猟犬の苦悩

電咲響子

猟犬の苦悩

△▼1△▼


「なあ、おやっさん。俺さ、最近さ、ちぃーっとばっかへこんでんだ」


 地下街アンダグラウンドのさらに地下にある酒場"メタノール"のカウンター席で、俺は魔酒セイレンが満たされたグラスを見つめながら愚痴を吐く。


「ここんとこ、めっきりカナデを見かけねぇんだよ」

「うむ。確かにな…… やつは仕事が終われば一杯ひっかけに来てたんだが」


 そう言ったマスターの微妙な顔つきを窺うに、やはり無関心ではいられないのだろう。


「会いに往ってみろよ? とくに用事がなくとも構わんだろ」

「やめてくれよ。カナデん周辺は魔窟だぜ? 俺なんか即刻身ぐるみ剥がされちまう。よくあんな場所に住んでられるよなあ」


 カナデにとってみれば、依頼者を選別する意図があるのかもしれない。


「ところでリョウよ。俺には、お前さんのグラスの酒が減ってないことが気になってしょうがない」

「あ…… これはその、あれだ、実は肝臓が」


 ──バチッ!──


 突如、視界が暗転した。停電か。


「肝臓がなんだって? しかし困るなこれは。ミラーボールが死んじまったら精彩を欠く」

「けどよ。あいつら意にも介してないぜ」


 俺の背後では、暗闇をものともせず世捨て人ヒッピーたちが踊り狂っていた。


「そりゃ当然の話だ。"グラジナル"はるために魔法を修めてる。お前さんには聴こえないのか? 増幅器アンプなどなくとも聴衆を熱狂させるココロの叫びが」

「お生憎さま。俺は芸術ってのにとんと興味ねぇんだ」

「ならば追い出すまでだ。そして、どうにかしてこい。どうせ過激派に発電所が襲われたんだろ」

「へへ…… 俺の魔法、猟犬ヘルバウンドは常時網を張ってる。地下街ここで俺が知らねぇことなんざ、魔窟の中だけさ!」


 情報収集のために修めた俺の魔法は、地下発電所襲撃をすでに感知していた。が、奇妙な感覚だ。いつもの過激派なら、いつも通り番兵に追い払われているはず。何かがおかしい。地上ウエ。信じたくないが……


「おやっさん。もしかするとヤバい案件かもしれねぇ」

「ああ。骨は拾ってやる」

「心配すんなって。この御守りには、とっておきの贈り物ギフトが入ってる」


 俺はロケットペンダントをひらひらと翳してみせる。


「そんじゃあ、ついでに火炎瓶モロトフも持ってけ。冥土の土産だ」

「縁起悪ぃぜ、おやっさん」

「心置きなく往ってこい!」


△▼2△▼


 地下街では非常用電源が稼動し、街路に並び立つ弦灯柱が淡い光を放っている。地下にも夜はあるのだ。発電所の方向に意識を集中し、猟犬群ヘルフロックを飛ばそうとした、その刹那。視界の片隅で人影がゆらり。


「うおっ!」


 俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。日本刀ポントウらしきものを携えたその姿。薄暗さゆえ、はっきりと視認できずとも感じ取ることは可能だ。間違いない。こいつは地上ウエの人間。そして同盟アライアンスの狩人。


「おお。現地の民か」


 謎の男が口を開いた。


「すまぬが、発電所の在り処を教えてくれないか? この地図はよくわからんのだ」

「悪ぃがおっさん、その地図。血痕で読めねぇだけだろ」


 なけなしの勇気を振り絞って、悪態をついてみる。


「ふむ。ここに来るまでに、ひとり片付けた所為せいかもな」

「あんたにぶち殺されたそいつは、どんな風体だった?」

「見て呉れは真闇まっくらでわからんが、凶悪な妖気オーラを発していた」

「もうひとつ。発電所に何の用があんだ? 俺の勘じゃ、今あそこは危険地帯デンジャラスだぜ」

「心配無用。拙者は相手が強ければ強いほど燃える性質たちでな」

「へへ…… そうかよ!」


 俺は彼の手から地図をひったくり、粉々に破り捨てた。


「なにを――」

「ほれ。こいつが発電所までの道程だ」


 常備しているメモ帳に即興で描いた発電所までの地図。それをメモ帳ごと、謎の男に手渡した。


「ありがたい。この礼はいずれ必ず」


△▼3△▼


 全身が震えている。服が冷や汗でぐっしょりと濡れている。正体不明の存在に対し、柄にもなく粋がってしまった。ただ、最後まで虚勢を張れたのは、彼のココロから邪気を感じなかったからに違いない。少なくとも、俺への害意はなかった。

 深呼吸を繰り返し、気を取り直す。再び発電所の方向に意識を集中し、猟犬群ヘルフロックを飛ばした。


「……マジかよ」


 ひどい有り様だ。番兵は全滅。脳に流れ込んでくる感覚からして、おそらく原型すら留めていないはず。俺は例の件を思い出した。路上には得体の知れぬ肉片が散らばり、街灯には血飛沫がへばりついている異様な日常の光景。あのときはカナデがいたが……


「おっさんもかわいそうに。百鬼ナキリ狂人クルイが相手じゃ、今頃お陀仏か」

「お陀仏になルのはお前ダよ」


 俺は跳ね飛び、咄嗟とっさに身構える。気づかなかった。気づけなかった。くそ、俺の魔法の限界だ。


「ひひひっ! やっぱネぇ、人間のおビえた瞳…… 何度見ても飽きなぃワぁ」


 見覚えのある装甲材を纏ったヒトガタヒューマノイド。鮮血に染まった身体からだを見るに、すでに何人かっているのだろう。


「『地下街あそこに往きゃあ、殺りたい放題できるって噂よ』……先輩の言っテた通りダわ!」

「猟奇趣味の変態が、一丁前に殺人鬼マーダラー気取ってんじゃねえ!」


 俺は雑囊ざつのうから火炎瓶モロトフを取り出し、標的マトに投げつけた。炸裂音とともに爆炎が立ち昇る。


「ひゃあっ! 熱い熱い。ふふふ……」


 醜悪な物体ヒトガタが、紅い鉄パイプを弄びながらにじり寄ってくる。俺はロケットペンダントを開けた。


「へへ…… そいつぁただの目眩しってな!」


 俺は、


 銃を抜く。

 標的がさらに近づく。

 カナデにもらった"魔の鋼鉄ダークグレイ"を銃に、銃に、

 標的が駆け出す。

 銃に装填する。

 標的が得物を振り上げる。

 銃を構える。


地下街へようこそ。Welcome to Undergroundそして、そして…… くたばれ!」


 俺は引き金トリガを引いた。


 ──バギンッ!──


 堅牢な装甲に大穴が空く。彼方の景色が見えるほどの大穴が空く。俺はすっ転びながら言った。


「わかったか? これが俺らの絆のいしずえだ。下衆なやからは要らねぇんだよ」

「……だっテさ。か、仇は…… と、とってよ、ネ……」


 ばちばちと火花を散らしながら、ヒトガタは倒れた。意味深な言葉を残して。


△▼4△▼


「おう。きっちり肉塊スクラップにしちゃる」


 意味深な言葉の意味は即座に判明した。廃棄物の山の陰から現れたは、まさしく血に餓えた獣。人間をやめてからどれほど経ったのだろう。かつて街灯だったものを振り回しながら、イカれた半人半機サイボーグがのたまう。


「しょせんヒトガタなぞ使い捨ての駒に過ぎん。あんさんがどれほんどの使い手か、よぅくわかったわ」


 俺の猟犬ヘルバウンドすり抜けてきた、狡猾で残忍で練達な狂人クルイ


「そいつぁ浅はかってもんだ。二発目、三発目があるとは考えなかったのか?」


 俺はブラフをかけて、銃を構える。


「強がるわりにゃ臆病もんで、あん武器やも人頼み。おまけに嘘すらド下手糞。そんなクズ野郎は、俺様があの世に送ったるわ」


 当然の如く、稚拙なハッタリは通用しなかった。もはやこれまで。俺の命運は尽きた。


「りゃあああ! じけてび散れろおぉおぉ!」


 ──ボンッ!──


 …………………………………………

 …………………………………………


 閉じていた瞳を開ける。サイボーグの胴体は両断されており、断面から噴き出る血で俺の服はぐっしょりと濡れていた。


「間一髪。仁義は果たしたぞ」


 生きてたのか、おっさん。


「生きてたのか、おっさん」

「応。なかなかに歯応えある死合いであった」

「へへ…… ボロボロだぜ?」

「さすがに相対する人外もののけが十も二十もとならば、手傷を負うのは必然」


 彼の発した言葉を聞いて、脳みそがフル回転する。この状況はヤバい。かなりヤバい。


「発電所までの詳しき地図、まことに痛み入る」


 謎の男は、俺が手渡したメモ帳を返してきた。


「あんときはどうかしてた。今、冷静に考えれば、飯の種をそっくりそのまま手放しちまうなんざ、情報屋としちゃあり得ねぇ」

「貴殿のおかげで、拙者も飯の種にあずかったよ。これでしばしの間、食うに困らん」


 男が微笑む。俺も微笑む。


「なあ。おっさん」


 地下街ここを護ってくれないか。喉元まで出かけた言葉を、こらえる。不躾極まりない。湧き出た感情を、こらえる。


「ん?」

「ありがとよ」


△▼5△▼


 発電所が復旧し、地下街アンダグラウンドは不夜街に舞い戻った。俺は大通路コンコースに設置されたベンチに座り、思考をめぐらせる。


 ここを潰して得する連中がいる。最近増え続けていた招かれざる客は、地下街中枢集団襲撃失敗事件によって数を減らした。しかし、それも一時的なものだろう。地上ウエから逃げてきた弱者の集団がいる。魔法もろくに知らない弱者の集団がいる。そんなふうに噂が広まればどうなるか。

 ここを残しておきたい奴らがいる。あの凄腕の剣客が来なければ、すでに地下街は変態どもの絶好の狩り場と化していた。おそらく、地上では何らかの権力闘争・利害衝突・謀術合戦などがあるに違いない。が、俺はもう隷属するつもりはない。自由で寛容なこの街が好きなのだから。


 俺は地下街アンダグラウンドを護るために魔法を修めた。有益な情報を安価で提供し、自警や自浄に使ってもらうために。


 そして今日もこのベンチに座り、カナデを待つ。


<了>

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猟犬の苦悩 電咲響子 @kyokodenzaki

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