にゃんにゃんパワー開放!?

 すぐにタイミング良く滑り込んで来た電車に、あたしたちは小走りで乗り込む。


 さほど混んではいないけれど、座席は空いていない。あたしは己龍くんの隣……吊革二つ分の間隔を空けて同じように白い輪っかに掴まった。


(バカって……どういう意味なんだろ)


 電車に慣れないあたしを心配して、ってのは確かに図々しかったかも。もしかしたら煉さんに一緒に帰って来いって言われたのかな。

 だとしたら虎汰くんはカラオケに誘われてたし、己龍くんが付き合うしかないよね……。


 ぐるぐるそんな事を考えていると、カーブに差し掛かった電車が急に傾いた。


(――あっ!)


 遠心力の負荷に耐えきれずあたしの手は吊革から離れてしまった。

 前のめりになった身体を支えようと咄嗟に伸ばした手が、あろうことか前の座席に座るオジサンの頭に着地する。


「すっ、すみませ……!」


 すぐ離そうとしたのに。

 ズルッとなぜか手が滑って、あたしはオジサンの上に正面から覆いかぶさるように倒れ込んだ。


「バ……! 何やってる、早くどけ!」


 己龍くんが慌てて引っ張り起こしてくれたものの、その場は騒然。

 ……というか、みんな笑いをかみ殺し、中にはうつむいて肩を小刻みに揺らす人もいる。


(そ、そんなに笑わなくたって……?)


 もう一度ちゃんと謝ろうとした時、ふと手の中の違和感に気づいた。何気なく目をやるとあたしが握っていたのは……オジサンの毛束。


(これ、カツラ……! 部分的なヤツぅ!?)


 ギギギ……と錆びついたロボットのように前を見ると、ザビエル状態のテッペンを露わにしたオジサンが真っ赤な顔で呆然としている。


「ご、ごごごごめん……なさ。あの、コレ……」


 そろそろと差し出した部分毛束がまたもや車内の笑いを誘う。でもオジサンはそれらを華麗にスルーして、あたしを見つめたまま口を開いた。


「いいんだ……、君と、出会えたから……」

「は?」


 隣から己龍くんの小さな舌打ちが聞こえる。


「独身を貫いてきてよかった……! もう君しか考えられない」


 あたしだけを映す小さな目。真剣さが滲み出るうわずった声。これは……、もしかしてコレが。


(にゃんにゃんのモテ霊波!? あたしが頭に触ったから!)

「最初から決めてました! お願いします!」


 片手を差し出し、ペコッと頭を下げて頭頂部を見せつけるオジサン。でも良く見るとこの人、ここまで自然にザビエルになるほどの歳でもない。


(けっこう若いのに、きっとそういう家系とか体質なんだ。なんて……なんてお気の毒な!)


 あたしの胸がキュウッと締め付けられ、全身の血がドクドクと騒ぎ始めた。


 差し出された手は小刻みに震えてる。この手を取って毛束を渡せば、きっとあたしは彼だけの娘娘になれる――!


「……よろしくお願……」


 その瞬間、横から伸びた手があたしから毛束を奪い、パァン!とオジサンのザビエル部に叩きつけた。


「人のツレにナニをお願いするんだ? オッサン」

「やっ!? なにすんの己龍くん!」


 前に出ようとするあたしを背中で制して、己龍くんはオジサンのおでこをグッと片手で掴んだ。

 それまで忍び笑いをしていた周りの乗客も、不穏な状況の変化に顔色を変える。


「良く考えろオッサン。こいつはまだガキだ、アンタの相手じゃない。深呼吸してみろ……」


 己龍くんに言われるまま、オジサンが深く息を吸い込む。すると、ひとつ瞬きをした後、彼はふいに周囲をキョロキョロと見渡した。


「な、なんだ? 今、僕は何を……」 

「よし。……おい、行くぞ」


 いきなりあたしの手を掴み、己龍くんが次の車両に引っ張っていく。


「や、やだ離して! あたしあの人と」

「オッサンの気の乱れは俺が整えた。もうお前への執着もない」

「え……!」


 振り返れば、オジサンは何事もなかったかのようにそそくさと毛束を頭に装着し、腕を組んで寝たふりをし始めている。


(またあたしの空回り……?)


 うなだれるあたしを、己龍くんはいくつもの車両を越えて引っ張っていく。やがて最前両まで来ると、彼はあたしをその車両の隅に押し込んだ。


「むやみに男に触るなと言ったはずだ。何やってる」

「だって……。でも己龍くん、あたしまたフラれた……」


 何度繰り返しても慣れない。この一人だけパーティー会場から締め出されたような感覚。

 込み上げる寂しさに、顔がまたくしゃくしゃになってしまう。


「なんて顔してんだよ。……ホントに面倒くせぇ女だな」


 いきなり己龍くんがあたしのおでこをグッと抑え、後ろの壁に頭がガツンとぶつかった。


「痛ぁい!」

「いいか。一瞬でも男に同情すると、お前の中の娘娘が反応してそういう錯覚が起きる。深呼吸してよく考えてみろ。あのオッサンを本当に好きか?」


 彼が触れているおでこから、あたしの中に何か透明でサラサラしたものが流れ込んでくる。

 ミントのような清涼感のあるそれは、たぶん青龍の気。


「錯覚は気の乱れからくる。お前のとっ散らかった気を、俺の気に合わせて循環させろ」


 静かに響く声と青い気の流れが、あたしの体内をゆっくりと廻っていく。

 今思うと、あんな見ず知らずのオジサンとお付き合いなんてあり得ない事だ。


「己龍くん……」

「目の色が戻ったな。もう大丈夫だ」


 おでこから離れていく彼の手を、あたしは思わずパシッと掴んでしまった。


「あ、あの……! えと……」


 言葉が出てこない。一体あたしは何を言おうとしたんだろう。

 目の前には綺麗な怖い顔。でもレモン形の瞳はいつもより少しだけ柔らかく見える。


「……心配した通りじゃねぇか。俺が待ってなかったらどうなってたと思う」

「し……?」


 ちょっと待って。今のセリフ、ななな、なんかものすごく聞き流せないんですけど!?


「ししし、心配したの? やっぱり待っててくれたんじゃ……」


 すると彼の手がスッと伸びてきて、ビシ!とあたしのおでこに衝撃が走った。


「痛ぁっ!! デコピンーー!?」

「額は良く気を通すんだ。くだらねぇ事気にしてるヒマがあったら反省しろ」


 おでこを擦りながら見上げると、絶対零度の眼差しは健在。一瞬だけ優しく見えたのはたぶん幻だったんだろう。


「反省ったって、わざと触ったわけじゃ……」

「当たり前だ。つか、向こうが勝手に熱を上げるのは放っておけ。慢性的に触らなければそのうち冷める。問題はお前の方だ」

「あたし?」


 聞き返すまでもなかった。確かにさっきの出来事を思い起こしても、やっかいなのはあたしの方かもしれない。


「ダメ男に入れ込む衝動をコントロールしろ。精神力で抑え込むのが無理なら、ヤバいと思った時に身体のどこかをつねるとか舌を噛むとか」

「う……、そんな事しなきゃいけないの?」

「嫌ならその時ちょうどリンクしたさっきのようなオッサンと、学生結婚でもなんでもするんだな。別に止めやしねぇ」


 それきりあたしを車両の角に押し込んだまま、己龍くんはクルリと背を向けてしまった。

 でもこの状態なら彼が壁になってくれて、電車が混んできたとしてもあたしは誰にも触れる事はない。


「……わかった。やってみる……」


 目の前の背中につぶやくと、あたしのスマホがピロン♪と鳴った。


【フォローはしてやる】

(…………!)


 慌てて返信しようとしたけど、なんて返せばいいんだろう。ありがとう? よろしく? そんな言葉じゃ足りない。

 誰かが自分を見ていてくれる安心感を。その人を無条件で信じる事ができる嬉しさを、どう伝えればいいんだろう――。


「降りるぞ。ボーっとしてんな」


 結局、なにもレスできないうちに彼の背中が電車から出ていく。それを追って、あたしはマンションまでの道のりをただ黙って歩いた。


 己龍くんがカードキーでエントランスの扉を開け、二人でエレベーターに乗り込んでもあたしたちは無言のままだった。


「おい、煉さんにキーもらっただろ。玄関はお前が開けてみ」

「あ、う、うん」


 ふいにそんな事を言われ、あたしは煉さんからもらったカードを取り出す。

 ドアの溝にそれを通すと、ピッと小さな電子音がして己龍くんがドアを押し開けた。すると――。


「おかえり夕愛ー!」


 廊下を小さな子虎が駆けてくる。そしてピョンと床を蹴ってあたしに飛びついた。


「わっ! こ、虎汰くん? ただいま……、でもお友達とカラオケに行ったんじゃ」

「はあ? あんなの行くわけないじゃん、夕愛がいるのに。ホラ見て、これ買ってきたんだー」


 虎汰くんの前足がチョイチョイと自分のお腹辺りを指す。


「え……? やだ可愛い! あははは、なにコレー」


 いきなり飛びつかれたから気が付かなかったけれど、フカフカの白い子虎はタンポポ柄のパンツを穿いていた。


「帰りにペットショップに寄って買ってきたんだ。これならボクが白虎になっても大丈夫?」


 そう言われて、ハッとあたしは息を飲んだ。


「あ、あたしが朝、騒いだから?」

「そうじゃないよ。ボクは夕愛の護衛だし、どんな姿の時でも一緒にいたいだけ。帰りの人混み大丈夫だった? 己龍に任せちゃったから超心配してたー」


 伸び上がって本当に心配そうにあたしを覗き込む、パンツを穿いた白虎。己龍くんがそれを横から一瞥してため息を漏らす。

 

「あたし……、二人が四神の宿主で良かった……」


 ギュッと白虎を抱きしめると、フカフカで優しいぬくもりが胸に沁みた。

 思えば今日一日だけでも、二人のそれぞれの気遣いがあたしを何度も救ってくれた。


 ありがとうも、よろしくお願いしますも、全部今の言葉に入っているよ――。


「……夕愛どうしたの、ゆーあ?」

「デザインがセンスねぇから萎えたんだろ」

「ええー? なんだよ己龍、可愛いじゃんかー」

「お、夕愛ちゃんと己龍くんも帰ったね。お昼ご飯出来てるから着替えておいで」


 キッチンから顔を出した煉さんにも、あたしは想いを込めて『ただいま』を告げたのだった。



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