小悪魔なペットくん

 図書館があるのは南校舎B棟。

 蔵書は十万冊を超え、併設する自習室と共に生徒たちはこの施設を頻繁に利用している。

 

(……って、施設利用のしおりには書いてあるけど)


 先日配布された冊子の案内図を頼りに、あたしは南校舎B棟まではなんとか辿り着いた。でも生徒が頻繁に利用しているわりには、やけに静かで人の姿もほとんどない。


(入り口はけっこう奥なんだな。てか、広すぎる……)


 同じ小窓が延々と続く、長くて静かな廊下を黙々と進む。

 そうしているうち、あたしの意識はさっきの虎汰くんと己龍くんの会話に引き戻されていった。


(確かに己龍くんは遠くからあたしを監視してる感じ。虎汰くんは……正直、守ってくれてるって感覚はなかったな)


 ファッションや学校の話でよく盛り上がるし、一緒にいると楽しい。なによりも虎汰くんはやっぱり可愛くて、見ているだけで癒される。

 ふと思いついて、あたしはスクールバッグから、いつも持ち歩いているlovemy最新刊を取り出した。


(はうぅ……やっぱり可愛いぃぃ……。ここなちゃん……)


 今あたしの一番お気に入りのページは『リラックスグッズ特集』。

 そこに、ふわふわのバスローブを紹介している虎汰くん……じゃなくてここなちゃんがいる。

 きっとこれを見た全国の女の子は、みんなこのローブを欲しがってると思う。それくらい、商品もここなちゃんも可愛い、見てるだけで癒やされる!


(どう見ても女の子……でも虎汰くんなんだよね)


 身元を公開していない、正体不明の秘密のモデルCocona。なんでも虎汰くんと己龍くんの親戚にラブミー誌の関係者がいて、その人の頼みで二人ともどうしても断れなかったとか。

 

(女装した虎汰くんだって事、なんで学校でバレてないのか不思議だったけど。こうしてメイクしちゃうと確かにわかんないなぁ)


 それでもやっぱり可愛い男の子という印象が根強くて、守ってくれる人という意識はなかった。それなのにさっき一瞬だけ。


(……虎汰くんの、白虎が見えた)


 鋭い眼光、今にも飛びかかってきそうな気迫。可愛いけれど、優しいけれど、もしかしたら彼の中にはそういう気質が……?


「ゆーあ!」

「んきゃああっ!」


 いきなり後ろから羽交い絞めにされ、あたしの悲鳴が廊下に響き渡った。


「うわ、ダメじゃん、B棟では静かにしなくちゃ」

「虎汰、くん……! そ、そんな急に飛びつかれたら誰だって」

「しーっ、図書館の入り口はすぐそこだよ。……おいで」


 たった今思い描いていた人があたしの腕を引き、観音開きの扉を押し開ける。まるで噂話を当人に聞かれてしまったような、気まずいドキドキが止まらない。

 

(胸の音、虎汰くんに聞こえちゃいそう……)


 それほどに館内は静まり返っている。

 中央の円形のカウンターの中には、司書さんらしき年配の女性がひとり。他にはザッと見た限り、近くの本棚の辺りにも人影は見当たらない。


「借りたい本って現国の宿題用だっけ。近代作家の作品の感想文だよね」


 虎汰くんが声をひそめて聞いてくる。


「うん。近代作家って言われても誰かわかんなくて。図書室にそういうジャンルでまとまってないかと思ったの」

「あるよ。こっち」


 慣れているのか、虎汰くんは本棚が連なる細い通路を先に立って歩き始めた。右に折れ、左を選び、迷路のような通路の奥へと迷わず進んでいく。

 その後をチョコチョコついていきながら、あたしは思い切って声を掛けた。


「あの、虎汰くん。あたしがなかなか戻ってこないから迎えに来たの? ごめんね、ちょっと迷った……」

「違うよ。ボクが急いで着替えて追いかけてきたんだ」

「やっぱり迷うと思った?」


 それには答えず、前を行く背中はどんどん先へと進んでいく。

 やがて彼はそびえ立つ書棚に囲まれた奥の一角で足を止めた。


「この辺が近代作家の棚だよ」


 確かにそこは芥川龍之介、井伏鱒二といった聞いた事のある作家のタグが付いた書棚。彼の案内がなければ、きっとたどり着くだけでも相当の時間がかかっただろう。

 

「わあ、たくさんある。す、すぐ選ぶからね」


 見上げると、迫りくる巨大な本の壁に思わずクラッと目眩が起こる――。


「……っ」


 足がもつれた瞬間、肩がフワリと抱きとめられた。同時に視界いっぱいに広がる綺麗なオリーブの瞳。


「なにやってんの。そんなに慌てなくていいから」

「う、うん……」


 細いと思ってたのに肩に回された腕は意外にも骨太で。あたしの背中を支える胸は広くてあったかくて。


「ねえ夕愛……」


 目の前で綺麗な稜線を描く唇が囁く。とっくに目まいなんか収まってるけど、もうちょっとこのままでいたいかも……なんて。


「ボクはずっとこうしててもいいけど……。ここ監視カメラあるよ?」

「ふあぁ!?」


 ピョンと飛びのき、あたしは目の前の本棚にへばりついて左右を見回した。

 ああ!? ホントに棚と棚の間に黒光りするカメラレンズが覗いてる!


「なんだ残念。でもカメラの事知らなかったら危なかったでしょ」


 クスクスと笑いながら彼は傍にあった踏み台の上に腰を下ろした。


「あ、危ないって、何が……」

「夕愛、ふわふわな目してた。キスくらい許してくれたかなーって」


 ドカンと一気に血がのぼって、顔が真っ赤になるのが自分でもわかる。なにか反論しなくちゃと思うのに、言葉が、声が、出てこない!


「あ、そういえばボクたち、もうキスは済んでたっけ」

「してない済んでないあれはカウントしなーー……むぐっ!」


 せっかく声が出たのに、虎汰くんの手が一瞬にしてあたしの口を塞いでしまった。


「バカ……ッ、ここ図書館! そんな大声出しちゃダメだろ」

「むぐんぐふぃ(ごめんなさい)……」


 監視カメラが心なしか光ったような。

 それを見つめながら、虎汰くんはあたしの口を押さえたままカメラの真下に引きずっていく。


「ま、あの時のはノーカウントでいいよ。ボクもここなだったし、あれは夕愛に四神に近い気を感じたから正体を確かめただけ。夕愛も変な女の子にからかわれたとしか思わなかったでしょ」

「ふん……(うん)」


 くぐもった返事しかできないのは、まだ虎汰くんが手を離してくれないから。


「ほら、この場所なら死角になって映らないから。かなり旧式な固定カメラだし、いいよ」

「ふはふ(死角)? ふぃおっへ、ふぁいあ(いいよって何が)」

「ん? だから、さっきの続きしよ。ちゃんとカウントできるやつ」

「…………!!!?」


 あたしがどんぐりより大きい栗まなこになったところで、虎汰くんはようやく手を離してくれた。


「……そんな目じゃなかったな、さっきは。やっぱりタイミングを逃したか」

「ふざけすぎ……虎汰くん」


 うつむいた顔は燃えるように熱いのに、手足は痺れたように冷たい。

 こんな冗談、笑い飛ばせば済むことなんだろうけど、フラれ倒してきたあたしにはハードルが高すぎる。


「ふざけてないよ、本気絡みでちょっとキツくじゃれてみた。夕愛の可愛いペットはこういう甘噛みを時々するんだ」

「あ、あたし、虎汰くんのことペットだなんて思ってないよ。そんな失礼……」


 思わず顔を上げると、そこには見透かすような笑いを含んだ瞳が。


「本当に? 夕愛が普段ボクを見る目はそうだと思うけど」


 そんな指摘をされたら……正直、何も言い返せない。

 すると虎汰くんは後ろの本棚にトンと背中を預け、二の句が継げないあたしをさらに追い込んだ。


「でも別に失礼じゃないよ。その目がだんだん変わっていくのを見るのも楽しいと思わない?」


 今や完全なる小悪魔と化した自称”可愛いペット”。

 自信過剰で大胆不敵、こういう時の虎汰くんに可愛さなんて微塵もない。小首をかしげて微笑む姿はどこか妖しげで、傍にいると男の子なのに頭の芯が痺れるようなイイ匂いがする。

 こんな危険動物、あたしに飼えるはずがない!


「ほ、ほほほ、本……! あたし宿題の本、選ばなきゃ……」


 クルッと背を向けて、反対側の本棚に目を凝らした。


(羅生門……金色夜叉? なんでもいいから早く一冊選んでここから脱出しないと……!)


 ところがあたしのペットくんは、まだまだキツくじゃれてくる。


「だめー。ボク、なんかスイッチ入っちゃった。ここまで案内したご褒美が欲しいな……ご主人さま」


 後ろからあたしの耳元に、囁くようなおねだりが響いた。しかも左右は虎汰くんの腕に阻まれて逃げ場がない。


「ご、ご褒美って……、スクバの中にチョコがあるよ……」

「んーん。ボクは肉食系だから、お肉がいい」

「え? おに、ふ……っ!?」


 後ろから回された手があたしの唇に触れた。


「ここのお肉ちょうだい。あー……ちっちゃくてぷにぷに。おいしそう」


 虎汰くんの指先が唇の輪郭を辿り、いたずらに弄ぶ。


「やっ……、ちょ、離して」


 振り払おうとしたあたしの手を掴み、逃れようとする肩を引き寄せて……虎汰くんはもう一度耳元に唇を寄せた。


「……おあずけもほどほどにね。それとも、わざと狩猟本能を煽ってる?」

「っ!?」


 ――いくらなんでも、ひどい。


「いい加減にして! あたしは……」


 怒りに任せて振り返った瞬間、むにゅっと唇をつままれた。


「ぅふぁ!?」


 ……しかもけっこう強めに。


「――はいアウト。もー、今のタイミングと至近距離で振り返ったらダメじゃん! 実戦なら確実にココ、食べられてたよ」


 目の前で、ほっぺたを膨らませた虎汰くんがあたしを睨んでいた。


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