国民不名誉賞

とみた伊那

第1話

 遅めの朝食を済ませ、二度寝をしようとゴロゴロしていたところ、携帯が鳴った。

「はい、蟻田ですが」

「蟻田さんの携帯ですか。こちらは総務省勲章課の安井と言います。この度蟻田

さんに・・・・賞が授与されることになりました。おめでとうございます」

「え、良く聞こえなかったけれど。こくみん、何ですか」

「こくみんえいよしょうです」

「国民栄誉賞。何かの間違いではないですか。私はそんな立派な賞をもらうようなことは何一つしないで、毎日食べてテレビを見てゴロゴロしているだけなのですから」

「国民栄誉賞ではありません。国民不名誉賞です。ふ・め・い・よ。つまり何か良いことをしたのではなく、何も仕事をしないでゴロゴロしている。これは我が国の国民にとって大変不名誉なことです。その不名誉の代表として、あなたが選ばれた訳です」

「なるほど。それなら意味が分かります。今日も朝ごはんを食べた後、何もしないでゴロゴロしていました」

「もちろんあなたにはこの賞を断る権利があります。何しろ不名誉の代表として国のさらし者となるのですから。でも断る場合には、ちゃんと朝から晩まで働いて税金を納めてもらわなくてはなりません。どちらにしますか」

「その不名誉賞とやらをもらうとどうなるのですか。何かもらえるとか、逆にこちらが何かやらなければならないとかあるのですか」

「国民不名誉賞の盾がもらえます。その他にやらなければならないことはありません。ただ不名誉の代表として、定期的にテレビに出たり新聞に載ったりして、その生活を国民に知らせなければなりません」

「受けなければ働く、受ければこちらは何もしないで生活が紹介されるだけ。それでは働くのは面倒なので、国民不名誉賞を受けることにしましょう」

安井は喜んだ。

「蟻田さんに受けていただいて助かりました。蟻田さんの前に二人に賞を打診していましたが、断られてしまいました。そんな賞をもらって皆から変な目で見られて恥をかくくらいなら働いた方が良いと言って、働いてしまったのです。働いている人にはこの賞を与える訳にはいかず、誰も賞受けないと私が仕事をしていないみたいに見られて困っていたのです」


そんな成り行きで、オレは国民不名誉賞第一号を受け取ることになった。

さっそくマスコミが取材に来た。取材と言っても特に何かやるのではなく、普段のままでいいらしい。その日の夜テレビを付けると、見慣れたオレの部屋の中でオレがいつものようにテレビの前でゴロコゴロと寝転がっている姿が写っていた。キャスターはもっともらしく

「みなさん、この人が国民不名誉賞受賞者です。このように毎日だらだら過ごしているばかりで、何一つ世の中の役に立つことをやっていません。国民の皆さま、こういう不名誉 な行動は慎むようにしましょう」

余程この賞が珍しいのだろう。それから数日間はどのチャンネルを回しても部屋でゴロゴロしているオレの姿ばかりが写っていた。俺はテレビに飽きて再び昼寝をした。


さて、その不名誉賞を受けてオレの生活はどう変わったか。確かにテレビに出たおかげで世間から注目されるようになった。平日昼間に外を歩いていると、すれ違う人から

「ほら、あれが不名誉賞の蟻田さんだよ。昼間から働かないでブラブラして、本当に国民の恥だね」

とか

「ああいう大人になっちゃダメだよ」

などと親が子供に対して説教したりしていた。


では何故オレが働かない生活になったか。難しいことではない。友人が会社を立ち上げる時、頼まれて株を買った。その会社が数年のうちにとんとん拍子でうまくいき、あっという間に上場してその株にすごい値段が付いた。そのまま持っていればもっと配当が付くと言われたが、値段が高い時にそれを全部売ったら手元にそこそこの金額が入った。計算してみたら贅沢はできないけれど節約して暮らしたら何とかやつていかれそうなので、仕事を辞めてゴロゴロする生活を始めたのだ。


そして、不名誉な後ろ指を指される生活も二週間もすると慣れてきた。すれ違う人も避難するのに飽きてきたようだ。しかし不名誉な人という称号はすっかり定着したようだ。スーパーで買い物をしている時など、オレの持っているカゴの中をスーパーの店員が覗いて

「蟻田さん、もやしを買うなら、あっちの棚に値引き品がありますよ」

と不名誉賞な人間は安物を買え、と言うように値引き品を教えてくれる。実際オレは値引き品でなくても生活できるくらいのお金はある。しかし別にグルメではないので値引き品とそうでない品物との差はあまり分からない。分からないならば安い方が得である。そういうお得な情報をわざわざ周りの人が教えてくれるのだから、考えてみれば便利な生活である。


それから数日して、混んでいるスーパーのレジで並んでいる時だった。オレはスーパーのカゴに値引き商品をいくつか入れて順番を待っていた。オレの後ろに並んでいるのはきちんとスーツを着たサラリーマン風の若い男。その男がカゴも使わず、ワンコイン弁当一つを手に持ってイライラしながら並んでいる。会社で何かあったのか、機嫌が悪そうで怖い。オレの前のおばあさんが会計でもたもたしていると、オレのカゴを見て言った。

「働かないでブラブラしているヤツが、何故俺より先に会計するんだ。恥ずかしくないのか。俺は朝から晩までしっかり働いて、短い休憩時間にこうして弁当を買っているというのに」

それを聞いてオレはちっとも恥ずかしいとは思っていなかったが、「先にどうぞ」とレジの順番を譲って列の一番後ろに並びなおした。オレは別に急いでいないのだから、それでこのサラリーマンが少しでも機嫌が良くなるのならばそれでいい。サラリーマンは当然のごとくもたもたしているおばあさんの後に弁当を差し出し、放り投げるようにお金を出して去っていった。オレが順番を譲っても大して機嫌は直らなかったらしい。それでもそれ以来オレは忙しそうなサラリーマンが後ろに並んだら、順番を譲って列の一番後ろに並び直すことにした。そうやって長い時間スーパーのレジに並んでいると、いろいろな人間を観察できて面白い。

「袋にお入れしますか」

と尋ねる店員に対し、ただ「はい」と言えば済むことなのに

「当たり前だろう。手に何も持っていないのだから」

といきなり怒りだしたりとか。ポイントカードを持っているかどうか聞いただけなのに

「見れば分かるだろう」

と怒鳴ったりとか。オレは鈍いのか、その人がポイントカードを持っているかどうか、見ただけではわからない。


またある時に駅のエスカレーターに乗っていると、やはり忙しそうな若い男から

「ちっ、不名誉賞がエスカレーターなんかに乗って。こっちは忙しいのに。不名誉賞は階段を使え」

と言われた。そんなに忙しいのならば、その男がゆっくり動くエスカレーターより階段を使った方が早いと思ったが、とりあえずその時からエスカレーターを使わずに階段を使うようになった。普段ブラブラしていて運動不足だったので、これは丁度良い足腰の運動になる。そしてお金がかからない。あの若い男は全く親切なものだ。


不名誉賞担当者の安井という役人は、定期的にオレのところにやってくる。

「どうですか。ちゃんと不名誉賞に該当する生活をしていますか。私は定期的に調査をして、上に報告しなければならないのですからね。本当は国民栄誉賞の担当になりたかったのに。全く、こんな不名誉賞の人間なんかの担当になってしまって。これでは同期と比べて出世が遅れてしまう」

この安井という男は、何故だか来るたびに不満があるようだ。オレのところに時々やってきて、様子をチラッと見て世間話をして帰るだけだから楽そうな仕事に思えるが。まあ、安井には安井の悩みがあるのだろう。そんなにイヤな仕事なら、辞めて別の仕事を探せばいいのに。


ある時いつものようにブラブラと散歩をしていると、腰の曲がったおじいさんが空地の草取りをしていた。草取りと言うとかわいく聞こえるが、一年以上放置していたのだろう。雑草は人間の背の高さまで伸びて、ぼうぼうと繁っている。おじいさんは腰が痛いのか、ちょっと草を抜いては背を伸ばして腰を叩き、辛そうである。

「大変そうですね」

オレは声をかけてみた。

「ああ。今、この土地を売りに出しているけれど、なかなか売れないでいる。そうこうしている間に雑草が繁ってしまい、近所の人から苦情が出てしまった。だからこうやって雑草取りをしているんだよ。しかし年寄にはこれくらいでも辛い作業だよ」

「なんなら僕がやりましょうか。いいですよ。どうせ暇だから」

「本当かい、そりゃ助かるよ」

オレは腕まくりをして雑草を抜き始めた。毎日やる事もなくブラブラしていたので、草取りというのは、やってみるとなかなか楽しい作業である。人間というものは本来こうして土と共に生きてきたのだろう。だからこれは本能に基づく作業なのだ。


などと一人哲学を考えながら草むしりをしていると、突然定期点検であろう、役人の安井がやってきた。安井はオレが草むしりの作業をしているのを見ると

「何をやっているのですか。こんなところで」

いきなりの大声にオレの方がびっくりした。

「見れば分かるだろう。この空地の草をむしっているんだ。ここを通りかかったら、この土地の持ち主のおじいさんが一人で草むしりをして困っていた。オレは暇なので手伝って草むしりをしている、という具合だ」

安井はカバンの中から何やら分厚い冊子のようなものを取り出し、それを指し示して言った。

「あなたは自分を何だと思っているのですか。国民不名誉賞の受賞者ですよ。国民を代表して軽蔑される存在にならなくてはいけないのに。あなたを不名誉だと思う事によって、他の国民がきちんと労働するようになるのです。それが人助けで労働ですか。それでは他の国民があなたを見て不名誉だと思わなくなってしまうじゃないですか。そうしたら国民不名誉賞の人間を働かせたとして、私が上司から怒られてしまうじゃないですか。ただでさえこんな不名誉賞の人担当になって、出世が遅れているというのに。労働は禁止です。ただちに草むしりを中止して自堕落な生活に戻ってください」

オレには安井の言っていることがちっとも理解できなかった。ただ安井があれだけ血相を変えて怒っているのだから仕方ない。

「ごめん。オレにはよく分からないが、事情があって草むしりを手伝うことができなくなった。まだ半分残っているが、ここでやめなければならない」

おじいさんは申し訳なさそうだった。

「私にもあの役人の言っていることは訳が分からない。でもお上にはいろいろな事情があるのだろう。年寄は大人しく言われたことに従って生きていかないと。ここまでありがとう」

そういうお祖父さんの背中はちょっと寂しそうだった。


そんな調子で時には変な制限を受けたこともあったが、国民不名誉賞を受賞したオレは特に不都合なこともなく気楽に楽しく過ごしていた。ただ問題と言えば、定期的に訪問してくる小役人安井の存在である。

「いいですか。あなたは国民不名誉賞を受けたのだから、ちゃんとそれなりの生活をしてくださいね。まったく何で私がこんな人の担当になったのか。私より仕事ができない同僚が国民栄誉賞の人の担当で、私がこんな不名誉賞の担当なんて。ああ、不名誉賞の担当なんてどれだけ出世が遅れるのか。いくらここで頑張っても、所詮不名誉賞なんだから」

こいつは来る度にオレの前でイヤだ、イヤだと言っている。そんなに毎日イヤな仕事をしているのならば、いっそのこと別の仕事を探せばいいのに、その気は無いようだ。オレのところへ来る度に愚痴ばっかり言っている。まあ、こいつの愚痴を聞くのがオレの仕事なのかもしれない。


夏の終わり頃、オレの住んでいる町に台風がやってきた。外は暴風雨だが、もともと暇なオレは台風の時も変わらず暇のままである。部屋の窓を閉め切って、テレビを見ながらパンの耳を齧っていた。道路沿いの部屋なので夜中でも騒音がうるさい代わりに、外の様子がよく見える。この暴風雨の中、トラックはいつものようにコンビニに荷物を降ろし、宅配便の業者は段ボールをビニールで覆いながら自分はずぶ濡れになって荷物を配達し、サラリーマンは風で壊れた傘を持ちながら駅へ向かっていた。


ふと見ると、川沿いの橋のたもとに小学1年か2年くらいであろう、小さな女の子が川へ降りる階段を一人で降りている。その川沿いに生えている桜の木の枝に小さな赤い傘がひっかかっている。女の子の傘が風で飛ばされたのであろう。それを取るために川へ降りる階段を一人で降りようとしている。

(危ないじゃないか。川はどんどん増水しているのに)

何か無いかな。見まわすと、隣の部屋のベランダに非常用のロープが置いてあった。これを借りることにしよう。オレは手を伸ばして隣のベランダのロープを引っ張って取り、急いで部屋を出た。

橋に着いた時には女の子は階段の途中で足がすくんで動けなくなっている。雨は相変わらず強く降り、それに伴って川の水はどんどん増えている。このままでは女の子が流されている。

「ちょっと、あれを見てください。女の子が危ないよ」

通りかかったサラリーマン風の男に声をかけた。

「本当だ。今、消防に電話をしますね」

サラリーマンはスマホから119番をしてくれた。それとともに他の人もだんだん気づいて橋の周りに集まってきた。

「今電話をしたから消防隊員が来てくれますからね。では私はもう行きます。電車が遅れて、ただでさえ間に合うかどうか心配だから」

しかし川の水は女の子のすぐ真下まで迫ってきていた。消防が来るまで間に合わないかもしれない。オレは持ってきたロープを橋げたに結びつけた。

「ちょっとこのロープを見ていてください。何かあったら、このロープでひっぱりあげてください」

オレは近くの人に頼むと、川へ降りる階段を降りようとした。

「何をやっているんですか。人助けなんかしないでください」

振り向いて声がした方を見ると、レインコートと長靴で全身を装備した安井だった。台風だというのにきちんと出勤して監視にやってくる。感心した役人根性だ。

「見れば分かるだろう。あと数分で子供が流されてしまう。今のうちに助けないと」

「こんなに人が多い場所で人助けなんかをしたら、あなたは不名誉賞ではなくなってしまう。若いのにロクに働かない人間をさらし者にして、国民に労働の尊さを伝える役割の国民不名誉賞が。あなたが不名誉な人間でなくなったら、私の出世も……」

時間が無い。オレは安井を殴りつけた。安井がよろめいたスキに川へ降りる階段を下りて女の子の方へ向かった。もしかしたらこのまま流されて、女の子もオレもこのまま死ぬかもしれない。その前に言うべきことだけは言っておかないと。オレは安井に向かって雨の中叫んだ。

「バカやろう。お前が一番不名誉な人間じゃないか。眉間にシワ寄せて朝から晩まで働くような人間ばかりじゃダメだ。世の中にはほんの少しだが、オレみたいな無駄な人間が必要になる時があるんだ」


 その翌日、夜遅い時間にあるオフィスではまだ二人のサラリーマンが残業をしていた。そのうちの一人がパソコンからネットでニュースを見ている。

「おい、見ろよ。国民不名誉賞の男が台風の日に子供を助けたらしいぞ」

最初に声をかけたのは五十歳過ぎであろう、ベテランそうな男だった。話しかけられてもう一人のまだ新人らしい男も仕事の手を止めた。

「私もさっきYou Tubeで見ました。なんか、言いたくないけれど、ちょっとカッコイイなと思ってしまいました」

「考えてみれば僕はこの国民不名誉賞ができてから『こんなヤツにだけはなりたくない』って妙に張り合っていたみたいな気がするんだ。一度も会ったことが無いのに」

「そう言われると、私もそうかもしれません。私はこの会社に入ったばかりであまり仕事ができる方じゃなかったけれど、コイツよりはマシ。だから頑張ろうって思っていた部分があったような気がします」

「それがあんなに身体を張って命がけで子供を助けたら、どっちが上だとか、そんなの比べる必要があったのかなって。それより腹が減ってきたな。ちょっと仕事の手を止めて、かつ丼でも食べにいかないか」

「そうですね。あ、でも止めておきます」

「やっぱり食べる時間が勿体ないか」

「いえ、そうではなくて、今日はこれで切り上げて家へ帰ろうかなと思ってきたのです。何だかあのニュースを見たら、子供の顔が見たくなってきました」

「そういえば僕もこの頃、家族で一緒に夕飯を食べてないな。僕も仕事を切り上げて帰ろうか。正直なところ、何となく疲れた。国民不名誉賞ができて以来、頑張って働き過ぎたみたいな気がする」

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