強いぞ、ピーター!

「ちがうんだ、ピーター」


 ウィルが言った。なんだか変な声だった。すこし、かすれている。


「おれたちは――ルールは守る」

「ああ、絶対だ。約束するから」


 ピーターはふうん? と言って目をぐるっとまわし、「約束だってさ!」と迷子たちに向かって叫んだ。輝かんばかりの笑顔で。楽しげに。


「聞いたかよ? そうだ、おれは約束は守るぜ。うん、おれは大人じゃないからな。大人の約束はあてにならない。大人はウソつきだからな」


 ティンクがきらきらと光ってピーターに同調した。妖精の粉が周りの子どもたちにふりまかれて、ひとり、またひとりと、タガが外れたみたいに笑い出した。けらけら、いひひ、と子どもたちの笑い声が隠れ家に満ちていく。


 ウィルとスティーブは必死で笑おうとしていた。でないと、自分が子どもたちにあざ笑われている図が完成してしまう。それだけは、阻止しなければ。そう思ったのか、ふたりは必死で笑っていた。


 おれはケビンを見た。あいつも意味がわからないにちがいない。だが、おれとちがって、あいつはすぐに空気にだまされた。あははと悪気なく笑って、妖精の粉によってふわふわと浮かび始めた。


 気が付くと、おれの足も地面から離れはじめていた。


 本気でおかしいと思った。おれは今、全然楽しくないのに、空を飛んでいる。


 なにかがおかしい。迷子たちはピーターと一緒に遊びはじめた。ウィルとスティーブを地面に残して、ネバーランドの空を自在に飛び回る。おれはほかの連中に気取られないよう、必死で笑顔を作りながらも、違和感を取り払えないでいた。




 夜。遊び疲れて、迷子たちは隠れ家に戻るなり、自分の寝床にダイブした。


 今までで最高に楽しい冒険だった。だが、おれは「冒険」という言葉自体がきらいだ。なんだか子どもだましのニュアンスを感じて、好きになれない。だが、ピーターはなにかにつけ、冒険という言葉を使いたがる。


 月のない夜だった。楽しいは楽しかったが、歯のあいだに小骨がはさまったような、いやな違和感が残っていた。木に吊るされたハンモックの上で何度も寝返りをうち、やがてむくりと起き上がって、用をたすためにはしごを下りはじめた。


 手が止まったのは、最後の段から足を下ろす直前だった。


「おねがいだ、ピーター」


 がらがらの声がした。昼間、かすれていたウィルの声だった。ところどころ声に太いものが交じる。まるで大人の声みたいな。


 おれは息を呑みかけ――あわてて口をおさえた。


 ウィルのやつ、声変わりだ!


「自分じゃどうにもできないんだ。髪が伸びてくるのと同じだよ。爪が伸びてきちまうのと同じ。成長したいわけじゃないのに、変わっちまうんだ。ルール違反をしたいわけじゃない――なあ、わかるだろ」


「ああ、髪の毛かあ」


 のんびりした、少年の声。

 永遠に変わらない高い声が、けらけらとすずみたいに笑った。


「なあティンク、わかるか? おれ、髪の毛なんて切ったことないけど」


 きらきらと、ティンクが音を出す。だよねえ、とピーターが答えた。


「おれもそうだよ。伸びなくていいと思ってれば伸びないはずなんだ。大人にだって、本当になりたくないと思っていれば、ならなくてすむはずさ。そんなの常識だ。で、大人になっちゃうってことはだ……ウィルとスティーブは、心の底では大人になってみたかったってことだよな……?」


「ちがう!」


 スティーブの声がするどく響く。


 三人はおれのいるはしごから、三十歩もいかない場所でささやくように会話していた。おれは目を上げた。暗い木々のあいだから、子どもたちがおびえた顔を半分のぞかせて、息をひそめていた。


「ともかく、規則違反は見逃せない」


 ピーターの声は、楽しく遊んでいた昼間となにも変わらなかった。つまり、これは……やつにとっては、『遊び』だ。


「だから……すみやかに『処罰』します」


 おれははしごにしがみつき、口に手を当てたまま、じっと息を殺していた。恐怖でどうにかなりそうだった。耳をおおう余裕はなかった。背後で行われている光景を見ずにすんだのは幸運だったのかもしれない――それとも、不運だったのだろうか。あの夜、ピーターに選ばれて、迷子になることを選んだ時点で、すでに不幸だった?


 すべてが終わり、ピーターがあくびをしてティンクに言うのが聞こえた。


「片付けといてよ、ティンク」


 きらきらと妖精が応え、ピーターの影が星明かりをさえぎっておれの見ている地面を通りすぎていった。ああ、くそっ。おれのズボンは濡れそぼっていた。


 おれはそのときになって、やっと気づいた。


 ネバーランドは、子どもの天国じゃない。


 ただの、墓場だ。

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