君も今日から迷子になれる!
ティンカー・ベルのふりまく「妖精の粉」と「信じる心」があれば、普通の人間も空を飛ぶことができる。おれはすこし不安だった。信じる心が足りているのか自信が持てなかったんだ。
今思うと、変な話だ。不安を感じている時点で、「信じる心」なんか持っていないも同然じゃないか。なのに、おれはふわりと飛ぶことができた。安心して、ピーターに笑いかけた。あいつの耳は妖精みたいに尖っていた。そう、あいつは人間の子どもに見えるが、実際は人間ですらないんだ。
「行こう。迷子たちが待ってる」
「でも、ほかのやつらは」
おれはベッドの並んだ寝室を見渡した。大勢の親なし子たちが、病院みたいにひとつの部屋に押しこめられてぐうすか寝ている。
「行くのか、行かないのか?」
ピーターはおれの耳元でささやいた。ちょっといらついていた。あいつはなにかが思いどおりにいかないと、すぐに不機嫌になる。そう、子どもだからな。
「行くよ」
「そうこなくっちゃあ」
ピーターはおれの手をひき、ティンクが天窓を開けて、空へ飛び上がった。
夢みたいだったさ。本当に。つばさも気球もそのほかなんの機械も使わず、身一つで空を飛ぶ感覚を想像してみろよ。最高だ。おれたちはロンドンの町を自在に飛び回り、けたけた笑いながらネバーランドを目指した。右から二番目の星を目印にな。
ネバーランドに着いてからが、最高の日々だった。
なにもかもがうわさどおりで、いや、うわさ以上だった。
ピーターの隠れ家には迷子たちがわんさかいて、みんながおれをあっというまに受け入れて、仲間だと認め、毎晩のように大騒ぎした。
ここには、歯をみがけとか、何時までに寝ろとか、大声を出すなとか、勉強をしろとか、将来について真剣に考えろなどと言う大人はいない。
おやつの時間? それまで待てるか、食っちまえ。
順番? やりたかったらさっさとやれ。数が足りないならもっと持ってこい。
風呂? 歯みがき? うがい手洗い? やなこった!
ネバーランドは天国だった。
木々のあちこちに張りめぐらされたツリーハウスにはツタを使って移動し、行きたくなったら釣りに出かけ、一日中遊んで、眠くなるまでばか騒ぎをする。お腹が空いたら、イメージすればいい。色とりどりのごちそうが皿の上に見えてきたら、急いでつかむんだ。本物のごちそうが胃袋の中にずっしりと入っていくのを感じられる。
ここでは働く必要もない。
虫歯や病気におびえる必要もない。
もちろん、大人はいない。
だが、ときどきケンカがはじまっても、止める人間もやはりいなかった。
一度、ウィルとスティーブが大ゲンカをしたことがあった。ふたりともわりと身体が大きくて、もう少しでひげが生えてきそうなくらい成長していた。
そのケンカは、ほかの迷子たちのそれとは明らかにちがった。本気すぎたんだ。ふたりとも頭に血がのぼって、今にもお互いを殺しちまいそうだった。
おれはケンカをしているふたりを取り巻く野次馬たちの輪からはずれた。木々の上に、ピーターがいるのがすぐ見つかった。げらげら笑って、ティンカー・ベルとふざけている。
「おい、ピーター! 止めてくれよ!」
迷子たちはすっかりしんとしていた。ウィルとスティーブのケンカに、さすがに怖気づいていたんだ。だれも二人を止められなかった。止められるとすれば、それは妖精の粉がなくても、いつでも空を飛べる、ピーターだけだ。
ピーターは腹を抱えて笑っていた。おれたちには聞こえない、ティンカー・ベルの言葉にウケているのかと思ったが、どうやらちがった。
ピーターはウィルとスティーブのケンカを見て、笑っていたんだ。
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