レッスンは止まらない
ここ食べられてたよ。のココというのは、今、ギュウギュウ容赦なくつままれてる唇の事なんだろうか。しかも実戦って……?
「い、痛ひ、イタヒよ虎汰ふーん!」
「夕愛、隙だらけ。こんなんじゃ口説かれるたびにヤバい事になっちゃうよ。それでもいいの!?」
手は離してくれたけど、虎汰くんのお説教のようなものは続いてる。
「いくない……です」
は? なんであたし反省モード!?
「ん。素直でよろしい。というわけで、このレッスンは不定期に発動するから。口説き文句や甘めのシチュエ―ションに慣れて、いちいちポーッとならないように。いいね」
「レッスン……て、え?」
「敵をムダに煽らず、うまくかわす。そういう技を身につけないと触っただけでその気にさせちゃう娘娘は身がもたないでしょ」
お説教口調が、やや呆れ気味な諭しに変化していき、ようやくあたしの頭にも言わんとするところが沁みてきた。
「じゃあ……、じゃあ今の全部……!」
「全く、あんな真っ赤な顔してふわふわオロオロ。ボクじゃなかったら完全に勘違いして強硬手段に出てるよ。ああもう、心配だなぁ」
「全部嘘なの!? 演技であんな、その……あたしの目が変わるの見たいとか、お肉のおねだりとか!」
それにまんまと乗せられて、あたし本当にふわふわオロオロ……!
「ん? 嘘も演技もないよ。さっきのは全部ボクの本音だし、普通に口説くとああなるの。ただ娘娘に無理強いなんかして死にたくないから、踏みとどまってるだけ」
しれっとそんな事を言い、彼は小首をかしげて可愛らしく微笑んだ。
でも虎汰くん、悪魔っ気をしまい忘れてるよ!?
「夕愛ってさ、ここなやチビ白虎にばっかり萌え萌えしてて、本物のボクが黄帝に立候補してる事忘れてるでしょ。てか、最初から本気にしてない」
ギクッ!とリアルに身体が2センチくらい跳ね上がる。人ってここまで図星を突かれるとホントに跳ぶんだね。
「だから嫌でも本気だって感じるように、それと虫よけのレッスンを兼ねてフルスロットルで口説く。そのうち夕愛の目の色が変わったら……」
その蠱惑的な雰囲気に囚われて、彼が目元に手を伸ばしてきても逃げるどころか身動きすらできない。
「……その時は、たぶんボクも止まらないからね。覚悟して」
目尻に触れる指先が、怖いくらい優しくて……なんだか心地いい。
「こ……これも、レッスン……なの?」
「今はね。今の夕愛は、慣れない雰囲気と言葉に流されてるだけ。別にこれがボクじゃなくても、そこまで嫌な相手じゃなければ同じような反応をするよ」
少しだけ、虎汰くんの笑顔に寂しそうな色が混じる。
でも彼の言葉をあたしは否定も肯定もできない。自分の気持ちなのに、自分ではわからない。
「レッスンじゃなくなるのは、夕愛の気持ち次第。それまではボクもちゃんとわきまえる。だから安心していいよ」
彼の手があたしの目元から移動して、ほっぺたをぷにっと楽しそうに掴んだ。今度は痛くないけど、やっぱりあたしはされるがまま。
「虎汰くんて……なんかスゴイ。前の彼女さんからいっぱい学んだの?」
「前の彼女? 誰それ」
まだあたしのほっぺたをぷにぷにしながら、虎汰くんが怪訝に眉をひそめる。
「だって女の子の扱いにやたら慣れてる」
いったいどんなディープなお付き合いをすれば、こんなツワモノになれるんだろう。
「ああ、ちょっと仲良くした人たちはいたけど、彼女なんて呼べるような関係じゃなかったよ。ほとんどがlovemy繋がりの年上の人だったし」
それを聞いてゾワッと鳥肌、すべてに納得!
一瞬にして頭の中に、綺麗で色っぽい大人のお姉さんたちが虎汰くんを囲み、あの手この手で可愛がろうとするシーンが浮かぶ……!
「そう、だったんだ……だからこんな……! ね、ねえ大丈夫なの!? そのお姉さん達にひどいコトされなかった!?」
「なんかおかしな想像してるな。別に年下でも関係としては対等だったし、後クサレもないから大丈夫。でも人数で言えば己龍のが上だと思うよ」
「んなっ!?」
衝撃の事実、さらに上乗せ!?
「ボクは時期とか被らないように気を配ってたけど、あいつはブッキングもお構いなしだから。そういうコト無頓着なんだよねー」
「ブッ……!」
目まいがする。でもあの愛想のない怖い顔を思うと、どうしても納得がいかない。
「だ、だって己龍くん、個人情報聞くなとか宣言してたし。めっちゃ硬派でむしろ女嫌いなのかと」
「面倒くさいコトが嫌いだから中高生くらいの子供は牽制してるだけ。でもそれはボクも同じかな」
(自分たちだってこの前まで中学生だったくせにー!)
やはり恐るべし、東京ジャングルの恋愛事情。
だいたい大人が中学生と付き合っていいの? いや、そもそも二人はお姉さんたちとナニがどうでドコまでのお付き合いを……?
「夕愛、赤くなったり青くなったり忙しいね。……なに? 己龍のこと気になるの」
隣から覗き込んでくる虎汰くんを、あたしは思わずキッと睨みつけた。
「己龍くんだけじゃない! 虎汰くんの事も心配で気になるよっ! そんなおかしなお姉さんたちとどんな……」
目の前にあるオリーブの瞳が驚いたように見開き、すぐにふわりと細められる。
「ボクたちがlovemyのお偉いさんと親戚だってバレてから誘われなくなったよ。だから安心して」
その瞳があまりにも優しくて、それ以上何も言えなくなってしまった。
「でも夕愛がボクの事気にしてくれるの、すごく嬉しい。気になるならなんでも聞いて、答えるから」
本当に嬉しそうに、虎汰くんがまっすぐにあたしを見つめてくる。
「い、いえ、良く考えたらそんなプライベートにあたしなんかが立ち入っちゃ……」
「夕愛だから、立ち入って欲しいんだ。彼女たちとどんな……その先は、なに?」
トンといつの間にか背中に本棚が当たってる。
さっきまでのレッスンとは別物なのに、それ以上になんだか目を逸らせない。
「だから、その、どんなお付き合いを……。そ、そう、どんなデートしたのかなって。遊園地とか映画観にとか」
「遊園地? はは……そうだなぁ、アウトドアはあんまり。人目につきたくない事情の人が多かったし」
「じゃあインドア? あ、ご飯ごちそうになったりとか」
たまりかねたようにうつむいてクスッと笑いを漏らし、虎汰くんはまた目を上げた。
「夕愛、何が言いたいの。本当に知りたいのはそんな事じゃないんだろ?」
「……!」
「その人たちとキスした? とか、それ以上とか。そういうのを聞きたいんじゃないの」
あっ、また2センチ身体が跳ねちゃった!
「ま、まさか! だって虎汰くんもこの前まで中学生だったんだし。無邪気だし、人懐っこいし可愛いし……!」
「子供っぽいからあり得ない?」
「そうまでは言わない……けど。でもなんか時々、ギャップが……」
可愛いのに、可愛くない時もある、変幻自在な虎汰くん。今の彼からはいつの間にかまたあの妖しい香りが立っている。
「両方ともボクだよ。……どっちのボクも飼い慣らしてよ」
この香りはなんだろう、コロンとかそういうものじゃない。ふわっと肌を取り巻いて、じわりと沁みていくみたい。
「夕愛が知りたい事、教えてあげる。ボクが可愛いだけの男の子か、それとも」
虎汰くんが、あたしの髪に指を挿し入れた。
さらに強くなった香りが、背筋を駆け上がってあたしの思考を麻痺させてしまう。
「なに……? だって無理強いは危ないって……」
「無理強いなんてしないよ、嫌なら逃げて。……怪我くらいならしてもいい」
監視カメラの真下、あたしの前髪と彼の前髪がかすかに触れる。
「待って……お願い虎汰くん……」
「じっとして。力抜いて。……きっとわかるから」
わかる? なにがわかるの? あたしが知りたい事ってなんだった?
これはたぶん、彼氏ができたらしてみたかった事、ナンバー1。でも虎汰くんは彼氏じゃないのに。逃げようと思えば逃げられるのに。
なんであたし、まぶたを閉じちゃうの――?
「――……天誅ーー!!」
ゴスッ!と、もの凄い音がして、突然虎汰くんが沈みこんだ。
(え……?)
パチッとひとつ瞬きをしてから足元に視線を落とすと、そこには頭を押さえて崩れ落ちた虎汰くんと、洗面器ほどの大きさの……黒い亀。
「ヒッ……!」
叫び出しそうになる口をあたしは両手で覆った。
「――ひとーつ……、人の目を忍ぶ迷路の果ての暗がりで……」
その亀がユラリ……と長めの後ろ足で立ち上がる。
「ななーつ……、泣いて嫌がるにゃんにゃんに対し……
ふたーつ……、不埒な行為に及ぼうとは……
ふたーつ……、不届き千万……
ふたーつ……、不遜至極なり!」
(1、7、2、2、2!? それ、いらなくない!?)
語気鋭く叫び、あたしを庇うようにビシッ!と両手を広げる亀には……ニョロリと蛇が巻き付いていた。
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