猟犬の苦悩
電咲響子
猟犬の苦悩
△▼1△▼
「なあ、おやっさん。俺さ、最近さ、ちぃーっとばっか
「ここんとこ、めっきりカナデを見かけねぇんだよ」
「うむ。確かにな…… やつは仕事が終われば一杯ひっかけに来てたんだが」
そう言ったマスターの微妙な顔つきを窺うに、やはり無関心ではいられないのだろう。
「会いに往ってみろよ? とくに用事がなくとも構わんだろ」
「やめてくれよ。カナデん
カナデにとってみれば、依頼者を選別する意図があるのかもしれない。
「ところでリョウよ。俺には、お前さんのグラスの酒が減ってないことが気になってしょうがない」
「あ…… これはその、あれだ、実は肝臓が」
──バチッ!──
突如、視界が暗転した。停電か。
「肝臓がなんだって? しかし困るなこれは。ミラーボールが死んじまったら精彩を欠く」
「けどよ。あいつら意にも介してないぜ」
俺の背後では、暗闇をものともせず
「そりゃ当然の話だ。"グラジナル"は
「お生憎さま。俺は芸術ってのにとんと興味ねぇんだ」
「ならば追い出すまでだ。そして、どうにかしてこい。どうせ過激派に発電所が襲われたんだろ」
「へへ…… 俺の魔法、
情報収集のために修めた俺の魔法は、地下発電所襲撃をすでに感知していた。が、奇妙な感覚だ。いつものなんちゃって過激派なら、いつも通り番兵に追い払われているはず。何かがおかしい。
「おやっさん。もしかすると
「ああ。骨は拾ってやる」
「心配すんなって。この御守りには、とっておきの
俺はロケットペンダントをひらひらと翳してみせる。
「そんじゃあ、ついでに
「縁起悪ぃぜ、おやっさん」
「心置きなく往ってこい!」
△▼2△▼
地下街では非常用電源が稼動し、街路に並び立つ弦灯柱が淡い光を放っている。地下にも夜はあるのだ。発電所の方向に意識を集中し、
「うおっ!」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「おお。現地の民か」
謎の男が口を開いた。
「すまぬが、発電所の在り処を教えてくれないか? この地図はよくわからんのだ」
「悪ぃがおっさん、その地図。血痕で読めねぇだけだろ」
なけなしの勇気を振り絞って、悪態をついてみる。
「ふむ。ここに来るまでに、ひとり片付けた
「あんたにぶち殺されたそいつは、どんな風体だった?」
「見て呉れは
「もうひとつ。発電所に何の用があんだ? 俺の勘じゃ、今あそこは
「心配無用。拙者は相手が強ければ強いほど燃える
「へへ…… そうかよ!」
俺は彼の手から地図をひったくり、粉々に破り捨てた。
「なにを――」
「ほれ。こいつが発電所までの道程だ」
常備しているメモ帳に即興で描いた発電所までの地図。それをメモ帳ごと、謎の男に手渡した。
「ありがたい。この礼はいずれ必ず」
△▼3△▼
全身が震えている。服が冷や汗でぐっしょりと濡れている。正体不明の存在に対し、柄にもなく粋がってしまった。ただ、最後まで虚勢を張れたのは、彼の
深呼吸を繰り返し、気を取り直す。再び発電所の方向に意識を集中し、
「……マジかよ」
ひどい有り様だ。番兵は全滅。脳に流れ込んでくる感覚からして、おそらく原型すら留めていないはず。俺は例の件を思い出した。路上には得体の知れぬ肉片が散らばり、街灯には血飛沫がへばりついている異様な日常の光景。あのときはカナデがいたが……
「おっさんもかわいそうに。
「お陀仏になルのはお前ダよ」
俺は跳ね飛び、
「ひひひっ! やっぱネぇ、人間のおビえた瞳…… 何度見ても飽きなぃワぁ」
見覚えのある装甲材を纏った
「『
「猟奇趣味の変態が、一丁前に
俺は
「ひゃあっ! 熱い熱い。ふふふ……」
醜悪な
「へへ…… そいつぁただの目眩しってな!」
俺は、
銃を抜く。
標的がさらに近づく。
カナデにもらった"
標的が駆け出す。
銃に装填する。
標的が得物を振り上げる。
銃を構える。
「
俺は
──バギンッ!──
堅牢な装甲に大穴が空く。彼方の景色が見えるほどの大穴が空く。俺はすっ転びながら言った。
「わかったか? これが俺らの絆の
「……だっテさ。か、仇は…… と、とってよ、ネ……」
ばちばちと火花を散らしながら、ヒトガタは倒れた。意味深な言葉を残して。
△▼4△▼
「おう。きっちり
意味深な言葉の意味は即座に判明した。廃棄物の山の陰から現れたそれは、まさしく血に餓えた獣。人間をやめてからどれほど経ったのだろう。かつて街灯だったものを振り回しながら、イカれた
「しょせんヒトガタなぞ使い捨ての駒に過ぎん。あんさんがどれほんどの使い手か、よぅくわかったわ」
俺の
「そいつぁ浅はかってもんだ。二発目、三発目があるとは考えなかったのか?」
俺はブラフをかけて、銃を構える。
「強がるわりにゃ臆病もんで、あん武器やも人頼み。おまけに嘘すらド下手糞。そんなクズ野郎は、俺様があの世に送ったるわ」
当然の如く、稚拙なハッタリは通用しなかった。もはやこれまで。俺の命運は尽きた。
「りゃあああ!
──ボンッ!──
…………………………………………
…………………………………………
閉じていた瞳を開ける。サイボーグの胴体は両断されており、断面から噴き出る血で俺の服はぐっしょりと濡れていた。
「間一髪。仁義は果たしたぞ」
生きてたのか、おっさん。
「生きてたのか、おっさん」
「応。なかなかに歯応えある死合いであった」
「へへ…… ボロボロだぜ?」
「さすがに相対する
彼の発した言葉を聞いて、脳みそがフル回転する。この状況は
「発電所までの詳しき地図、まことに痛み入る」
謎の男は、俺が手渡したメモ帳を元のままで返してきた。
「あんときはどうかしてた。今、冷静に考えれば、飯の種をそっくりそのまま手放しちまうなんざ、情報屋としちゃあり得ねぇ」
「貴殿のおかげで、拙者も飯の種に
男が微笑む。俺も微笑む。
「なあ。おっさん」
「ん?」
「ありがとよ」
△▼5△▼
発電所が復旧し、
ここを潰して得する連中がいる。最近増え続けていた招かれざる客は、地下街中枢集団襲撃失敗事件によって数を減らした。しかし、それも一時的なものだろう。
ここを残しておきたい奴らがいる。あの凄腕の剣客が来なければ、すでに地下街は変態どもの絶好の狩り場と化していた。おそらく、地上では何らかの権力闘争・利害衝突・謀術合戦などがあるに違いない。が、俺はもう隷属するつもりはない。自由で寛容なこの街が好きなのだから。
俺は
そして今日もこのベンチに座り、カナデを待つ。
<了>
猟犬の苦悩 電咲響子 @kyokodenzaki
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