みんなのヒーロー、ピーター・パン!
はじめから大人だったわけじゃない。みんなそうだよな?
おれにも子ども時代があった。そう、なんにも知らない子どもだったんだ。あのピーター・パンに出会ったときのおれは。
ひどい時代だったよ。今はあの時代を「産業革命」と呼ぶらしい。つい最近仲間になったばかりのジャックが言っていた。ネバーランドに来る前、学校に通っていた時期があるらしく、歴史で学んだそうだ。
すこしうらやましいよ。おれは学校に通えなかったからな。朝から晩まで大人から仕事をもらって金をかせいでいた。いや、当時のおれは、それでしあわせだったんだ。学校なんか、行きたくもなかった。役にも立たない歴史なんざ学ぶより、金を稼いだほうがいいだろう? おれはガキだったんだ。本気でそう思っていたんだよ。
あのころは、町はススだらけだった。あっちもこっちも失業者であふれ、大人たちの目からは生気が失われていた。なのに工場の仕事はうそみたいに忙しいんだ。それで、おれの母親は過労で倒れてしまった。
父親はもとからいなかった。母親はおれの親父が病死したと言ったが、それも本当かどうかはわからない。おそらく父親がだれだか見当がつかなくて、罪のないウソをついたんだろう。
大人はすぐに子どもにウソをつく。真実に耐えられる器じゃないと思っているんだろう。だからクリスマスになればサンタクロースがやってくると言うし、歯が抜けたら夜中に歯の妖精がやってきて、コインと交換してくれると言う。その流れで、複数の男と寝た母親は、あんたの父親は死んだのよと言うわけだ。
そういうわけで、父親が不在で、ついでに母親も倒れたおれは、さっさと孤児院にほうりこまれた。母親が死んだと聞かされたのはその数週間後だ。病院の衛生状態も最悪な時代だからな。それでおれは晴れて孤児になった。
当時の孤児院がどんなところだか、だいたい想像はつくだろうか?
肥溜めだよ。そうだ、あれは人の住む環境じゃない。だが、それでいいんだ。なんたって「子ども」は人間じゃないからな。「不完全な大人」。それが子どもだった。
ああ、今じゃ考えられないだろう。
児童書? 子ども服? そんなもんはなかった。はやく大人になれ、はやく完全体の大人になれ。それが当時の子どもにかけられていた言葉だ。人間扱いされないくらいが当然だったのさ。ましてや愛してくれる母親や父親がいなければ、なおさらだ。
ピーター・パンは、そういう時代の子どもにとって、真実ヒーローだった。
ああ、そうさ。おれもあいつが大好きだったよ。あいつは子どもの味方だ。みんな知っていた。だれもが、あいつのお話を読んで夢見ていた。夜になるとピーターがあらわれるんじゃないかと、窓を見上げて待っていた。だれもが、このくそったれな状況から抜けだす希望を待ち続けていた。
そう、だからうれしかったさ。
あの夜、おれのベッドの上にあいつがふわりと降りてきて、人差し指を口に当て、ほかの子どもを起こさないように言ったときは、心の底からうれしかったね。あいつの肩の周りを、小さなティンカー・ベルがすました顔で飛び回っていたのをおぼえている。実に幻想的だった。
「ネバーランドへ行こう。迷子にしてやるよ。おれの仲間にならないか?」
そう、おれはあいつに選ばれたんだ。孤児院のなかで、おれだけが。
誇らしくて、光栄だったさ。
あのときはな。
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