2度目の選択



 そしてまた、幾分か慣れたとはいえ吐きそうな地獄を味わい、たどり着いた先は柳と桐が同級生の世界だ。この世界の柳は、桐と同じセーラー服を着ていて、顔つきも幾分か幼い。元の世界の自分が中学生のころそうだったように、アパートにはまだ出て行っていない母親がいた。母親はこちらを振り返りもせず、背を向けて雑誌を読んでいる。たばこの臭いが充満していて、不快だった。イフも心なしか顔をしかめているように見えた。


それから一週間ほどは、柳は楽しい学校生活を送ることができた。家に帰れば母親を疎ましく思い、また重苦しい家の雰囲気に押しつぶされそうだったが、イフが話し相手になってくれるおかげで少しは楽だ。


柳はベッドに、イフは机に腰掛けていた。二人の距離はいつも遠い。取り留めのない話を、イフは静かに聞いていた。つまらなそうにもしなかったが、興味も見せない。むしろその態度が話しやすくて、家族のこと、桐のこと、学校のこと、つらつらと沢山話した。時には、イフが自分のことを話すこともあった。


「イフは、どこからきたの?」

「ここからずっと遠くの楽園ですよ。とても美しく、永遠を過ごすにはあまりに退屈な場所です。」

それは夢物語のようで、本当か嘘かわからなかったが、なんとなくそれを信じていた。


学校へ行って、桐と楽しくお話をして、時々は一緒に遊ぶ。2人は良い友達だったが、穏やかな日々は長くは続かない。結果として、ほとんどイフの予想通りになった。


柳は、異常に嫉妬深く、自覚がないのがたちが悪い。桐が他のクラスメイトと楽しそうに話しているのを目の当たりにして、今までよりもずっともどかしさを感じた。飢えて飢えて、目の前に好物を置かれているのに届かない。


学校でこそ、平然と笑っているフリをしていたが、自室の壁には、ひっかいたような血の跡がついて、その指先は爪が剝がれていた。イフが止めるのも構わず、毎晩のように、壁をかきむしっていたのだ。


その他大勢の級友の顔などのっぺらぼうに見えて、今すぐ殺したいほど憎かった。他の人に微笑みかける桐を見るたび、口の中を噛み切った。口の中にあふれる鉄の味が冷静さを取り戻させるが、物はほとんど食べられなくなって日に日にやつれていった。

ブドウ糖の錠剤や、チョコレートを、イフに無理やり投与されるくらいだ。


後ろから抱きかかえられて、チョコレートを摘まんだ指が口内にねじ込まれる。白く固い指が、口内の熱で溶けた甘味を、傷を避けるように塗りたくる。口内をなぶられる感覚に、柳のつま先が震えた。


「辛い、悲しい、胸が苦しい。」

柳がそう言う度に、イフはその胸をさすってやっていた。隣の部屋からは、母親と知らない男がセックスをする音が聞こえている。あんな女でも、愛とやらを手に入れられるのに、自分は。虚無感に苛まれ、柳は硬い身体に身をもたれさせた。イフは優しく柳の髪を梳くと、身体を抱きあげベッドに押し倒す。


まだ未発達の身体は、長身のイフにすっかり覆われてしまう。柳はこれからなにをされるか分かっていた。それを望んでいたわけではないが、それを拒むこともない。冷たい手が頬を撫で、首筋をとおって、寝巻きに手をかける。はだけていく布の隙間から、白い肌が覗いた。


イフの指がいたずらに肌になぞる。ゆっくりと、焦らすように。首筋を、浮いた鎖骨を、膨らみかけの乳房をを、腰を、内太ももを、丹念に撫で回して。

「気持ちいいでしょう」

耳を食まれ、注ぎ込まれるその声は甘く優しい。吹きかけられる吐息に背筋がぞくぞくする。


熱を持った肉芽を擦られれば、甘い吐息が盛れる。潤み切った蜜壷の奥、自分の指の届かないところを掻き回される感覚に、柳はぎゅっとシーツを握っていることしかできない。絶頂の回数が数え切れなくなり、快楽に脳を焼かれるように柳の意識は消えていった。


「一度、元の世界に帰りましょうか。」

目が覚めると、まるで何事も無かったかのようにイフが話しかけてきた。柳が自分の格好を見ても、何事もなかったかのように寝間着を来ているだけだった。


しかし、その姿はとても中学生には思えない。ばさばさの髪はしょっちゅうかきむしるせいで抜け落ち、頬はやせこけ、唇は噛んで切ったせいでひび割れだらけ。ところどころはげた爪や、ひっかき傷の残る身体、瞳はうつろなまま。嫉妬とはこうも人を狂わせる。


「もう……帰る……。」

イフに向けて、というかは自分に言い聞かせるように虚空に呟く。

「それでは、帰りましょう。」

と差し出された手を弱弱しく掴む。三回目ともなると、イフの手にも慣れてしまっていた。少しでも空間移動酔いを抑えるために目をつぶる。その直前に、視界の端に、イフがビニール袋を持っていたのが見えた。あれ、私用のエチケット袋か、と思うと少しだけおかしくなって、気分が和らいだ。

 

エチケット袋は大活躍だった。結局また吐いたのだった。それはさておいて、残る世界を移動できる回数はあと一回だけになってしまった。どの世界に行けば自分は幸せになれるのか、自分が幸せになれる世界なんてあるのだろうか。頭の中を意味のない思考がぐるぐると回っていた。

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