許し」だけだ。もしもティンクが妖精の粉をふりまけば、海賊船だって宙に浮くだろう。妖精の粉なしでこいつが空を飛べるっていうのは……つまり、そういうことだ。
ピーターが「あいつはいらない」と思えば。それだけで飛行中の迷子は、あっというまに冷たい川の水にたたきつけられる。
やられた。
全部こいつにはお見通しだった。
だましやすい、バカなガキはおれだったってこと。
気が付くと、おれは雄叫びを上げてピーターに飛びかかっていた。
短剣をかまえていたやつは、ほんのすこし出遅れた。その一瞬のすきを突いて、おれはやつのみぞおちにつっこみ、身体をがっちり抑えこんだ。短剣がやつの手から滑り落ちて、石畳の上を転がっていく。
「ティンク! ティンカー・ベル! 拾え!」
ピーターがささやくように叫ぶ。だが、おれの雄叫びを聞きつけ、巡回中の警察が通りの向こうからやってくるのを見て、やつはおびえた。あちこちの建物の窓が開き、大人が顔を出す。
そう、大人だ。やつが虫唾の走るほどきらいな、大人。それが、わらわらとやつを囲いこもうとしている。
「くそっ、はなせ!」
ティンクがどこからともなくあらわれて、短剣を拾おうとした。ピーターはそれを待っていられなかった。食らいつくおれをそのままに、がっと空へ飛び上がった。
ますますピーターにしがみつき、おれは歯ぎしりしながら叫んだ。
「ネバーランドに行け」
「はあ?」
ピーターは不機嫌だった。今すぐにでもおれを落としてやろうともがいていたが、単純な力ではおれに分がある。
「このままネバーランドに行け」
おれはぎりぎりしながら言った。
「おれはネバーランドに住み続ける。おまえとは決別だ。おれはおれのやり方でいく。おまえのルールの届かないところで」
「だめだ。そんなの、ゆるさないぞ」
おれは笑った。あんまり笑いすぎて、ピーターが気味悪がって「なんだよっ」と叫ぶくらいに。
「バカだな。敵がいたほうが面白いだろ? 敵と味方に分かれて戦い続けるんだよ。面白い『遊び』じゃないか」
ピーターはもがくのをやめて考えこんだ。ティンクがよろよろしながら短剣を持ってきて、ピーターに手渡す。そのままふりおろすこともできたのに、ピーターは「ふうん……それ、面白そうだな」と言った。
「子どものチームと、大人のチームで、分かれるわけか」
「そうだ。おれは……そうだな、海賊役だ。悪い海賊で、海を荒らしまわっている」
「ふんふん、それで?」
「おれは立派な海賊船の船長で……おまえを恨んでいるんだ。いつかおまえを殺したいと、命を狙っている」
「はははは! 面白いじゃん! 気に入った!」
はっと気がつくと、そこはもうロンドンではなかった。ネバーランドの、海辺。
ピーターはおれを海辺沿いの岩の上に置くと、飛び回ってあははと笑った。
「ここに海賊船を停泊させよう! うん、おれが用意してやる。おまえはそこの船長だ。そうだな、船長には名前がいるな。なんて名前にしようか……」
ピーターはくるりとふり返り、にやっと笑って手を叩いた。
「フックだ!」
「は? なんで」
「あたりまえだろ」
ピーターはおれの目の前に飛んできて、無邪気に笑いながらおれの右手をつかんでひき寄せた。次の瞬間、つかんでいた短剣をふりおろし――おれの右手を切り落としやがった。
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