渚ちゃん再び
午前中の授業が終わり、教室から次々と生徒達が出ていく。
私もそれに習い、急ぎ足で購買部へと足を運ぶ。今日もお弁当を持ってきていないから、ここで遅れをとって空腹のまま午後の授業を受けるのは避けたい。けれど、決して廊下は走らない。あくまでマナーを守った行動を心がけている。
最近の私は、授業をサボったりもしなければ夜遊びもしていない。前に桐生君と学校を抜け出して以降、極めて真面目な高校生活を送っていた。
変わった?ううん、昔に戻っただけだ。元々私は、トラブルとは無縁の優等生で通してきたんだから。これまでは心が荒れていて、つい柄にもない行動をとっていたけど、今は少し落ち着いていた。
相変わらず家族仲が良いとは言えないけれど。お父さんとは口を開けばケンカばかりだし、幸恵さんとは話すことなんてない。駿くんとは接し方がわからない。
だけど大きな衝突をすることもなく、概ね平穏な毎日を送ることができていた。もしかしたらそれは、少し心に余裕が出てきたからなのかも?友達……と言えるかどうかはわからないけど、何かあった時に気兼ね無しに話せる人ができたことは、大きな変化だった。
桐生君。クラスが違うから学校ではあまり会うことはないけれど、今度お昼にでも誘ってみようか?あ、でも馴れ馴れしくしすぎて、変な誤解されたら困るかも。
桐生君女子人気ありそうだし、迂闊に動かない方がいいかな。
そんなことを考えているうちに、購買部についた。幸い、今日はパンは残っている。私はその中から、お気に入りの一つに目をつけた。
「「苺クリームパン一つ!」」
注文したとたん、誰かの声と重なった。それも何だか、どこかで聞いたような声。
気になって横に目を向けると、そこには同じようにこっちを見る渚ちゃんの姿があった。
「渚ちゃん……」
「龍宮……先輩……」
目を会わせたまま、お互いに時が止まる。渚ちゃんと会うのは、これで二度目。数日前大いに言い争って泣かしちゃったものだから、どうにもバツが悪い。しかも、悪いタイミングというのはどうやら重なるようだ。
「ごめんね、苺クリームパンは残り一つなんだよ」
購買のおばちゃんの、申し訳なさそうな声。私達は距離を測りながら、慎重に言葉を選んでいく。
「渚ちゃん、いる?」
「いえ、先輩に譲ります。私、そんなにお腹空いてないので。何なら、お昼抜きでも構いませんし」
「ダメだよ、ちゃんと食べなきゃ。大きくなれないよ」
「大きく……それって、私が小さいってことですか?」
しまった。つい余計な一言を言ってしまった。
「違う、そうじゃないから。すみません、とりあえず苺クリームパンと、あと適当にいくつかください。あと、牛乳も二つ」
慌てて注文して物を受け取った後、小刻みに震えている渚ちゃんを誘導する。
「とりあえず、どこかで落ち着こう。お昼、一緒に食べない?」
敵視しているであろう私からの誘いなんて、受けてくれるか心配だったけど、意外にも渚ちゃんは素直に頷いてくれた。
「……ご一緒します。私も、話したいことがありますし」
話って、やっぱり桐生君のことだよね。何を言われるのかわからないけど、この前のことも謝りたいし。つい勢いで誘ってしまったけど、これはいい機会かもしれない。
私達は互いにギクシャクしながら、購買を後にした。
腰を下ろしたのは、中庭にあるベンチ。とりあえず二人でパンを分けながら、昼食をとることにする。
「苺のパンは、渚ちゃんいるよね?」
「いいえ、お金を払ったのは先輩なんですから、先輩が食べてください」
「そんな遠慮しないで、先輩の言うことは素直に聞きなさい」
コールドスリープしていた時間をさっ引いても、私の方が歳上なんだ。少しは先輩らしくしなくちゃね。
パンと牛乳を渡すと、渚ちゃんは素直にそれに口をつける。
「……この牛乳は、飲んで少しでも背を伸ばせと言う意思表示ですか?」
「パンのお供に牛乳は基本だよ!自虐的になりすぎ!」
「でも先輩、私のことチビだって思っていますよね?」
「あ、あの時はごめん。つい我を忘れていて、心にもないことを言っただけだから。本当は、小さいだなんて思って……」
無いこともないけど。
「何ですか今の間は!?やっぱり、小学生みたいだって思ってるんでしょう!」
「そんなことないよ。大丈夫、中学生には見えるから!」
「私もう高校生です!」
うーん、どうやら思っていた以上に低身長を気にしているらしい。この前はちょっといじりすぎてしまったかな?反省しよう。
「……まあ別に良いですけどね。私も、前に先輩に失礼なこと言っちゃいましたし。あの時は、すみませんでした」
「私の方こそごめん。渚ちゃんのこともそうだけど、桐生君のことも。よく知りもしないで分かったようなこと言われたら、そりゃ怒るよね」
以前うっかり口を滑らせてしまった、桐生君が真面目そうに見えない発言。口喧嘩になったそもそもの発端はそれだった。
そして桐生君の事を知った今では、軽率だったと言わざるを得ない。
「そういえば、渚ちゃんは知ってるんだよね?桐生君の……色んなこと」
随分と漠然とした言い方だったけど、内容が内容なだけにハッキリ口にするのは憚られる。だけど渚ちゃんは、言いたいことをわかってくれたらしい。
「そりゃあ、付き合い長いですから。輝明、普段は明るく振る舞っていますけど、時々妙に寂しそうな目をすることがあるんです。辛いなら、話し相手にくらいなれるのに」
「たぶんだけど桐生君、渚ちゃんに弱いところを見せたくないんじゃないかな?ほら、男子って大抵格好付けでしょ」
「ああ、分かります。輝明って昔からやせ我慢することが多かったですし。知ってます?小学校の頃、ジャングルジムから落ちそうになった子を助けようとして、自分が下敷きになったことがあるんですよ」
「なにそれ、凄く痛そう」
「痛いに決まってます。だけど格好つけて痛くないって言い張って、でも一人になるとやっぱり凄く痛そうな顔してて。私、こっそりそれを見てたんですけど、声をかけるべきかどうか迷いましたよ」
桐生君はそんな幼少期を過ごしていたのか。話を聞いていると、明るく活発的な子であったことがわかる。
「桐生君って、その……お家の事情とかで困ったこともあったみたいだけど、家以外では上手くやれてたんだ」
「はい。輝明、話してくれないから私も詳しくは知らないんですけど、やっぱり家には居づらいらしくて。その分、外で友達と遊ぶことが多かったですね。私と最初会ったのも、近所の公園で遊んでた時でしたし」
「そうだったんだ。けど、渚ちゃんや他の人がいたのは、桐生君にとってとってもいいことだったと思うよ。何かする訳じゃなくても、心を許せる人がいたらそれだけで楽になるもの」
「そんなもんですかね?」
渚ちゃんは首を傾げたけど、私も経験者だからわかる。居場所や心の拠り所があるって、普段は気づきにくいけど、実は凄く幸せなことなんだ。
それにしても、桐生君の昔話は聞いてて面白い。これはいい話の肴になる。
最初はギクシャクしていた渚ちゃんも、話しているうちに目が生き生きしだしてる。こうなると、もっと面白い話はないかと気になってしまう。
「他には、何か面白いエピソードとかないの?」
「ええとですね。例えば小学校のころ……」
楽しそうに思い出を語り出す渚ちゃん。だけどそんな彼女の後ろから、忍び寄る影が一つ。
「ほう、随分と面白そうな話をしてるじゃないか。俺にも聞かせてくれないか?」
まるで地の底から響いてきたような冷たい声。
途端に渚ちゃんの表情が強張る。もう声の主が誰だかわかっているだろうけど、怖いのか後ろを振り返ることができないでいる。
「なあ、聞かせてくれよ、渚」
「て、輝明?」
ようやく名前を呼んで振り返り、そこにいた桐生君の顔を見て「ひっ」と悲鳴を上げる。
桐生君は笑っていた。だけど、目だけは凍り付いたように冷たかった。
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