第2話

「父上……わ、我は犬を飼いたいのだが……」



 日曜日の早朝、平凡な田舎町の、平凡な一戸建ての住宅。

 一家の長である田中イチローはリビングでソファーに座り、キッチンで朝食の準備をする妻の大きいお尻を眺めていた。

 すると小学校一年生になったばかりの娘が、背中になにかを隠し持って歩いてきた。

 それを不思議に思いながらも、イチローは手にしていた新聞を折りたたみマオに挨拶をする。


「おはようマオちゃん」

「お、おはようなのだ父上」


 マオは、もじもじした上目つかいで挨拶。

 その様子にイチローは、ははんっと察した。


「マオちゃん、捨て犬でも拾ってきたのかな?」

「よ、よくわかったな父上?」


 すぐ気づいたのは彼自身も幼い頃、そのような経験があったからだ。


「道端で震えていて可哀想だったから連れてきたのだ!」

「で、そのワンコを飼いたいと? う~ん、ママには言ったのかな?」

「うむ、母上には報告済みだ! 父上とユウに許可を貰って、面倒をみれるなら飼ってもよいと言われた!」


 キッチンを見るとキリエがウィンクをしていた。

 そして腰をふりふりしながら料理に戻る、そんな妻の姿にしばし見惚れるイチロー。


「ふむふむ、じゃあマオちゃん。パパに背中に隠したワンコを見せてくれるかい?」


 途端にマオは慌てふためいた。


「なっ! なぜ、また、わかったのだ父上!?」

「ははっ、パパはマオちゃんのことなら何でもお見通しなんだよ」

「す、凄い、凄いのだ父上!」


 無邪気に喜ぶ娘マオ。

 こういうところは母親キリエ似なんだなとイチローは思った。

 ただ父親として、こうも単純だと将来悪い虫がつかないかと不安になる。

 イチローは義父に、結婚するまで悪い虫あつかいされていたことをすっかりと忘却している。

 それはそれとして、可愛い娘からの尊敬の眼差しは彼としては非常に嬉しいものだ。

 マオのチョロいところは、確実に父親イチロー似だった。


「これなのだ……」


 小型犬ほどの大きさの生き物は、クーンクーンと媚びるように鳴いていた。

 その仕草は、よほどひねくれている人間でないかぎり愛らしいと思うものだ。

 しかし、イチローは……。 


「元の場所に返してきなさい!!」

「え、ええ!?」


 きっぱりと拒絶したのだ。

 娘に激甘な彼にしては非常に珍しいことである。

 だがそれも仕方のないことだ。

 イチローが知っている世間一般的なワンコには、角と鱗なんて生えていないのだから。


 そのワンコはどう見ても小型のドラゴンだった。


 

 漆黒の魔竜ディアブロ。


 かつてイチローが戦った魔王城を守る魔物だ。

 元は魔王が拾った捨て竜であったが、途中で飽きた魔王に代わりに、配下の邪神司祭じいが育てあげた魔王軍屈指の戦闘力を持つ恐るべき邪竜ペットである。

 体こそ小さくなっているが、このワンコはその魔竜であった。


「うちには、そんな変な生き物を飼う余裕はありません!」

「ア、アブーは変な生き物じゃないのだっ!? れっきとしたワンコさんなのだっ!!」


 説得しようと大慌てなマオに、そんなワンコさんいないよと、イチローは突っ込みかけた。

 しかもディアブロだからアブーか? 

 普通、そこはディアじゃないの?

 マオの少し個性的なセンスは、やはりキリエ似である。

 確かな血のつながりに、イチローは場違いな感動を覚えた。


「とにかくマオちゃん。うちではそのワンコさん? 飼えないから諦めなさい」

「ええっ?」

「そうだマオちゃん、そんなにワンコさんが欲しいならペットショップにいこう。マオちゃんも気に入る、ちゃんとしたワンコさんがきっといるはずだから」


 有耶無耶にしようとするイチローの言葉に、マオはぷるぷると震えだした。

 腕からワンコさん……ではなく魔竜を取り落とす。

 魔竜は、ワンコさんのようにキャンと鳴いた。

 

「ち、父上は何も分かってないのだ! バカー!!」


 マオは泣きながらキリエの元に走って行った。

 罵倒されたイチローは酷い衝撃を受けた。


 マ、マオちゃんに嫌われた……だとっ!?


 それはイチローにとって、異世界での戦いの日々より辛いことだ。

 何とか再起動してキッチンを見ると、キリエがマオを抱きあげて慰めているところだった。

 彼女はイチローの視線に気がつくと、困ったように微笑みながら僅かに口をとがらせた。

 キリエのそれは、イチローにはお馴染みの「メッでしょう、イチ君」であった。


「………………」


 三十路に入っているキリエのメッは、その母性と共に破壊力を増していた。

 惚れ直したイチローは、キリエに拝むポーズをすると問題を解決することにした。

 案件は、ワンコさんのように後ろ足でお座りしてやがる偽ワンコさんである。


「くっ……!?」


 爬虫類くせに正直あざと可愛かった。

 何となく見つめあう、元勇者と魔竜。


「あー、魔竜は困るんで、帰ってもらえるかな?」


 口にだしてから、爬虫類になに言ってるんだと、イチローは自分のアホさ加減が嫌になった。


「申し訳ありません。そうしようにも、自分、どうにも不器用なのもので……」


 沈黙。

 イチローは少しだけ思案し、そして驚いた。


「え、喋れたん!?」

「はい。この世界に来てから覚えました」


 捻りもなにもない問い掛けに、ワンコ……ではなく魔竜は頭を下げながら答えたのだ。




「あー、うん、そうね、そりゃ大変だよね」

「はい、その通りで」


 イチローの事情聴取に、律儀に一つ一つ返答する魔竜ディアブロ。

 以前、魔王城で会ったときは、いかにも恐竜といった感じで話せるとは思わなかった。

 ところが実際には、下手な人間より理性的で紳士的な性格をしていらっしゃる。

 しかも三日で日本語を覚えたらしい……人間さまよりスペックが高いだと!?


「で、マオちゃんの召喚に応じてこちらの世界に来て、戻れなくなったと……?」

「はい、恥かしながら……」


 恥ずかしげに答える魔竜。

 戻れないというのは本当のことらしい。


「それに戻れたとしても、魔王さま……いえ、マオお嬢さまのことが心配だったもので……」


 この爬虫類、忠義の臣であった。

 忠犬、いや忠竜か?


「あーでも、うちのマオは家来とか間に合っているというか、魔王とか廃業しているので」

「それも存じております。それに今のお嬢さまは魔王さまのような暴君とはほど遠い、とても健やかで真っすぐに育っていると思えます」

「そ、そうか? そう見えるか?」

「はい。これもひとえに父君であるイチローさまと、母君であるキリエさまのしっかりとした教育の賜物であると、一匹の元家臣として感謝の念に堪えません」

「お、おう」


 なぜか爬虫類に褒め称えられている田中家夫婦。

 子育てという当然のことをしているだけだが、イチローは照れ臭くなった。


「とはいえ、イチローさまたちにご迷惑をお掛けるわけにはまえりません。自分はこのまま姿を消し、影からマオお嬢さまを見ていきたいと思います」

「ええっと……でも、あの世界には戻れないんだよな?」

「はい、そうですが、騒ぎなどを起こすつもりはないのでご安心ください。それにこの身だけなら隠れ住むなど容易いこと。ですのでイチローさま、どうかこのディアブロに、マオお嬢さまの成長を見守る許可を与えて頂けないでしょうか?」


 伏せ、ではなく、ぺこりと頭を下げる魔竜。

 なんてできた……魔竜だよ。

 イチローは自分が悪者になったようで居心地が悪くなってきた。

 この子、よく躾けられているみたいだし、うちで飼ってもいいんじゃないしら……いやいや、なに言ってるのこいつは魔竜だぞ。


 そのようにイチローが、でもでもだってと悩んでいると。


「お願いしますイチローさま。せめてマオお嬢さまが大人になるまで……それまで、悪い虫がつかないように自分に守らせて欲しいのです」

「よし、君を飼おう!」


 この男、即決である。

 敵には鬼のように容赦ないイチローも、仲間・・にはとても寛大であった。


「え、よ、よろしいので?」

「うん、君は我が家のペット兼、虫除けボディガードとして飼うことに決めたから……ああっと、できるだけ普通の人の前では喋らないようしてもらえるかな?」

「は、はい、それはもちろんです」

「それで、食事は多分カリカリになると思うけど、それもいいかな?」

「はっ? カリカリ……でございますか?」

「うん、カリカリさんだ(猫大好きなアレ)」


 魔竜は意味が分からず、チワワのように大きい瞳を白黒とさせた。

 イチローは不安げにこちらを覗っていたマオを呼んだ。


「いいかなマオちゃん。この子はぬいぐるみではなく生き物だからね? ちゃんと面倒をみるんだよ」

「ち、父上、飼ってよいのか!? 大好きなのだっ!!」

「ふふ、良かったわねマオちゃん」


 大喜びして、きゃーと抱きついてきたマオと微笑むキリエ。

 イチローはもちろん悪い気はしなかった。



 こうして田中家に家族増えた。

 ただこの魔竜、マオより弟のユウの面倒をみるはめになるのだが、それはまた別の話である。

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パパと魔王 あじぽんぽん @AZIPONPON

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