すとーかー再び!
「こ、これって……」
「……玄武か。まさか本棚から降ってくるなんて。神田、亀太郎だね」
床に座り込んだまま、痛そうに顔を歪めて虎汰くんがつぶやく。
「いかにも。僕は
「噛み倒してる!? じゃあ本当に亀太郎くん!」
足元で威風堂々と立つ、四神玄武の甲羅をあたしは呆然と見つめた。
(半信半疑だったけど、やっぱり亀太郎くんも四神の宿主……。にしても、こんなおっきな亀、しかも蛇巻いてるぅぅ!)
「夕愛くん、大丈夫かい? 遅くなってすまなかった。僕が来たからにはもう君には指一本触れさせん!」
「はあ……おかまいなく……。それより! 虎汰くん大丈夫?」
亀太郎くんの背後から脱出して、あたしは虎汰くんの傍に膝をつく。
「うん……真上に落ちたわけじゃないから。夕愛には当たらなかった?」
「虎汰くんのが背高いからあたしには……」
守ったつもりのあたしが虎汰くんを心配してオロオロする事など意に介さず、亀太郎くんは朗々と続ける。
「それにつけても、忌々しきはこの迷路。コレのせいでどうしてもこの書列に辿り着けず、ひとつ向こうの列からジリジリしながら見守っていたのだ」
「はっ!? み、見てたの? いつから!」
「うむ? あれはカウントしないとかなんとか……その辺りだが」
それってけっこう最初の頃からーー!
「もっと早く颯爽と救出したかったのだが、いかんせんここは迷路。ジタバタするより変化して本の隙間を通り、落下する作戦を取った。どうだ、ぐうの音も出まい、神宮司こたろう!」
ビッとカメ手で指し示され、虎汰くんが肩をすくめる。
「ボク虎汰だけど。勝手に太郎とかつけないでよ」
「ふ……虎汰郎くん、この際だからハッキリ言っておく。九天玄女娘娘と結ばれ、現代に男女和合の道理を顕現するのはこの僕だ。いくら白虎の宿主とは言え、つまらん横槍は遠慮してもらおう」
亀太郎くんの言葉に、あたしと虎汰くんは揃って息を飲んだ。
「……なんでボクが白虎の主だって知ってるんだよ」
「君はたった今、娘娘に拒絶された。その頭のタンコブが何よりの証じゃないか。諦めたまえ虎汰郎くん」
「これはお前がやったんだろ。てか人の言うコトなんも聞かないね」
「そ、そうだよ亀太郎くん。どうして虎汰くんに四神が宿ってる事知ってるの。ちゃんと答えて」
あたしはもちろん、彼に虎汰くんや己龍くんの事は一切話していない。なのにどうして?
「ん? 大事な夕愛くんの身辺を把握しているのは当たり前だろう。長野から上京し、どんな親戚の家でどんな人間と暮らしているか」
誇らしげにお腹を反らす亀太郎くんに、あたしは首をかしげる。
「でも……虎汰くんたちがイトコだって事はクラスみんな知ってるけど。四神の事なんて誰にも話してないのに」
「見ればわかるさ」
「え? 見ただけで亀太郎くんにはわかるの!?」
思わず傍の虎汰くんと顔を見合わせた。でも彼も驚いたように目を丸くしている。
「もちろんだとも。虎汰郎くんが部屋で白虎に変化するところも、御社 龍太郎くんが青龍になるところも見た。まさか二神が揃っているとはいささか驚いたがね」
「……は?」
部屋で変化って?
「ちょっと待てよ亀太郎。ボクと己龍が部屋でって、家の? ウチはマンションの7階……」
若干だけど、虎汰くんの声も震えてる。
「自宅は君たちをストーキングしてすぐに把握した。そこからは簡単だ。マイドローンを飛ばし、僕は窓の外から日夜夕愛くんを見守っているのだよ」
静かな図書館の一角に、さらにザワザワとした静寂が降りる。
「盗撮……?」
「人聞きの悪い。そんな卑劣な真似をするわけがなかろう。僕自身が小さくなってドローンに乗り込み、この目でしかと見届けるのだ」
「き……」
あたしの気配と心情を察してか、虎汰くんがパフッと口元を押さえつけた。
「だが勘違いしないでほしい。虎汰郎くんと龍太郎くんの部屋はモノのついでだ。男を覗く趣味はない。夕愛くんが下宿先で辛い目にあっていないか、笑顔で暮らせているか、どんなパジャマで寝ているか……いや、これはオマケのようなものだな。ハハハハハ!」
「……きゃーーーー!!」
虎汰くんの手を跳ね除けてほとばしる、あたしの心からの拒絶反応と危機的状況。それに呼応して頭上の監視カメラがビシッと悲鳴を上げた。
「な、なんだ夕愛くんどうした!? ……ぬごっ!?」
ガシャァン! と亀太郎くんの真上に落下して砕け散る監視カメラ。
その音は、当たり前だけど静かな図書館を揺るがすほどに響き渡った。
「やっ!? か、亀太郎くん……! え、コレもしかしてあたしのせい!?」
「あーあ。そりゃもちろん娘娘の力だよ。ボクですら身の危険を感じたもん」
本当だった。本当にあたしの拒絶反応は、その相手にとんでもない不幸をもたらすんだ!
「ゆ……夕愛、く……」
カメラの下敷きになった玄武がこちらに向かってピクピクとカメ手を伸ばす。白目をむいて、口から泡を吹いて。
「ひいぃぃぃ! ごめんなさいゴメンナサイ、成仏してぇぇ!」
とっさに虎汰くんの後ろに隠れたあたしに、亀太郎くんが声を震わせた。
「無、事……かい? 怪我は……」
(…………!)
「死んでないから夕愛。でもまずいな、今の音ですぐに司書が飛んでくるよ」
虎汰くんが後ろを振り返って小さくため息をつく。
「このまま気を失って、まっぱで発見されたら退学だろう。神聖な図書館でそういう趣味にふけるへムタイ……ってね」
「そ、そんな、虎汰くん……」
足元にはもう動かなくなってしまった大きな黒亀(へロッと垂れた白蛇付き)。
虎汰くんの言う通り、何かの拍子に人間の姿に戻ってしまったら大変な騒ぎになるだろうし、放校も在り得る。
(どうしよう。いくらなんでも、あたしのせいでそんな……!)
「まあ、それも楽しいけど。たとえそうなっても、コイツってめげそうにないもんな。――そこにいるんだろ? 己龍」
突然、虎汰くんが本棚の向こうに呼びかけ、手近な一冊の本を抜き取った。できた隙間の奥に見えたのは見知った不機嫌そうな顔。
「え……! 己龍くん? 己龍くんもそっちの列にいたの!?」
「違うよ夕愛。己龍の気配がしたのはたった今。なあ己龍、そっちに制服が脱ぎ散らかしてない?」
「……ある」
本棚の向こうに見える横顔が抑揚のない声で答える。
「それ、この隙間からこっちに寄越して、早く! そんで夕愛連れてここから出て!」
そう叫んだ瞬間、目の前の虎汰くんの顔がユラリと霞み、その姿はたちまち四足の白虎に変化した。しかもいつもとは違う、あのタペストリーと同じ大きな白虎に。
「わ……! 虎汰くんなに、どうするつもり!?」
「夕愛はボクの制服持って先に家に帰ってて。ボクはこいつを屋上にでも置いて来る」
虎汰くんが本棚から押し出された亀太郎くんの制服をくわえ、さらに足元でのびている亀のシッポもくわえる。
「……もう少しで落ちたのに。マジで邪魔だ、この玄武」
「え、なに虎汰くん。制服は持ったよ、他になにか?」
そう訊ねたけれど、亀をくわえた白虎の姿は滲むように霞んで見えなくなってしまった。
(すご……。消えちゃった……)
彼の制服を抱いて呆然としていると、後ろから腕をギュッと掴まれる。
「……司書がそこまで来てる。こっちだ」
己龍くんがあたしの腕を引いて走り出した。来た時とは別の曲がり角を折れ、右へ左へと司書さんに鉢合わない通路を選んで突き進んでいく。
(ホントに迷路だ、ここ……。全然方向がわからない!)
やがて無人の中央カウンターが見え、あたしたちは無事に図書館から脱出することが出来た。
きっと今頃、床に散らばった監視カメラの残骸に司書さんが驚いていることだろう。
「あ、あの……来てくれてありがとう。あたし一人じゃ、あそこから出られなかった」
まだあたしの腕をグイグイと引っ張っていく己龍くん。小さく声をかけても、彼は振り返らずに黙々と前を歩いていく。
「えと……やっぱりあたしが遅いからイライラして呼びに来たんだよね。でもその、いろいろあって」
あの時、己龍くんは本当に来たばかりだったのかな。
虎汰くんと同じくらい館内に詳しいのに、どうして亀太郎くんみたいに隣の列に……?
「……虎汰には」
ふいに己龍くんの背中がつぶやいて、あたしは目を上げた。
「虎汰には、気を許すな」
「え……?」
どこかで聞いたようなセリフ。……どこでだっけ。その後はなんて続いた?
「どういう意味?」
それきり口を閉ざし、己龍くんは家に帰りつくまで一言も話してくれなかった。
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